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『科学者はなぜ神を信じるのか』読んだよ

気付いたらKindle Unlimitedでブルーバックスが読み放題になっていました。あの科学系の読み物がてんこもりで全国の理系メンたち垂涎のブルーバックスシリーズがです。なんということでしょう。こんなの永遠に読みたすぎて時間がいくらあっても足りないですね。


ともかくも今回読んでみたブルーバックス本がこちら、三田一郎『科学者はなぜ神を信じるのか』です。


といっても実を言うと、この本はKindle Unlimitedで読んだわけではなくて以前購入したまま積読になってたものです。このたび読み放題対象となってることを知り、「ぐう、せっかくお金払ったのにまだ読んでないなんて損した気分」と思ってようやく読み始めたという、江草のズボラさと卑しさが垣間見えるしょっぱい読書背景となっています。

購入した当時の具体的な心境は忘れてしまったのですが、何かたまたま科学と宗教の関係性を思索している時期に本書が目に入って、「ブルーバックスでこんなテーマの本があるなんて珍しい。面白そうだな」と思ったのがきっかけだったかと思います。

著者の三田一郎氏は素粒子論の研究をされている理論物理学者でありながら、カトリック教会の助祭もつとめられてるとのことで、まさに「神を信じている科学者」でいらっしゃいます。本書のテーマを語るのにふさわしい方と言えます。

世の中では「最先端科学が次々と宇宙の謎をも解明しつつある現代世界でいまだに"神"みたいな迷信を信じるなんて愚かだ」ということがしばしば言われます。実際、口に出さないまでも多くの人が抱いている「常識的な感覚」ではあるでしょう。

ところが、不思議なことに当の科学者たちに信仰が篤い人は少なくないらしいんですね。もともと無宗教色が強い日本の科学者ではそうでもないと思いますが、キリスト教の影響が強い欧米諸国では高名な科学者でも普通に神を信じてらっしゃるものなんだそうです。本書でもこの事実の指摘がなされていますが、江草も以前他の本でも同様の指摘を聞いて驚いた記憶があります。(なお、イスラム圏ではどうなのかは情報がなくて分かりません)

一般的な感覚の通り「科学が発展した結果、神のような迷信を信じる余地がなくなった」と言うならば、科学に精通している科学者たちこそより無神論に傾きそうなものですが、どうも必ずしもそうとは言えない。「これはいったいどういうことなのか」という疑問に迫るのが本書です。

面白そうですよね。そして、実際面白かったです。

まず、本書はいきなりキリスト教の成り立ちや聖書や三位一体説などの簡単な解説から始まります。扱うテーマからして当然必要なのですが、こうした本来理系臭むんむんのブルーバックスらしからぬ文系色の強いコンテンツ展開がまずとても異色であり、すごく面白い体験でした。

もちろんその後はさすが物理学者でもある著者で、科学史(物理学史)を追う内容もしっかりと続きます。定番の「地動説VS天動説」のトピックから、最新の「CP対称性の破れ」のトピックまで。この辺はほんとブルーバックスの本領発揮というところでしょう。

キリスト教における神や聖書の扱いをおさえた上で、歴史上の偉大な科学者たちがどのような発見をしてその上で彼らがどのように神を解釈したのかを確認していくというのが本書の大きな流れとなります。つまり、本書は一冊でキリスト教のことも物理学のことも学べる、一粒で二度おいしい贅沢な書籍に仕上がっていると言えます。

しかし、ぶっちゃけてしまうと、本書のタイトルである『科学者はなぜ神を信じるのか』という疑問の「なぜ」について明確な解答までは得られるものではありませんでした。そこに関する明確な解答を期待して本書を読むと、モヤモヤが残るかもしれません。

ただ、本書はその「なぜ」を考える上でのヒントは多分に提供してくれています。たとえばハイゼンベルクやパウリ、ディラックといった名だたる量子論科学者たちが「科学と神」についてディスカッションした様子が記されたハイゼンベルグの手記を紹介されてる箇所は圧巻で、これだけでも本書を読む価値があるかと思います。ここではガチすぎる科学者の方々の間でも「神との対峙の仕方」で意見が分かれ熱い激論を交わす光景が克明に示されています。

本書を読んで「やっぱり神はいるんだ!」と信じることはないと思いますが(その必要もないですし)、「科学が発展したからもはや"神"のような迷信は不要となった」というような一般的感覚は、このディスカッションを見ただけでもやっぱり素朴すぎるのだなと痛感されます。

考えてみれば当たり前のことですが、「科学が発展したこの世の中で神なんて信じるのは愚かだ」と断言するためには、科学と信仰(神学や宗教学)の双方についての熟知が必要になるでしょう。どちらかをよく知らない、ましてや両方ともたいして知らないでそれを断じるのは、勝手に分かった気になっている、二重の「ダニングクルーガー効果」的な傲慢な態度に過ぎないと言えるのではないでしょうか。

つまるところ、「神はいるはずだ」と考えるにせよ「神なんていないはずだ」と考えるにせよ、その真偽はとにかく学び考えて探究することでしか確認できないでしょう。ならば、科学サイドから神の存否にアプローチするのも、信仰サイドから神の存否にアプローチするのも、アプローチ方法が異なるだけで等しく「神の実態」に迫ろうとする営みです。言ってみれば登山道が異なるだけで目的となる頂上は実は同じなのかもしれません。

だから、もしも神がいるとするならば、わざと自身の存否を曖昧にして人をこうして「世界の探究プロセス」に駆り立てている点にこそ、さすが神の御業というべきエレガントな企みが隠されてるようにも思えてきます。実のところ「神がいるかどうか」という問いの真実自体にはあまり意味はなくて、むしろ「その問いをめぐる人間模様」にこそ神が宿ってるのではないか、そんなことを感じさせられるのが本書の面白いところです。

ただ、本書に難を指摘するとすれば、立場上仕方ないかもしれませんが、著者がいくらか信仰側に与してる傾向があるのは否めません。とくに終盤で紹介された、かの有名な宇宙論科学者のホーキングを無神論者でないと解釈するのは少々無理があるかなあと感じます。他にも世の中にはドーキンスのように無神論者の立場を明確に表明する科学者もいますから、本書で採り上げられた科学者が信仰側に都合の良いチェリーピッキングだと考えることもできないわけではありません。

とはいえもちろん読者を信仰に誘うような押し付けがましいような所は一切ないですし、ブルーバックスらしく宇宙論を始めとする物理学の知識もふんだんに学べるということで、知的にも魂的にも学びが得られる良書であったと思います。

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