『労働なき世界』読んだよ
ホモ・ネーモ『労働なき世界』読みました。
ホモ・ネーモ氏は、ここnoteで江草と相互フォローさせていただいている間柄の方。日頃より、世の中の労働主義への批判と、余暇の追求の必要性を主張されてる方で、いわば日本版「アンチワーク」派のネット論客のお一人です。
匿名でnote運営されてるのもあり、正直謎が多い方ではあるのですが、普段は普通にサラリーマンをされてるとのことで(今は育休中とも)、学者であったりジャーナリストであったり活動家であったりといったこともない一般人のご様子です。
しかしながら、一般人とはとても思えない鋭い文章を日々けっこうな高頻度で投稿されていらっしゃって、勝手ながら江草が一目も二目も置いている才気あふれる人物の一人です。本もめっちゃいっぱい読んでらっしゃるし。とにかく弁が立つのです。(いや、ほんと只者とは思えない……)
そんなネーモ氏がこの度Kindle Direct Publishingで初の自己出版をされたとのことで、早速購入して読ませていただきました。
すぐに読みたくってKindle版の方で読んではしまったのですが、実書籍のペーパーバック版も買えるとのことで、そちらも購入。
届きました。
KDPのペーパーバックというものを初めて入手したのですが、思ったよりしっかりした作りで驚きました。実の書籍を個人で出版社や印刷所と交渉などせずとも出せるようになるとは、すごい時代になったものです(Amazonとは少々お付き合いが要りますが)。
多少の誤字脱字はあるものの(編集者や校正者なしに個人で除去しきるのは困難ですからこれはご愛嬌というところでしょう)、目次であったり、章の合間にはさみこまれるコラム的なネタであったり、エピグラフがかっこよく挿入されてたり、レイアウトや構成はかなりしっかりされていて、初めての著書とは思えない仕上がりになっています。商業出版本に迫るクオリティだと感じました。
江草的には内心「うますぎますよ、ネーモさん!!やってたでしょ!?」という気持ちです。
さて、外見的なことはこの辺にしておきまして、肝心要の書籍の内容はどんなものかと言いますと。
一言で言えば、ネーモ氏が普段から強く主張されている、労働主義からの離脱と余暇の追求を勧める内容です。
いかに「働きすぎ」がこの社会やひいては地球環境を毀損しているかを鋭く解説し、そしてその悪しき労働主義から離れるために、余暇の追求を第一義とする思考様式をインストールすることを促しています。その流れで、私たちの社会の暗黙の前提となっている「お金」や「生産性」への信仰や、「実力主義」、「利己的な人間観」も批判していくことになります。
この辺の論の展開は非常に見事なので、筆力に乏しい江草がここで説明するのは野暮というもの。是非実書でご覧いただきたいところです。
これらの主張を聞いて「そうだそうだ」と思われる方はもちろん楽しめるでしょうし、「なにアホなこと言うてんねん」と思われる方はより一層楽しめると思います。
ただ、ひょっとすると、途中途中に差し込まれる、「ヨカ神」を崇める「ヨカ教」ネタは多くの方が眉をひそめてしまうかもしれません。宗教っぽいものに身構えてしまうのは現代の社会人の自然な防衛反応ですから、それは仕方ありません。
しかし、これは、世の中の「労働」や「お金」の扱いが事実上の信仰の域に達しているからという背景を理解していただきたいところです。その信仰に対抗するためにこちらも信仰として「余暇」を掲げてやろうというネーモ氏の一級のユーモアとアイロニーが込められた演出と言えます。
いわば「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」みたいなものです。こうしたパロディ宗教ネタって一見冗談なようで実に本質的な問題を鋭く突いてたりするものなので侮ってはいけません。(「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」は普通に科学哲学の講義で出てくるぐらいですからね)
さて、基本路線はこれまでのnoteのものと同一ですから、いわば本書はネーモ氏のこれまでの発信の集大成と言えます。
といっても、(noteからの転載も一部あるものの)ほとんどが書き下ろしであり、別にnote記事を切り貼りしただけの内容というわけではありません。
ツギハギだらけのパッチワークではなく、全編を通してじっくりと丁寧に主張していく。それなりに長い一連の文章で自説を語れる「本」という形式を最大限に活かしてる論の展開と思います。
もっとも、全体量としてはライトな新書程度の短い一冊ではあります。ただ、無駄のないテンポの良い論展開で、要所はすべて押さえつつ、説得力も高く、反論への防御力も高いもので、ネーモ氏の論述力の高さがいかんなく発揮されています。
さて、人々が労働から離れ余暇を追求するための具体的な提言として、MMT(現代貨幣理論)×BI(ベーシック・インカム)をネーモ氏は支持されています。とくにBIに関しては以前からその導入を強く主張されていますね。
この点では、先日江草が紹介したスコット・サンテンス『ベーシックインカム×MMTでおカネを配ろう』と同じ立場と言えますが、サンテンスは対立する論敵への直接的な批判を抑えマイルドで広報的な論調に徹していたのに対し、ネーモ氏は容赦なく現行の労働観や金銭観を批判してらっしゃるのが対照的です。
いわば、生々しい風味を覆い隠し無味無臭にまとめているセイロガン糖衣Aと、その強烈で個性的な匂いと風味がむき出しの正露丸の違いがあります。
ネーモ氏の本書は、隠しきれない挑戦者としての熱い闘志がみなぎっています。
そして、脱労働についてはサンテンスは特に言及してなかったと思うので、この点もサンテンス本と異なるところでしょう。この辺の「脱労働主義」に関しては、むしろボブ・ブラック『労働廃絶論』やバートランド・ラッセル『怠惰への讃歌』に近いスタンスと言えます。
言うなれば、サンテンスと同じくまさに今議論すべきタイムリーな主張を扱いながら、ブラックばりの熱い情熱と、ラッセルばりの知性あふれる論理展開を伴っているのが本書と言えます。
それだけでも十分すごいのですが、これに加えて、ネーモ氏の真骨頂であるウィットに富んだユーモアやアイロニーもふんだんにほどこしてあって、「ほんとうまいこと言うなあ」と頻繁に感心させられる、大変に面白い一冊となっています。
それなりに江草も本を読んできている方だとは思うのですが、そんな江草から見ても本書はとても一般人の個人出版とは思えないクオリティの内容で、江草は舌を巻くばかりです。
ただ、この本は正直なところ売れないと思ってもいます。
こう言うと「なんて失礼なことを言うんだ」と思われるかもしれません。
でも、本書を読んでいる方にはこの意味するところが分かるはずです。
「この本は売れない」と聞いて「失礼だ」と感じるのは「良い本ならば売れる」という暗黙の前提を置いているからに他なりません。言い換えると「実力があれば稼げるはずだ」という「実力主義思考」です。
しかし、本書がまさに看破しているように、そうした素朴な実力主義は成り立っていません。世の中、良い本なだけでは売れず、広報やマーケティングなどの営業活動、すなわち本書で言うところの「政治活動」が伴わないとまず売れることはないのです。
翻って、ネーモ氏はまさに本書の中でそうした「政治活動」の蔓延を批判してらっしゃっています。ために、本書自身に関してもせいぜいnoteで告知されているぐらいで、特別派手なお金をかけた宣伝キャンペーンを繰り広げられてるわけではありません。
だから、たとえ良い本であったとしても(江草は良い本と感じてますが)、現実として「売れそうにはない」と言えるのです。
こうした「政治活動」やあるいは「権威」を批判する運動が、そのポジションゆえに自縄自縛的に派手な宣伝ができずに苦戦を強いられることは、歴史上でもしばしば見受けられるジレンマです。
たとえば、現代日本のまごうことなき最大宗派である、あの浄土真宗もその本来的な反権威主義的思想ゆえに民衆の先祖崇拝文化に迎合しないなどしたために、初期は布教にかなり苦戦していたそうなのですが、それまでと打って変わって布教活動に積極的な姿勢を見せた蓮如の登場で一転、爆発的に民衆に広まったと言われます。
それだけ(本質はどうあれ)宣伝活動に力を入れるかどうかというのは大きいことなのです。
だから(繰り返しになりますが)、出版社や書店などの営業部隊の力も借りていない個人出版でもありますし、「政治活動」の助力に乏しい本書が売れることはおそらくないでしょう。
ただ、これは、あくまで「本書が売れることはないだろう」という「予測」です。これと同時に「だからこそ売れて欲しい」という「願い」を江草は抱いています。これらは、一見矛盾するようで矛盾しません。
勝ち目がなさそうな戦いに、それでもなお熱い闘志をもって挑む者を人は応援するものでしょう?
奇跡はなかなか起こらないから奇跡なのですが、それを知っていても人は奇跡を願ってしまうのです。
だから、今回の感想文がせめてその奇跡に至る一助になれば幸いです。
ルトガー・ブレグマン『隷属なき道』や、アンディ・ウィアー『火星の人』など、当初個人出版で出したものが大きくバズって世界的ベストセラーになった書籍もないわけではないですから。
というわけで、短いながらも時勢に乗り面白く鋭い本書。
現代社会の喫緊の課題を扱った内容でもあり、そしてまた、発信メディアとしての「個人出版」という手法の可能性を感じるためにも、ぜひ読んでいただきたい一冊です。
↓ご本人による書籍の解説はこちら。