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「労働時間が長い方が保活点数が有利」という現代社会の怪

認可保育園に子どもを入れようとするときに問題になるのが保育必要性を評価する点数です。いわゆる保活点数ですね。点数が高い人ほど保育園入園が優先されて、第一希望の園にも入りやすくなります。

自治体によってもこの点数設定基準は異なるようなのですが、一般的な傾向に「労働時間が長い方が点数が高い」というものがあります。両親ともにフルタイムだと高得点で、片親でも時短のパートタイマーがいると減点という仕組み。残業時間が長いとさらなる加点というのもあったりします。

労働時間の他にも保活点数には色んな要素が考慮に含まれてはいるものの、基本的にはこの労働時間点数が総点数のメインパートを占めていて、とにかく「労働時間の長短」いかんが入園の有利不利を左右すると言っても過言ではありません。

当たり前のように広く設定されてるこの基準なんですが、冷静に考えるとどうもおかしな設定と思うんですよね。

現状の保育園は基本的に保護者が働いている間に子どもを預ける施設という立場です。だから長い時間働いているということは、その分長い時間子どもを園に預けるということになります。つまり、長時間、保育園の設備や保育士さん方のマンパワーを利用するわけです。

社会的に園や保育士の不足が叫ばれてることから分かるように、(あえてドライな表現をすると)園や保育士さんは希少な公共リソースと言えます。この公共的なリソースが不足していて、それよりも利用ニーズの方が多いから、やむを得ず利用者の優先順位をつけるために点数をつけているという形ですね(誰でも希望の園に入れるぐらいリソースが有り余っていたら点数で選抜する必要がそもそもなくなっちゃいます)。

ここで、より長い時間子どもを預ける人、すなわち、より多くこの公共リソースを使用する人の方が点数が高く優先されるというのが保活点数なわけです。しかし、ただでさえ不足している公共リソースを「より多くより長く使う者」が優先って、なかなか不自然な仕組みだと思うんですよね。

たとえば、公園のブランコを、公園に集まった子どもたちみんなが乗りたがっていたとします。こういう時に大人がどう言うかというと「仲良く順番こね」とアドバイスするはずです。つまり、各々が少しずつ平等に使う方針を取ることで、その公共リソースの恩恵がみんなに行き渡るようにしようとするわけです。ここで「最も長くブランコをこぎ続ける者が使いなさい」という優先順位を教えることはまずないでしょう。

ブランコだと分かりにくければ、もしかすると消費財の例の方がいいかもしれませんね。たとえばグループで遭難中に限られた食糧しかなかったとします。これをメンバーでどう分けるかが問題になりますね。この時に「いっぱい食べたい」と主張する人が優先的に食べて(第一希望園入園)、「食べたいけれどちょっとだけで良いですよ」と言う人が全く食べられない(待機児童入り)ということが起きるというのは、あまり考えられない分配方法でしょう。この時通常まず自然に起こる発想は「平等に食糧を分配する」のはずです。

つまり、限られたリソースを分配割り当てする時に、よりそのリソースを多く利用したいという人が、少しだけ利用したい人よりも(しかもそれを押しのけて)優先というのは、よくよく考えると不自然な仕組みなんですね。少なくとも「それで当然」と言えるほどの自明な基準ではありません。

もちろん、園の設備みたいなハード面だけ見れば、遅い時間まで誰かが使ってる方がアイドルタイムがなくって最大限有効活用できて良いという考え方もあるかもしれません。しかし、保育にはハード面だけでなく、人員のマンパワーというソフト面が必要であることを忘れてはいけません。

この辺は実は医療界も共通の話がありまして。医療でも病床や医療機器を空き時間なく夜遅くや休日までフル回転させる方が医療リソースを無駄なく最大限活用できるじゃないかという発想はしばしば出るんですけど、「で、ただでさえ人が足りないのに、その休日や夜間の仕事を誰がやるの?」という問題が生まれるわけですね。ハード面だけ見てると、このソフト面の人員消耗を見逃しやすいわけです。

従って、その現場によほど人手が余ってるのでない限り、やはり長い時間利用することはリソースをより多く利用することに他なりません。


一応、公平を期すためにフォローしておくと、「より多く使いたい」と言う人に優先的に分配する倫理的ロジックも存在はしています。

先ほどの食糧の例で言えば、飢餓状態で多量の食糧を欲している人と、そんなにお腹減っていなくて今すぐに食べなくても大丈夫ですよという人がいれば、後者の人はほっといて飢えに苦しむ前者の人にガッツリ食糧を割り当てるのは理にかなっています。
つまり、この場合「腹ぺこだからたくさん食べたい」という希望の強さが「必要性の深刻度」を反映しているので、希望の強さ順に優先してリソースを分配するのは妥当ということになります。

おそらくは保活点数も「労働時間の長短」が「保育必要性の深刻度」を反映しているはずという前提で組まれているのでしょう。しかし、正直言って労働時間は「保育必要性の深刻度」を適切に反映している指標とは到底言いがたいところがあります。

たとえば、江草の知る、とあるシングルマザーの方の話。一人親だと仕事以外にもやらないといけないことがてんこ盛りだし、もともと再就職で何とか見つけた仕事先ということで彼女はパートタイマー勤務をされてるのです。彼女はもちろんお金が必要なので、働きに出るために子どもを預ける保育園は死活問題レベルの重要要素です。
ところが、パートタイマー勤務なせいか、さっくり第一希望の園(既に兄が在籍してた園)に落選して、兄弟が離れた園になってしまいました。ただでさえ時間のやりくりに大変なのに、毎日離れた園をはしごして送り迎えすることになったと。しかも、よく知る近所の家庭のお子さんが(自分の子を押しのけて)その第一希望の園に入園していたことが分かり、「なぜうちの方が点が低くなるの?」と悔しがっていました。

他にも、求職中の立場の人の保活点数が低く設定されてるせいで保育園入園が決まらないけど、保育園入園が決まらないとそもそも就職の採用が決まりにくく求職中の状況を脱せられない、みたいな保活トラップも知られています。

個別具体的には色々事情はあるのでしょうけれど(だからそれぞれの事例における役所判断が誤ってると決めつけることはしません)、一般論としてこのような事例は当然起こりえるのですから、短い時間しか働いていない(パートタイマー)だとか今働いていない(求職中)だとかの要素では「保育必要性の深刻度」は分かりえないと言えるでしょう。

「短い時間しか働けない家庭状況だけれども、でも、とにかく働いてお金を得ないとマズい」という深刻な状況の人を、労働時間偏重の保活点数基準は無情にも見落としてしまうのです。


まあ、色々文句を言ってきましたが、かくも不自然な基準にもかかわらず、この基準が保持されてる「大人の事情」も想像できなくもありません。

仮に今、労働時間の長短が保活点数に影響しなくなったとしましょう。短時間でも長時間でも就労さえしていれば保育園入園の有利不利は対等。なんなら、公共リソース共用の観点からして、短時間利用の方がより有利と設定してもいいかもしれません。

これ、理屈の上では合理的なはずではあるのですが、これが実施されると、おそらく途端にママたちが非正規パートタイマーの役割に押し込められ始めるんですよね。

つまり、一転「両親が二人ともフルタイムだと子どもの入園に不利」となったなら、「ではどちらがフルタイムを諦めるか」という話になります。そういう時に、やっぱり諦めさせられがちなのは女性の側になるというのは推測に難くないわけです。今でこそだいぶ仕事や育児に関する男女平等観が普及しつつあるといっても、依然として「育児は女性の役割」という意識は根強いですから、下手をすると昔ながらの男女役割分担の固定化にスルリと戻りかねないリスクがあるんですね。

ここでいっそ「両親とも時短である方が保活点数有利」ぐらいまで一挙に変えると性差問題は出にくくなるはずですが、フルタイム職員を基準に設計されてる世の職場が大混乱に陥るのと、職場における「有子者差別(無子者優遇)」みたいなことも起きうるのと、フルタイム正社員が経済的に圧倒的有利であるままでは偽装離婚が横行しうる(法的には離婚しておいてこっそり同居事実婚を続ける父親がフルタイム勤務を維持する作戦)のと、そもそも経済志向の強い現行の政治や行政では「経済」に影響が出かねないここまでの抜本的な保活点数改革に踏み込むことは考えにくいだろうなあということで、実現はかなり厳しい見通しです。

「長時間労働の方が保活点数が高い」という基準には、すなわち「男女平等に長時間働いて、企業のフルタイムベースの働き方の伝統を維持し、そして皆で経済に貢献しましょう」という思想が埋め込まれてるわけです。

まあでもやっぱりこの基準は実に不自然だし、加点(長時間労働)を求める競争の過熱を誘発する点でグロテスクではあると思うので、背景にある「大人の事情」も分かりつつも、それでも出来る限り見直していった方がいいんじゃないかなあと江草は思います。


おまけ

ふとChatGPT君にもこの点についてさりげなく聞いてみたら、思いのほか真っ当な回答が返ってきたので掲載。

Q. 長時間労働の方が点が高いのが当たり前であることは、どこかおかしい気がします。

A. 確かに、長時間労働の方が保育園の入園に有利になるというシステムに疑問を感じるのは自然です。この制度は、「保育の必要性が高い家庭」を優先するという考え方に基づいていますが、結果的に、長時間働かざるを得ない親が高い点数を得る一方で、短時間労働やパートタイム、フリーランスで柔軟に働く親が不利になりがちです。

この仕組みは、働くことを前提とした保育支援であり、「長時間労働=社会的に価値のある仕事をしている」と暗に評価されているようにも感じられます。しかし、現代社会では、働き方の多様化やワークライフバランスの重要性が高まっており、親が長時間働くことが必ずしも望ましいとは限りません。むしろ、子どもとの時間を大切にする働き方や、働く時間を調整して家庭との両立を図ろうとする姿勢も尊重されるべきです。

このような制度の偏りは、少子化や労働環境の改善を目指す社会的な議論の中で改善が求められる問題の一つと言えるでしょう。育児と仕事のバランスを取りながらも、保育が必要な家庭が平等に支援を受けられるようなシステムに変わっていくことが重要です。

この点に関して、もし「長時間労働の親が有利になるのはおかしい」と感じるのであれば、制度の見直しや社会全体の働き方改革の重要性を訴える議論にもつながるかもしれません。

Q.は江草、A.はChatGPT

うんうん。ほんまそれな。(江草より問題のまとめが上手すぎるAIに嫉妬)

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