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【書評】「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」~私たちは労働から解放され自由になれるのか~

●膨大な数の人間が、本当は必要ないと内心考えている業務の遂行に、その就業時間のすべてを費やしている。
●まるで何者かが、私たちすべてを働かせ続けるためだけに、無意味な仕事を世の中にでっち上げているかのようなのだ。
●こうした状況によってもたらされる道徳的・精神的な被害は深刻なものだ。それは、私たちの集団的な魂を毀損している傷なのである。けれども、そのことについて語っている人間は、事実上、ひとりもいない。
●自分の仕事が存在しない方がましだとひそかに感じているようなとき、かりそめにも労働の尊厳について語ることなど、どうしてできようか。
(p12より)


7月に邦訳された文化人類学者デヴィッド・グレーバー氏の新書「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」が話題です。

「ブルシット・ジョブ」すなわち「本人でさえ無意味と感じてる内容なのに対外的には有意義であるかのように振る舞わなければいけない仕事」の蔓延の指摘を通して、虚無的な労働社会への警鐘を鳴らす本書。



大変面白く、発奮させられる一冊でした。

「テクノロジーの発達で生産性は高まっているはずなのに、なぜ私たちはまだ長時間働いているのか」ひいては「自由な社会とは何か」を問い直す、社会的にも重要な意義のある書と思います。


折しもつい先日著者のグレーバー氏の訃報がありました。本書を興味深く拝読して感激していたばかりのところの急な訃報で、誠に残念でなりません。

追悼の意も込めて、どんな本か気になってる方のためにざっと本の概要やキーポイントを紹介したいと思います。


読破には気合がいる分厚い本

本書はざっと「ブルシット・ジョブの定義、分類」「ブルシット・ジョブの精神的暴力性」「ブルシットジョブの原因、背景」「今後どうするべきか」という流れで進んでいきます。

なかなか分厚い本ですし、少々読みづらいところもあるので、読破には気合が要ります。

ただ、内容の重厚さや考察の精緻さはさすがですし、誰しも共感させられるような「労働あるある」が詰まった本で、つい笑ってしまうところも多いです。本書のテーマに興味がある方、自分の仕事の意義に少しでも違和感をお持ちの方には、とてもオススメです。


「ブルシット・ジョブ」の定義

本書を読む上で一番大事な「ブルシット・ジョブ」の定義。著者は丁寧に理由を示しながら、最終的に下記のように定義しています。

ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。(p27-28)

他人の評価でなく自分自身でもおかしいと感じていることを重要視しているところ、外見を取り繕わないといけない欺瞞的要素があるところがポイントです。

「ブルシット・ジョブ」について、「勝手に他人が意味のない仕事と決めつけるな」という声も時々見られますが、著者が「本人が無意味と感じてる仕事」と定義してる以上、誤った批判と言えます。(なお、「本人が意義に気づいていないだけ」という批判にも著者は丁寧に反論しています)

本人が無意味と思っているのに外見を取り繕わないといけない欺瞞的要素も重要です。その内外の矛盾に耐えられず個人が精神を病む「ブルシット・ジョブ」の毒性の源となっています。


特徴的な大量の具体例の提示

本書は「ブルシット・ジョブ」が蔓延していること、およびその害悪性を、インタビューや体験談で集められた大量の具体例をもとに提示しているのが特徴的です。

p101からのエリックの体験談なんて印象的です。


大学を卒業し晴れて就職したら、全くもってカタチばかりの「インターフェース管理者」という無意味な仕事についたエリック。

これは会社内の反目しあうグループ同士が、建前上はちゃんと連携をしているように見せかけるためのシステムを管理する仕事で、このシステムは機能もしないし望まれてもないのにただ管理する存在は必要だったといいます。

エリックが耐えかねてわざとサボってやめようとしてもやめさせてもらえないどころか給与がアップする冗談のような状況が続き、有意義な仕事をしたい想いとの矛盾にさいなまれる精神的苦痛が語られています。


本書は統計も一部用いられていますが、こうした個人の声ばかりであり実証的でないと批判する方も少なくない様子です。

でも、それは妥当ではない批判です。

「意味のある仕事か?」といった価値の判断は客観的な数値を出せるものではなく、どうしても主観的にならざるを得ないので、事例を集める質的研究の要素が強いのは当然です。

江草としては、むしろこうして客観的な数値に表れないような、主観的な違和感が多発していることこそが、現代社会の論理実証主義や数値管理主義の盲点や問題点を示唆していると感じます。

「数値に表れないから問題ではない」とは言えません。「数値に表れない問題」もこの世にはもちろんあるのです。


「ブルシット・ジョブ」は能力が低い人の問題ではない

「ブルシット・ジョブ」に対して「能力の低い人にもできるようなしょぼい仕事をあてがわないといけないから仕方ない」と言う人がいますが、これもよくある誤解です(もちろんそういうケースもあるとは思いますが)。

先のエリックの例もそうですが、学歴があり、能力が高い人もブルシット・ジョブにはまりこんでる現状が本書では多数指摘されています。著者も高学歴が集う金融業が「ブルシット・ジョブ」の範例であると言ってるぐらいです。

また、ただ待遇が悪くてきつい「シット・ジョブ」とも別の概念であることを著者は強調しており、混同しないようにしなければいけません。


「ブルシット・ジョブ」は「お役所」の問題ではない

これもまたよく誤解される点のようですが、「ブルシット・ジョブ」は、いわゆる「お役所仕事」な公的機関の問題ではなく、資本主義にのっとり効率的であることを自負する民間企業でも起きています。この点を、著者は実例を多々挙げ、ページをかなり割いて考察しています。

資本主義は効率を追求するからそんな無駄な仕事が生じることはありえないと思っていたら、実際には無駄だらけで灯台下暗しになっていたという衝撃的な指摘です。

本書最大の複雑な考察の部分でもあり、一言では言いにくいですが、効率的なはずの資本主義の理想が成り立っていない原因として、「ブルシット・ジョブ」が純粋に経済学的な問題ではなく、政治的な側面を持ち、私たちの価値観にも依存する問題であるからと、著者はとらえているようです。


「ブルシット・ジョブ」の高待遇、「エッセンシャル・ワーカー」の低待遇

本書が、「ブルシット・ジョブ」は得てして金銭面での待遇が良い傾向がある一方で、有意義な仕事をしている看護師や教師などの「エッセンシャルワーカー」の方が待遇が悪いことを指摘している点も重要です。

著者は「道徳的羨望」のために、有意義な仕事をしている人が対価として金銭を要求することに反感を持たれやすいためと、原因を考察しています。

「そんな有意義な仕事をしているのに、その上、金銭まで欲しがるなんて!」と「特に有意義でない仕事をしている人」から批判が出るというわけです。

「待遇」と「有意義さ」のトレードオフ関係は面白い着眼点です。

確かに、日本でも医療者や教員のブラック労働の問題が指摘されているように、有意義な仕事ほど「聖職」扱いで、過労でも休めないし、ストライキや昇給も要求できないという矛盾はあるように思います。


「ブルシット・ジョブ」蔓延の背景と対策

「ブルシット・ジョブ」の蔓延の背景に、著者は、経営管理主義(マネジアリズム)や、労働そのものを美徳とする労働信仰があると指摘しています。

科学者は助成金を得るために、研究そのものより、管理者・監視者へのアピール合戦に労力を割かれます。

人々は、無職者を軽蔑し、雇用を奪われることを恐れ、(内容の意義にかかわらず)雇用を確保する政治家を支持します。

言われてみると、確かに私たちの社会にそういう傾向はあるんですよね。


著者は「ブルシット・ジョブ」の対策にも触れています。あくまで「本書は問題提起の書である」として、控えめな解決策の提示ながら、ケアリングの価値の再考と、普遍的ベーシックインカムを示唆しています。

つまり、労働により何か価値を生み出さなきゃいけないという「生産的」強迫観念から抜け出し、子育てのような人と人の間に生じるケア的活動が大事であると見直すこと、生活と労働を切り離すこと、という私たちの労働観の根本的改革が必要というわけです。

ただ、著者も指摘する通り、なかなか一筋縄ではいかない問題なのは間違いなさそうです。


【まとめ】私たちの「働き方革命」につながる意義ある一冊

本書でも冒頭で紹介されてましたが、かの20世紀の著名経済学者ケインズは今後生産性が向上するので週15時間労働で足りる時代が来ると予言していました。

しかし、21世紀になり、時代が進んで生産性が高まってるはずなのに、「食べていくために共働きしないといけない」「仕事にありつくために良い大学を出なきゃいけない」などと、むしろ労働への量的・質的な依存度はますます高まるばかりですし、一方で何の意味があるのかわからない空虚な書類仕事や会議は増しているようにさえ感じられます。

どうも私たちの働き方の様子は思ってたのと違います。


そんな中、本書は「ブルシット・ジョブ」を解体することを通して、現代の労働システムの矛盾点を詳細に描出しています。私たちがちょうど薄々感じていた労働への違和感を具体化し、問題意識を高める意義ある一冊といえるでしょう。

並行するように「働き方改革」「ベーシックインカム」の機運がちょうど高まっているのも、この「ブルシット・ジョブ」問題と無関係ではなく、根は同じ「現代の労働システムの綻び」なのだと思います。


生産性が高まってるのだから、少なくとも昔よりは私たちは労働から解放され自由になることができるはずです。

「働かざる者食うべからず」に代表される勤労主義、職業が個人のアイデンティティと化している自己認識からの脱分化、など越えるべきハードルは高いですが、本書の助力も糧に、多くの人の多くの時間を費やしている「労働」を根本から見直すことで、みなが本当に自由に尊厳をもって生きられる社会の実現につながることを期待しています。





以上、とりあえずざっとのレビューと感想でした。

浅い読解で誤った解釈をしてしまっている部分もあるかもしれませんが、なんとなく雰囲気がわかっていただけたら幸いです。興味を持たれた方はぜひ書を手にとってみてください。

個人的にも本書の内容から発展して考察したい点は多々あるので、また折を見て本書には触れていきたいと思います。


最後になりますが、改めて、このような素晴らしい書を執筆されたグレーバー氏のご冥福をお祈りします。


関連記事

本書に興味を持たれた方は、関連して、ボブ・ブラック「労働廃絶論」の小論を読むと染み入ると思います。 

人は皆、労働をやめるべきである。
労働こそが、この世のほとんど全ての不幸の源泉なのである。
この世の悪と呼べるものはほとんど全てが、労働、あるいは労働を前提として作られた世界に住むことから発生するのだ。
苦しみを終わらせたければ、我々は労働をやめなければならない。



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