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年を取ってすくいのないストーリーの小説が書ける人々の凄さ

ビクトルユーゴーのことです。カミュもそうかな。

フランス語の勉強をしてると出てくるVictor Hugoですが、立派な人物ですが、読んでないくせに言うのですが、彼の小説は読めない。ノートルダムのせむし男(Notre-dame de Paris) とかレミゼラブル(Les miserables) とか。辛くても目をそらさずに、きっと最後はすくいがあると信じて読み続けていたら、辛いまま話が終わるような、そんな感じの小説がもう読めないし、楽しめない。読んでないのでわからないくせにいうけど、もちろん希望の光もあるのだろうし、人生の大事な教えとかもあるのだろうが、読めない。自分が影の部分ばかりに感情移入する年になったからだろうか?

若い頃はすくいのない昔の暗いフランス映画やイタリア映画が好きだった気がする。それは、自分とはとんでもなくかけ離れた世界の話だったので距離をもって観ることができたのと、(他人の)辛い人生を正視できる若い鈍感さと想像力のなさと、当時は学生であった自分のそれまでの人生は大した苦労も辛さも(実は)なかったからかもしれないと思う。

(「気がする」と書いたのは「古いフランス映画が好き」と言い続けているうちにそうなったような気もするから。)

どんなに非情で無情ですくいがなさそうな「これはどう考えても収集つかないだろ」と思うような展開のストーリーでも、最後の5分ぐらいで何もなかったかのようにえっ?っとハッピーエンドになるハリウッド映画はバカらしいとは思う。けど、歳をとるとそちらの方が楽でよい。とにかく長く生きてると「実生活の方が大変だってば」というような事もわかるから、だからせめて映画だけでもお気楽でと思うのかもしれない。

最近は、Netflixで観始めた映画やドラマの展開が怖くなって、例えばもし動物や親切な登場人物が殺されちゃったりしたら辛すぎると思って、Wikiで全あらすじを読んで安心してからまた観はじめて、でももうあらすじを知ってるからつまらなくて観るのをやめる、というような事ばかりしている。

年を取ってから”自らの意思で”人生の残酷さに向き合える人は凄いわ。