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震災と向き合う

はじめまして

この一文から始めさせていただきます。

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昨日に引き続き、東日本大震災に関わる施設を訪れた。大学時代の後輩で部活も学部も一緒の後輩だ。施設に向かう道中に震災当時の様子についてお互い話した。後輩は自分の一個下で、震災当時は小学5年生。茨城に住んでいた彼は本震だけでなく余震の影響も大きく、ある種トラウマ的になっていたようだ。そんな事とはつゆ知らず。こんな旅に付き合わせて悪かったなと思った。社交辞令かもしれないが、彼は「今まで目を逸らしてきたことに向き合えるいい機会をもらえました」と言っていた。

今日訪れたのは気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館だ。元々気仙沼向洋高校だったのだが、震災の影響でボロボロになり、遺構として残された施設である。伝承館ということもあり、震災以前の様子や直後の様子などを展示し、震災に関連している映像も上映している。被災された方が動画を回している目の前で次々と家が流され、怯える声や家が流されたと叫ぶ人を見て、涙が溢れてきた。

気仙沼市では津波によってオイルタンクが流されてしまい、海が黒くなった。それにより、地震・津波という被害の後に火災の被害も発生した。海の上に浮かぶ重油に火がつき、広範囲に火災が発生した。完全に消火されたのは2週間後のことらしい。

この施設は当時の状態をほとんどそのまま残しているのである。津波によって流されてきた瓦礫や車などが手付かずの状態。4階まで津波は到達し、3階まで瓦礫が流されていた。特に3階にひっくり返った状態で流されてきた車は衝撃的な光景であった。

別棟の体育館は被害が酷く、屋根が完全に無くなっている。スロープ部分の金属製手すりは完全に壊れ色々な方向に倒れていた。校舎の渡り廊下には車が5台も重なって流されていた。4階の壁は流されてきた冷凍工場によって破壊されている。

自分が知らなかっただけで、あまりにもショッキングな出来事の数々に胸が苦しくなった。私自身も目を背けてきた人間だ。この歳になり、やっと向き合いはじめることができた。

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手の届く範囲にいるあなたが

幸せでいることを願います

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