はじめまして

鈴村和香子(りんりん🐼)
ラジオDJ/岐阜の喋るヒューマンマガジン
田舎主婦が10年ぶりに
FMラジオのオーディションを受け合格
虚無から再生した想いを届ける【note】

事柄と共に
想い、気付きを発信していきます

1972.8.13
京都府生まれ 公務員の父とパート主婦の母、3歳下の弟 ごく平凡な家庭。
父が、絵を描く事が好きで その影響で小さい頃から写生に行ったり ぬりえをこよなく愛する少女時代 

【7歳〜】父が車でAMラジオを聞いていて、お悩み相談を次々に解決するお姉さんを、魔法使いみたいだ!とワクワクしていた(※のちにそのお姉さんは兵頭ゆきさんとわかる) 

【12歳】チェッカーズが大人気で、深夜ラジオを聴く。いつも新曲はラジオ先行でラジオオタクに 

【15歳】中学卒業に担任にクラスの言葉を吹き込んだカセットを渡すことになり、ナビゲートの役割を私が担うことに。それを聞いた先生が『和香子の声はとても聞きやすく、ラジオDJにむいているんじゃないか?」と言われ、小さい頃から幾度となく自分に現れたラジオDJが、ここでつながった 

【18歳】大好きだった美術の道に進みたいと、美大を受験。同級生に、試験が絵を描くだけなんて楽だと言われ腹をたてる。○✕のない世界の価値を絶対に証明したいと、鼻息荒くなっていた 


【19歳】結婚式場で放送のバイトはじめる。司会者がヒールをはいて階段を上がる姿に憧れをもつ

【20歳】舞台美術会社に就職、男性と共にツアーに帯同したい夢があったが、女性は無理だと言われ、やる意味をなくし、半年で辞める ・
その後、司会者になりたいですと憧れの先輩に直談判。20万円のローンを組みレッスンスタート。ただ、20歳の小娘にはなかなかオファーがこず、デビューは13人のパーティからスタート。この時代にアドリブ力を学ぶ

【23歳】地元のラジオ局で新人を探していると聞き、はじめてのオーディションをうける。ニュースとフリートーク。合格することができて、朝の番組週3日担当することに。DJ人生スタート 

【26歳】ラジオの野望が広がり、関西で大好きなDJさまがいる事務所の門をたたく、その後、FM京都のオーディションに選出され合格し、土日の朝の2時間を担当。有名アーティストの方々にインタビューをしたり、とてつもない貴重な経験をする。と同時に大きな仕事にプレッシャーが半端なく、自分の個性とは何か?と、自問自答、自信喪失も何度も味わい、すこし仕事におびえていた

【31歳】改編となり、次の番組がきまらず、局を辞めなければいけなくなる。好きなだけでは仕事が続けられないこと、その現実を目の当たりにし、絶望。一週間ほど泣き泣き泣き 自分にとって、ラジオがどれほど生きがいか、 あらためて気づかされる ・ その後、フランスリボン店でアルバイト。手作りの楽しさ、商品を生み出す喜び、商品を喜んで買っていただくことに感謝が溢れ出る ・ FM静岡のDJオーディションでグランプリを受賞。自分はラジオDJとして、まだやれる!と自信を再びもちなおす

【32歳】福井のケーブルテレビで1年契約でアナウンサーとして勤務。はじめての1人暮らし ・ 次の仕事を探していたときに、愛知万博のアテンダント募集を知り、寮があるパビリオンに応募し合格 

【33歳】岐阜FMの朝の番組のオーディション受ける。合格するが1年で再び改編。またもや絶望。 

【34歳】FMサンキューの立ち上げとして、ディレクター&DJとして動き始める。裏方の仕事の面白みを実感。取材の大切さを知る。

【37歳】アメリカに三ヶ月旅へ、ミシガン、 ニューヨーク、ラスベガス、そしてロスでは日本人向けのラジオ局を訪問 

【38歳】はじめての正社員。派遣会社の営業。DJとして、親近感ある喋りを売りにしていたが、どんな人にも丁寧な敬語をなかなか使えず、上司によく怒られる。担当の人材が遅刻をし、私がその会社に頭を下げることに納得いかず、やはり自分で自分の仕事に責任をもつことがいい!とあらためて強く思う。営業に行くのは度胸はすわった。結婚を機に退職

【39歳】専業主婦に。都会から田舎へ。のんびりな生活になれておらず、暇すぎて、つらくなる。友達もいない、仕事もない、まわりは自然ばかり、何が面白いんだ?と、旦那にあたりちらす。こんな生活いやだ。田舎に文句をつけ、そんな自分も大嫌いになる。適応障害で虚無、自信喪失発信0。新婚なのに暗黒時代。旦那ちゃま、あのときはごめんよ

【40歳】出産を機に、出かけるところが増える、少しずつ知り合いが増えて前向きになりはじめる

【44歳】何かを始めたい気持ちになり、骨格診断アナリスト、パーソナルカラーの資格を取得、美大でつちかった色彩論もあわせて、OBA見え救世塾をたちあげる、女性をキレイにする喜びに目覚める

【47歳〜】ホームページを作るための担当の先生が私の履歴をみて、多治見のラジオ局のオーディションを教えてくれた。ひさしぶりのスタジオにテンション爆あがり!喜びに溢れ、グランプリを受賞。受賞式で涙が止まらなくなる。10年ぶりにラジオDJとして復活した田舎主婦の再生物語のはじまりだ。 ずっとエンジンふかしている状態で進めなかったが、私はここでメッセンジャーになると決めた。いつからでも、何歳からでも復活できる。誰かの勇気になれば。発信は誰かの世界を広げる。私の周波数よ、あなたに届け!!!

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