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誰もが働かなくても食べていけるようになった世界

みんなの反応が面白かったこのまとめ。

発端のこのポストから、色んな人が色んなコメントをする流れに。

江草は常日頃からこのテーマばっかり考えてるし、このテーマを考えてる人の記事や本もよく読むものの、慣れ親しんだガチ勢の意見ばかり聞くのもいかんせんエコーチェンバーになりえるおそれがあります。だから、こうして多くの人の反応が見られるのは興味深く新鮮だったのです。


さて、パッと見、「人を暇にするとろくなことをしないから労働させておいた方がいい」という反応はけっこう目立ちますね。「小人閑居して不善をなす」ということわざも持ち出されてきて面白い。

まあ、ベーシックインカムの是非の議論なりなんなりで自然と出てくる立場なのですけれど、どうなんでしょうね。

なにせ、現代社会では大衆の教育程度は2000年前はもちろん100年前とも比べ物になりませんから、そんな昔のことわざや古代ローマの事例で「人々が暇をしたらろくなことはしない」が正当化できるかどうかという議論は必要でしょう。

閑居の身になった時の振る舞いを涵養するのがリベラル・アーツです。そして、そうしたリベラル・アーツを学べる場所であるはずの大学への進学率はうなぎ登りの状況です。

図録▽高校・大学・大学院進学率の推移 -社会実情データ図解

このように、大衆がリベラル・アーツに触れてる機会が人類史上、類を見ないほど増えてることを鑑みれば、人々が「暇」すなわち「自由」をもてあますとするのはさほど自明なこととは言えないように思います。

もっとも、「医学生には教養科目なんか学ばせずに専門教育を増やせ」などと寂しいことを堂々と主張する医療界の偉い人もいるご時世ですから、大学でリベラル・アーツ自体が軽視されてたり、まともに学ばれなくなってるという可能性はあるでしょう。

それは「リベラル・アーツがビジネスや経済活動に役立つ知識じゃないから」ということなのでしょうけれども、そうなると「人が閑居の身になった時に輝く知識」(リベラル・アーツ)を追いやってるのはむしろ「仕事」に他ならないでしょう。つまり、人々に仕事ばかりさせていることが「小人閑居して不善を為す」を助長してると言えます。

だから、本来大学の主要なミッションであるはずのリベラル・アーツをわざわざ押しのけてまで仕事に直接的に資する学びばかりを優先させておいて、「ほら見ろ、人々は暇をさせてもろくなことがない、だから仕事させることが必要なんだ」と宣うのは、餓死寸前まで人を追いつめておいてから目の前にパンをぶらさげて「ほら見ろ人は自然とパンを盗む性悪な存在だから死ぬべきなんだ」と主張するような、奇妙なロジックに思います。

本当に「小人閑居して不善を為す」が問題だと思ってるのであれば、リベラル・アーツを学ぶ機会をもっと広げるべく、大学の仕事技能偏重傾向をこそ問題視するべきではないですかね。

まあ、科学実験と同じで、理屈だけではどうにもならず、どちらにしてもやってみないと(暇を人々に与えてみないと)分からないのですから、江草はやってみたらいいんじゃないかと思うんですけどね。

↓この「実験と理屈の関係性」の議論は過去に記事にしています。


あとは、この視点も面白いですね。

ここで言われてるショートショート作品は星新一『未来いそっぷ』に収録の「余暇の芸術」ですね。

江草も若い頃に星新一作品は全読破したのですが、確かこの『未来いそっぷ』が星新一にハマるきっかけとなった最初の一冊だったと思うので、めちゃんこ懐かしいです。

で、「余暇の芸術」というのは、みんなが暇になった架空の未来、お互いの創作物を鑑賞し褒め称えないといけない空気が社会に蔓延し、案外窮屈な生活となってるという皮肉が利いた作品です。(ネタバレですみません)

芸術という大義名分に、義理や友情がからんでくると、防ぎようがない。いくらかの金を払えばかんべんしてもらえるということじゃないのだ。いちいち出かけ、時間をつぶし、苦痛をしのび、とんちんかんでない称賛の辞をのべなくてはならないのだ。
まあ、たまになら、それもいいだろう。しかし、毎日なのだ。詩の朗読会だの、長唄ながうたの会だの、なにかしらある。みなが余暇になにかしらやり、その発表意欲を満足させようとしているからだ。平日の午後および休日の全部が、それらを回ることでつぶされてしまう。
「ああ、なんということだ。つとめ先で午後まであくせく働いていたむかしのほうが、まだしもよかったようだ。こんなことでいいのだろうか……」

星新一『未来いそっぷ』「余暇の芸術」

今、江草も改めて一篇通しで読んでみましたが(まだちゃんと手元にあった)、ほんとよくできた作品で、星新一氏の天才的洞察力に衝撃を受けますね。1970年頃の作品らしいのですが、今のSNSで「いいね」集めに奔走したり、既読スルーを避けるために必死になったりしてる人々の姿を予言したかのような内容に驚かされます。

そうなんですよね。
この作品の鋭さは「人々が働かなくても生きていけるぐらいに物質的に豊かになったとしても人間関係や承認欲求の悩みはなくならない」ということを見事に描き出してるところにあります。

他、星新一氏に限らず、人々が働かなくても生きていける物質的に豊かな(ラグジュアリーな)世界はまさに目の前にあるとして「完全自動のラグジュアリーコミュニズム」(FALC)への社会変革を提唱しているアーロン・バスターニも、これが必ずしも完全なユートピアではないことをあえて注記しています。

FALCは終着点ではなく、始まりである
〈第三の断絶〉の核心にあるものとして本書で概説したいくつもの転換は、終着点ではなく始まりである。FALCとは、恒久不変の楽園の設計図などではないーーそうした設計図は、どのみちいつも期待外れだった。それはまた、諍いや脆弱さが過去に葬り去られ、悲しみや苦しみが消失する境地などでもない。おごりや強欲や嫉妬は、われわれが存在し続ける限りなくなりはしないだろう。人々のあいだに生じる軋轢を調停することは政治の本質であり、たがいに共有しあういかなる社会においても避けることはできない。

アーロン・バスターニ『ラグジュアリーコミュニズム』

つまり、無限とも言えるほどの物質的な豊かさがあっても、解決できないのが人と人とのかかわり合いの問題だというわけです。

考えてみれば、そうですよね。昔に比べれば物質的には相当に豊かになったはずですが、たとえばスマホが人間関係の問題を解消してくれたかと言えばそんなことはないのは皆様がご存知の通りです(なんなら「悪化させた」と考える方もいるでしょう)。

もちろんテクノロジーの発達や都市化の進展により、人間関係での衝突を避けるべく人との交流を疎にしていくのが現代社会ではトレンドとなっています。これは一見すると人間関係の問題を解消してるようにも見えるかもしれませんが、それはそれで今度は人間関係が疎になりすぎて孤独にさいなまれてるというのが現代人がものの見事にハマってる「ヤマアラシのジレンマ」です。人と衝突することも孤独になるのも結局はひとつながりの人間関係の悩みではありましょう。

物質的豊かさは、こうした人間関係の問題を直接的にはどうこうしてくれないですし、あるいは個人の心のうちにある承認欲求のような煩悩の問題もどうにもできません。(間接的には良い効能はあるかとは思いますが)

だから「誰もが働かなくても食べていける世界」は完全無欠のユートピアでは決してないんですね。

ただ、だからといって「じゃあ仕事が必要だ」となるかというと、それも変な話でしょう。たとえ「仕事がなくなったからといってユートピアでない」が真であったとしても、別に「仕事があるのがユートピアだ」が真になるわけではないのですから。

もちろん、世の中を仕事だらけで埋め尽くしたことで個人も社会も幸せで丸く治まってるならかまわないのですけど、そうではないから冒頭のポストのように「誰もが働かなくても生きていける社会になったらなあ」と夢想するわけでしょう。仕事主義社会も決してユートピアではありません。

むしろ、そうした「なにがなんでも仕事が必要だ」とする態度は、こうした人間的問題の苦悩と向き合いたくないために仕事というモラトリアムに逃げ込んで駄々をこねてるだけのようにも思います。その結果として意義があるんだかないんだか分からない謎の仕事(ブルシット・ジョブ)が増え、人々がより苦悩するようになってるなら、さすがに理性的でない混乱した態度と言えるでしょう。

だから、ここらで一歩踏み出すべき、人々が仕事から解放される「新たな始まり」のステップに足をかけるべき、というのはさほど変な話ではないと思うんですよね。

江草はこれを「幼年期の終わり」と勝手に名付けてるんですけど(言わずとしれたアーサー・C・クラークの名著のオマージュ)、「仕事がないとイヤダイヤダ」と駄々をこねてる人類の時代から、仕事主義から脱皮して人間の根源的諸問題(人間関係とか個々人の煩悩)に向き合う決意を固めた人類の時代にそろそろ変化してもいいんじゃないかなと。

そうそう、アーサー・C・クラークはちょうどこんな本稿にぴったりの名言も残されてるとのこと。

未来に目指すべきなのは、完全失業だ。
そうすれば、遊べるようになるからな。

アーサー・C・クラーク


まあ、そんな感じで本稿では何か具体的な結論があるとかそういうわけではないんですけれど、「誰もが働かなくても食べていけるようになった世界」について色んな意見を見れたのは面白かったというお話でした。



以下、おまけ。

この議論に関しては過去に江草が読んだ『WORLD WITHOUT WORK』もお勧めです。

読書感想文がまさかのnoteコンテスト受賞も果たしたという思い出の一冊。


「暇と人間」という観点でいうと『暇と退屈の倫理学』もうってつけですね。


あるいは、ホモ・ネーモ氏の『労働なき世界』もいいですね。

(ヨカ神、もはや懐かしい)


「仕事をなくすべきかどうか問題」あるいは「仕事はなくせるのかどうか問題」は日々、次々と色んな論者や本が登場していて、現代社会におけるホットトピックだなあと感じます。

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。