誰だって自分はマイノリティだと思える
みんなのフォトギャラリーからカバー画像を選ぶにあたって「マイノリティ」という言葉に対してネガティブというか「暗い」イメージを持っている人が多いなという印象を持ちました。
マイノリティって、単に「少数派」という意味でしかないんですよね。
そこにいろいろなイメージが乗っかっているのかもしれませんが、マイノリティは少数派でしかありません。多数決の世の中では評価されにくいということだけなんです。
言葉が生きるも死ぬも、受け止める人のイメージ次第なんですよね。
言葉そのものが持っていない意味がその言葉に乗っかるとき、そこには使う人のイメージが投影されるのです。
僕は昔はマジョリティだと思ってた
昔ですね。何年ぐらい前かなあ・・
マジョリティだと思っていました。
いつからマイノリティを意識したかというと、なんとなく、自営業を始めた辺りかもしれませんね。微妙なマイノリティ意識です。
自営業を始めた頃は、まだSNSも無くて、一人でパソコンに向かって悶々としていました。だから Twitter が出てきて、情報量の面でも、精神面でも、かなり救われたと思います。
はっきりとしたマイノリティ意識
もうちょっとハッキリとしたマイノリティを意識したのは、病気をして仕事を辞めた辺りです。
だいぶ世の中の中心から外れてきたなという意識がありました。
その意識は今でもさほど変わりません。
ただ、自分がマイノリティに属しているだろうという認識は、いろいろな情報を得たり、(たとえSNSを介したとしても)いろいろな人に接したりすることによって、緩和されることを知りました。
自分みたいな人は・・実は案外多いのでは?
という認識になってくるのですね。
で、そういう人たちが、一生懸命、頑張ってる。
全然そのハンディを意識してないように振る舞って、明るく生きている。
そういう姿を見ると、ああ、自分も別に、単に少数派であるというだけで、引け目に感じることは何もないと思えてくるのです。
何らかの不具合を抱えている人の方が多いはず
一つのことを捉えて、私は〇〇ができない。私は〇〇に不自由している。と思っている人は、確かに少数派かもしれないけど、心の中に何らかの不具合を抱えることって、人間だったら誰でも1つや2つぐらいあると思うのです。
そういう「何らかの不具合」を抱えている人は、決して少数派じゃなくて、人間ならみんなそうだろうと思えるぐらい、多数派なんです。
何が不自由に感じるかは人によって違う
自分は「こういうことが出来ない」ことを不自由に思っていても、他の誰かは全くそう感じていない。その部分を全く使わずに生きている人だっているんですよね。
使っていないから不自由だと思わないのです。
だから不具合の対象がなんであれ「不具合がある」と自分で思うことそのものが、人間の苦しみなんですよ。
そういう苦しみを持っている人は、当たり前のように沢山いるのです。マジョリティなんですね。
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