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『WORLD WITHOUT WORK』読んだよ

僕たちの祖先を悩ませていた経済問題、どうすれば経済のパイを全員が食べられるだけの大きさにできるかという問題は消滅し、かわりに3つの新たな問題と入れ替わっていく。1つめは、不平等の問題。この経済的繁栄を全員で分かち合うにはどうしたらいいのか。2つめは、政治的支配力の問題。繁栄をもたらす技術を誰が、どのような条件で制御すべきなのか。そして3つめは、人生の意味の問題。得た繁栄を使ってただ生きるのではなく、よく生きるためには、どうしたらいいのか。

『WORLD WITHOUT WORK――AI時代の新「大きな政府」論』


ダニエル・サスキンド『WORLD WITHOUT WORK』読みました。

タイトルや紹介文がもう完全に自分好みの本だったので、薄々予感はしていたのですが、めちゃくちゃ良い本でした。個人的に今年読んだ本の中でベスト書籍レベル。最近では『暇と退屈の倫理学』と一、二を争う感動です。こういう本に出会えるから読書はやめられない。

どんな本か

著者はイギリスの経済学者のダニエル・サスキンド氏。
テーマはタイトル通り「仕事がない世界」についてです。
別にそういう世界を夢想した架空のSF小説ではなく、まさに現実の私たちに近い将来訪れるであろう「仕事がない世界」というとてつもなくヤバい問題を指摘している、めちゃくちゃ真面目な論説本です。

現在の私たちの社会は「働いて稼いで税金を納めること」を基本として経済や政治を回しています。
誰が「どれだけの報酬を得るか」も仕事の働きによって決めています(必ずしもそれがうまくいっていないのは他書『給料はあなたの価値なのか』が指摘している通りですが、少なくとも多くの人はそのつもりでいます)。
その上、「とりあえずビール」レベルで「お仕事は何をしているんですか」ととりあえず尋ねるのが社会人の間で定例化していることからも表れる通り、仕事が個々人のアイデンティティとも色濃く結びついています。
このように「仕事」は私たちの社会において心臓とも言える全ての「要」となっています。

ところが、著者は肝心要の「仕事」がない状況が迫っていると本書で警鐘を鳴らすのです。仕事がなければ、この社会において、経済は回らず、利益の分配もままならず、個人のアイデンティティ危機に陥りかねないわけですから、確かに大きな問題でありましょう。

なぜ仕事がなくなるのか

ではなぜ「仕事がなくなるのか」と言えば、著者はAI技術を始めとする技術革新をその主因として挙げます。いわゆる「AIに仕事が奪われる問題」です。
これだけ聞くと『機械との競争』や『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』など、同じようにその危機を訴える類書はすでに数多出ていますから「またその手の話ね」と思われるかもしれません。
ただ、本書の特徴は、とにかくこの「AIに仕事が奪われる問題」を丁寧に幅広い視点から考察していることです。とくに「AIに仕事が奪われる問題」もすでに多くの人に知れ渡って長いこともあり、世の中には様々な反論や楽観的な見方も出現しています。
しかし、あくまで謙虚で丁寧な姿勢を貫きつつも、著者は定番の楽観論をひとつひとつ鋭く反論していくのです。「人間が自信過剰になってAIなめてたらあかんで」と。

たとえば、よく言われる「AIに仕事を奪われないように人間にしか出来ないスキルを持った人材を教育で育成しよう」という「教育重視」の発想も、AIの力を過小に見積もっており、かつ同時に教育の力を過剰に見積もっているとして著者は退けます。

あるいは労働経済学では定説とされている「労働塊の誤謬」――仕事の総量が決まっているために誰かが仕事を得ると誰かの仕事が奪われるとする発想は誤りであると指摘する概念――も、著者は今回のAIの台頭には当てはまらないとして「『労働塊の誤謬』の誤謬」であると否定してしまいます。

本書のこれらの具体的論証をここで詳述するのは難しいですので、ぜひ皆様にも本書をあたって吟味していただきたいのですが、ひとまず一読者の感想として全体になかなか説得的な論証であると江草は感じました。

考察の視野の広さが素晴らしい

また、この「仕事がない世界」の危機を描き出すにあたって、『大学なんか行っても意味はない?』の主題であった教育の「シグナリング効果」や、『実力も運のうち 能力主義は正義か?』で警鐘が鳴らされた能力主義の台頭、『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』で(その名のままですが)提唱された「ブルシット・ジョブ」の概念にも言及されているという本書の考察の視野の広さも素晴らしかったです。
主題が主題だけに、ともすると雇用問題の部分にばかりフォーカスしてしまいそうなところ、広く関連問題も押さえてる姿勢は大変好感がもてます。
これら全て過去に江草が個人的に感銘を受けて感想文を書いていた本でありまして、今まで読んだ書籍から得た知識が有機的につながった感触が得られたのが本書の感動ポイントのひとつになっています。

(一応各書の感想文のリンクを貼っときます)

「仕事がない世界」を理解する上での大事なポイント

「仕事がない世界がやってくるぞ」という本書の主張を理解する上で、誤解がないようあえて明記しておきたい大事なポイントが2点あります。

①「仕事がない世界」は徐々にやってくる

ひとつは、「仕事がない世界」というのはビッグバン的にある日突然やってくるものではなく、波がありながらも徐々に進行するものであるという点。現在進行形で進んでいるし、将来も進み続けるものであるために「いつ頃やってくる」と言うことはできない現象なのです。ある特定の時点で発生するイベントではなく、進行し続ける中長期トレンドであると理解するべきものです。
これはすなわちすぐに「仕事が全くない世界」になることはないということを意味しているわけですが、これが朗報であるかといえば必ずしもそうではないと江草は考えます。
有名な「茹で上がるカエル」の比喩でも知られている通り、徐々に進む現象について私たちは鈍感になりがちです。すると、既に本質的に人間が担うべき仕事が減少しつつあるにもかかわらず、「仕事をしない人間は怠け者である」と批判したり、「(無理矢理にでも)雇用を作ろう」などと的はずれな対策をとってしまったりする危険性があります。たとえば、本格的に「仕事がない世界」が誰の目にも明らかなレベルで表出する前の段階では、「高給の仕事がある人間」が偉く「仕事がない人間は無能な怠け者」の負け組であるとする、労働者の間での競争やいがみ合いばかりが過激化してしまいうるかもしれません(既になってる気もします)。本当の問題は仕事分野におけるAIとの競争に人類が負けたことであるにもかかわらずです。
このように、ほっておくと気づきにくい問題だからこそ、本書のように真剣に問題提起をしてくれる議論は極めて貴重と言えます。

②「仕事がない」とは「有償の仕事が足りなくなる」という意味

ふたつめは、「仕事がない世界」が指してる仕事というのはあくまで「有償の仕事」であって、人間が担うべき活動が皆無になると著者が言っているわけではない点です。むしろ、文化芸術活動であったり、学術活動であったり、政治やコミュニティの活動であったり、育児などのケア活動であったり、人がやるべき活動はまだまだ残ってると著者も認めています。だからこそ、「仕事で稼いでるかどうか」という経済的価値を人間の存在価値と結びつける考え方に著者は警戒心を隠しません。
ただ、先程も江草が述べた通り、現在の私たちの社会ではシステム的にも内面心理的にも「(有償の)仕事があること」を前提に回っています。
したがって、「仕事がない世界」を迎え入れ、人々が有償の仕事ではない「他の活動」に軸足を移すためには、社会的にも思想的にも様々な大改革が必要となるわけです。
当然ながら前途多難な改革ではあるのですが、難しくてもそれをやらざるを得ないというのが本書のメインメッセージとなっています。

具体的対策と経済学の限界

で、こうした問題提起と現状分析を得たならば、気になるのは「じゃあ具体的にどうしたらいいっていうのさ」という点でしょう。

本書前中盤の「仕事がなくなる」という点の論証の場面ではバッサバッサと反論を勢いよく叩ききっていた著者ですが、終盤の「具体的にどうすべきか」の話の部分ではちょっとトーンダウンして端切れが悪い曖昧な物言いが増えます。
でも、むしろこここそが著者の謙虚な態度が表れていて、非常に好感を持てるところです。
著者は「仕事がない世界でどうすべきか」はもはや経済学の範囲を越えた問題であるとして、自身が経済学者でありながら経済学の限界を認めます。「人生の意味」や「どういう社会を目指すか」につながるこの問題は、もはや経済学者がどうこう言うものではなく、社会のみなで決めることであるし、経済学よりも政治理論学者や倫理哲学者の方が重要なタイプの議論になるだろうと。


僕は経済学者として、今ここで墓穴を掘っているのかもしれない。だが、こうした政治的問題について今の経済学者が繰り広げる議論は──本当はそれもこれも経済問題なのだ、と主張するにせよ、いやいや自分たちは政治問題の知識もあるのだ、と主張するにせよ──場合によっては聞くに堪えない。新しい試練を解決するためには、過去に経済的支配力の試練に取り組んできた人々とはまったく別の、新しい人材が求められるということを、僕たち全員が認めなくてはならない。必要なのは、政治理論学者と倫理哲学者を起用した新しい機関だ。

『WORLD WITHOUT WORK――AI時代の新「大きな政府」論』


仕事がない世界で、いわば「暇な世界」でどう過ごすべきかという問題は、まさしく哲学者によって語られた『暇と退屈の倫理学』に接続されるところです。これもまた、江草が読んだ他の本とつながるところで、とても感激したポイントになりました。

条件付きベーシック・インカムを始めとした興味深い提言の数々

もっとも、著者は経済学の限界を認めつつも、経済学者の視点からできる限りの様々な対応策の案を提示されています。週あたりの労働日数の制限、労働所得課税の強化、資本課税、相続税強化、大企業への課税強化、ビッグテック企業の政治的支配力独占の監視機関の設立、条件付きベーシック・インカムなどなど、それぞれ読む人によって賛否が分かれるかと思いますが、真剣に考えられた興味深い案が並んでると思います。

特に面白かったのは「条件付きベーシック・インカム」の議論です。いまや様々なところで支持を集めつつある「ベーシック・インカム」ですが、給付条件を問わない「ユニバーサル・ベーシック・インカム」が想定されていることがほとんどです。
しかし、著者は「ユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)」の長所はもちろん承知の上で、その実践上の問題点を指摘し、あえての「条件付きベーシック・インカム(CBI)」を提唱しています。このUBIの問題点の指摘と、提唱されてる「コミュニティへの貢献」という「CBIの給付条件」は江草もあまり考えたことがなかった視点であり、読んでいてとても刺激的な箇所でした。
もっとも、ベーシック・インカム自体には著者も基本的に賛同している立場であり、社会に実装するにあたり具体的なベーシック・インカムの設計をどうすべきかという実践的な前向きな議論の段階にまで踏み込んだと言えるでしょう。

まとめ

というわけで、人類史上でも稀に見る大変革につながりうる問題提起をされた本書。
お値段も高いですしそこそこの長さもありますが、全般本文は読みやすいですし、変な嫌味や皮肉も少ない丁寧かつ謙虚な姿勢で貫かれているので、万人にオススメできる一冊です。
ベタ褒めしすぎているので、江草の信念バイアスが入ってる可能性がある自覚もないではないのですが、その可能性もあるからこそ、ぜひぜひいろんな価値観をお持ちの方に広く読まれて「仕事との付き合い方」に係る社会的議論が深まってほしいなあと思います。

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