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#1 じゅんぴ - 私はいずこへ

【特別無料】
ーここではないどこかへ
アメリカ、カナダ、北欧etc..
自分探しへ海外へ渡航した男の
人生を垣間見ませんか?

人間、自分の居場所を探し彷徨う生き物だと
私は思うのですが、海外まで行く者はわずかでしょう

この男の内面と行動の両面から見ることができ
非常に興味深い内容となっています

性格の形成

じゅんぴ 00:02
そのなんて言うんだろ幼少期、幼少期から話そうか

ケンケン 00:13
そっから記憶がある?

じゅんぴ 00:14
ほんとそうだなえっと、でも保育園とか幼稚園時代からちょいちょいこう、ほんとこうなんて言うの…覚えてるのはちょいちょいあるけれど

もうあれだね。あの、俺自身がね、記憶したのはそうだよ、うんと、幼稚園のその年長組の5歳くらいかな。

ええうん、5歳くらいから話そうか…

その時その当時はね、なんかあれだったね、あの、恥ずかしがり屋さんの子で、今でも、そういう恥ずかしがりっていう気持ちっていうのは、まだ抜けきれないっていうのはずっとあるね。

ケンケン 01:01
あ、そうなんか

じゅんぴ 01:02
うん、いいおじさんになっても

でそういう気持ちをずっと引きずってて、生きてきたね。今まで。

ケンケン 01:12
もうその時そこは変わってない?

じゅんぴ 01:16
そうそうそうだから、多分ね、その3歳ぐらいまでに。そのほらま。
ACってアダルトチルドレンのこと。
もう多分、母親からこうなんて言うんだろうな。こう不安な時にこう抱きしめてほしかったみたいなさ、そういう経験がなかったから、なんか人の目をこう気にしたりとか、なんかそういう子だったね。

ずっとそういう人の目をこう気にしたりする子に育っちゃったね。

じゅんぴ 01:51
で、小学校ちま、中学校の時とかは。でも、あれかな。
なんか、部活で俺陸上競技やったんだけど

その時とかはなんか中学の時はなんかこうね。
あの、 成長期で結構体の身長とかも伸びるじゃない。
うんで、その時にあの意外とまあ、意外と足も早かったから、なんかその時はなんか 自分の中で1番こう成功してたなっていう、そうそういう感じになんか思えるよね。今思えばね。


ケンケン 02:28
短距離の選手?

じゅんぴ 02:29
うん、短距離ので100メーター

200メーターもやったけど、どっちかっていうと、100メーターと走りやる時と、あとリレーとかさ、そんな選手だった

ケンケン 02:40
100メーターちなみに何秒ぐらいで走る?

じゅんぴ 02:44
俺そうだなでも最高タイムで11秒7ぐらい、中学。
いや、えっと、それ高校かな高校でも俺2年生の秋ぐらいまでやったから…

ケンケン 02:59
速いね

じゅんぴ 03:01
速くない。全然県大会レベル県大会レベルよそれで

うん、県大会でもその決勝まで行けないタイプだよ。

ケンケン 03:14
うん、なんかね13秒台でも早いイメージ

じゅんぴ 03:19
あ、13秒台はあれかな。 中学生で中2ぐらいで、その地区大会でようやく勝てるぐらいのタイムだから。

ケンケン 03:37
いや、俺からしたら早い。

じゅんぴ 03:42
まあまあそんなんでね、でも心のうちはね、でもなんかこう闇を抱えてるっつったら、今思えばね、あったよねなんかあれは。

ケンケン 04:03
なんかその幼稚園から中学校までちょっと飛んだけど、小学校時代
その幼稚園の内面の延長線上みたいな感じ?

じゅんぴ 04:16
うん、そうだね、小学校の時はね

あのでもね、なんかこう

なんて言うんだろう。いじめじゃないけれども、うん、なんか人のこと小馬鹿にするような嫌なやつだった。

俺がこんなだから。だから嫌われたりもしたし、ちょっといじめにあったりとかもしたし。

じゅんぴ 38:34
そうなんかね。あの母親のね。まあ、教育がやっぱりその俺もそのさっきのアラルトチルドレンの話じゃないけれども なんかね。
恋愛をこう禁止されてた時期がやっぱあったから、それでこう女性にもね、なんか遠慮したりとか、近寄りがたいようなこうそういう気持ちがあったし

結構母親はすごい真面目な性格で、母方のおじいちゃんがま、結構あのま、そういう性格の人だったから、 そういう教育を受けてきたんだよね、

兄もいるんだけどさそうだから、あのまあ、例えば大学入るためとか、高校入るためとかっていうことで、それで恋愛を禁止されて、勉強しなさい、みたいな。
そういうなんか真面目さなんかすごい今思えば嫌だったけど、でもまあ結果としてね、その時に勉強しなかったら、ま、大学も行けなかったし、大学の時にね、そのアメリカにも行けなかったし…

大学時代の海外渡航


アメリカ編 - アイデンティティー -

じゅんぴ 40:08
あのね、アメリカはその大学の3年生の時にね。あの、俺、その

TOEFLかな。それのスコアがそのま500点。
あのスコアだとすると、それを超えて、その大学の交換留学の試験ってのを受けたら、あのたまたまそのスコアを超えたからアメリカにね。
あの、まあ行くことができたんだよね。

オハイヨ州の田舎の方に行って、ワンクオーターって言って向こうの大学って4学期制でさ、クオーターだから4分の1。
もうほんとに秋のクオタープログラムだけに参加できたんだけれど、そこでの生活、アメリカの大学の寮生活って初めて行く海外だったから、それもやっぱ刺激を受けたね。

アメリカをワクワクしたね、やっぱ1番最初だったから、

ケンケン 41:41
(不安は)なんか銃で殺されねえかなぐらいしそうです。

じゅんぴ 41:44
それも、そういう心配もあった。

ケンケン 41:52
で、どんな感じだったの。

じゅんぴ 41:56
うん、それはね、あの あれだったね、やっぱなんかすごい新鮮で俺、あの心理学と心理学の授業と、あと なんだ。えーと、平和学なんてそういうのがあった。

あと、アフリカン、アメリカン、スタディーズって言って、黒人文化。
アフリカから元々流れてきたあのアメリカ人の、あのジャパニーズ、アメリカンとかもいるじゃん。

そういうのとか勉強したけど、もう でもあれだね、向こうの学生ってこうやっぱりこう あれだね、そう自分の意見持ってるっていうのが1番だったね。

私はこう思うっていうのは、すごい強いなっていうのがあって

うんで、いつも授業っていうとこうディスカッションみたいに、こうサークルになってさ、大学の授業もうほんとにこう。
あの日本の大学みたいに、大教室でこう講義受けるって感じじゃなくて、そうな、ほんとあの、うん、ほんとあのゼミみたいにこう サークルになって

ディスカッションを毎日するような、そんな授業ばっかだったから、自分の意見を持つってすごい大事なこと、大事なことの文化なんだなって、ま、そこに、アメリカのそういう個人主義とかそういうのもあるんだなっていう風に感じたね。

だから、こうが確立できてだできてる文化だなと思った

アメリカはね。

だから、その自分軸っていうのもま、今で、よく自分軸ってのもしっかり持ってるんだろうし。

あれだね、アイデンティティーっていうか、アメリカって結構ほら。
多民族文化だから、色んなこう原理を考えると、どこの血筋かとかもわかんないくらいね、その色んな人種がこう混ざってる。

だから、自分のアイデンティティーっていうのは、こうしっかりこう持っていけるっていうことが、こう結構信念としてあるみたいだよね。

うんあと、キリスト教を重んじる文化だったから。

ケンケン 44:42
え、それはアメリカ自体が?

じゅんぴ 44:44
そうそうそうアメリカ、黒人だけの教会もあったし

その日曜の朝はなんかいつもこう賛美歌とか歌いながら、それでそのランチまで過ごすみたいなさ、そういう文化がだったね

個が確立してる分でも、その相手のことを相手とこう喧嘩にはなったりはしないんだよね。
なんか、そういうところも日本とは違うなと思った。

そういう色んな議論の場では、あの意見が対立しても、喧嘩はしないというところは、 まあ変な意味大人なんだろう、大人なのかな、なんて思ったりとかね、その当時は

ケンケン 45:43
え、それは例えばさ。どういうシーンってそういうことを感じた?

じゅんぴ 45:48
やっぱその例えば、やっぱアメリカのそのあれだね。
家族もそうだけれども、なんかシェアしてるっていう感覚が、やっぱりその授業でもあってさ

シェアそのだから共有。

うん、だから私はこう思うし、あなたはそういう意見なのね、私はでもこう思うだけど、それをこうシェアしてるっていう感覚で、みんな捉えてるから、私はそういうことは否定しないっていうことをやっぱりそれでもあの自己主張して言うからさ

ああ、すげえ、これって思ったね体感したね。

じゅんぴ 48:05
だからそこでね、なんかなんていうの。
学んだことに、自分でもこう意見を言えるっていうことは、自分もちょっとは大胆にできるんだなっていう発見もあったね。

ケンケン 48:21
それはそういう環境だったから?

じゅんぴ 48:24
そうだね、で、外国に行くと変な話、内面が少し大胆になれる自分がいるんですよ。

そういう自分の発見もあったんだよね。
日本語で喋るよりも、英語で喋った方が伝わらないこともあるけれども、なんかはあの恥っていう気持ちが抜けるんだよね。

ケンケン 49:02
それは良かったね。

じゅんぴ 49:05
うん、やっぱ良かったよね。
それもやっぱ初めてのアメリカに触れて、個人主義っていう文化にも触れて、こう意見をシェアリングするっていうところもすごい素敵だったなと思う。
そういうことが日本で生かしきれればいいなと思ったけれども、生かせればいいなと思ったけど、
でもなかなかそういうことを生かす場面ってのはなくてさ、やっぱりさ

まあ親父の死から色々とあったけれども、いろんなものを吸収したけれども、自分の本質的な部分ていうのは、やっぱり変わってないなっていうのはあるよね、今感じてることは。

カナダ編

じゅんぴ 54:25
あとあれだよ俺大学のね最後の4年生の終わりに、 あのお沖縄の米国島に

沖縄のこと勉強してる友達がいてさ、 米国島に1か月ほどサトウキビ狩りの農家のホームステイとかもした。
その後に一応バイトだから、ちょっと収入もあって。
その金だけじゃないけど、まあ、

別のバイト料でその後米国島行ってから、その北欧のデンマークとオランダとスウェーデンも行った。

あとカナダも行ったかな。
カナダはそのアメリカの留学中に向こうの大学のオリエンテーションでね。

テントを立てながら1週間かけて大規模なオリエンテーションがあって、カナダもカナダのその大自然に行ってきたよ。

(カナダは)うん、ほんとにあの普通にね、鹿とかあの道路にいるよ。
湖だからこうなんていうの。
森林の中とか移動移動っていうかさ、あの森林の中とかも歩くわけだから

あの、これはその地元の人からしてみれば、これはあのクマのウンコがあったりとかさ、変な話さあ、クマが出てきてもおかしくない雰囲気だった。

北欧編

ケンケン 58:39
北欧はどんな?

じゅんぴ 58:46
アメリカと違って、そのアメリカ人の大探査とは違ってね。ヨーロッパ人って意外とねに、 その北欧は特にだけだったけど、デンマークとスウェーデンは身長とかすごい。あの白人で高いんだけれども だけど、意外とね、こうシャイな一面とか持ってて、日本人と似てるっていう感じだったね。

はにかんだりするもん。なんかすごいすごい。なんか、あのカフェで働く美人な女性がいてさ、あ、これでこの人いいいじゃんとかって思って写真撮っていいですか。つったら、「ええ、私が?」みたいな感じだった、うん、そんな感じなの。

なんかそれがすごく素敵でさ、素敵に映ったよ、もう目がハートになったその時は。

営業マン時代 - 数字を追うことが性に合わない -

ケンケン 04:50
そう。じゃあ俺と違って転勤とかないから、ずっと同じ土地にいた?

じゅんぴ 04:57
あのあれだよ学生の時京都に行ったよ。
そう大学は京都に行ったから。

ケンケン 05:06
それまでは別なとこにもずっとこう?

じゅんぴ 05:15
ずっと同じ都心で、まあ高校までいて、大学で京都の方行って1人暮らしして、3年ぐらい。まあほら。あの、1番最初、新卒で終わった時に、営業の仕事。

福祉用具っていうか、介護用のベッドとか、車椅子とかをレンタルとか販売する営業マン。
営業やってた3年弱。

ケンケン 05:48
そうなん

じゅんぴ 05:50
ま介護保険導入前だから全く売れんかったけどね。
金持ちにしか。

じゅんぴ 06:12
その行き先営業先がほら、そういう施設関係だったから、そのボランティアとかでね。

あの、例えば、入浴介助とかもさせてくれたところがあってさ、それで、この現場の仕事っていうのはこうなんていうのこう。
生産性っていうか、そういう数字の仕事じゃないっていうことをはっきり気づき付けたから。

これにじゃあシフトしていくのいんじゃないかな?っていう風に思って、それがきっかけかな?

で、20代の終わりくらいに、そっちの方にそういった、あれだね、シフトしたね。

ケンケン 06:56
数字を追うのがあんまりあわなかった?

じゅんぴ 07:01
合ってなかったね、合ってなかった。
もう一生できないって、思った。

ケンケン 07:11
なろうみたいな感じだったの?
それとも、そこの会社に入ったら、「お前営業な」みたいな感じだった?

じゅんぴ 07:18
うんとね、あのま、一応そのま総合職と一般職っていうので応募してて、うんで、やっぱり学生の時ってほらまあ、とりあえず会社員なっとこうかみたいな感じで就職活動するわけだ。
まあ、施設のこととかそういうところを新卒で俺入ることなんかも全く頭の中にいなかったから、会社っていう風にしか思ってなかったから

それで、その総合職で受けて、総合職で受けたら、もうま、 最初そのどこの部署に配属になるかわかんないけれども、 営業がまあ8割ぐらいだよね。
で、他は内勤の総務とかほら財務とか色々とあるけど。

まあそういう人はあれだね。
あの2割くらいだったからだから、8割型の営業にまあなったわけだよね。

ケンケン 08:20
なるほどね

じゅんぴ 08:24
まあでも物を売るのは別に嫌いじゃないなと思ったけれども、計算とかさ、 なんかそういうまあ、会社でこう上司に上げる見積もりにあり、何パー取るかとかっていうのをそういう計算をしてね。

連絡もまあ、毎日のように叩きながらするっていうのは、もうそれがもうめっちゃ苦痛でさ。

あとなんていうのま、結構そこの会社あれだったんだ。
あの、どんぶり感情で自分で売り上げた数字と、その経理から上がってくる数字が全く合わんかったりとかしてさ

じゅんぴ 09:33
その病院、全国の病院のシングのリースをしてる会社だったの。

看護師のそのナースの白衣とか、医者の術衣とか、患者さんが着る患者衣とかも全部そういうドライクリーニングとかして、あのリースする会社だった。

清潔と不潔をこう分けて、それでこう納品してみたいな。

ま、それは運輸の人がトラックで運ぶ部署の人がいて、そういう風に分業はされたけれど…

ケンケン 10:41
ああ、じゃあもうそういうのトータルでサービス提供してる会社?

じゅんぴ 10:46
そうそうそうそう

うん。あと、変な話。その病院で使う食器類とか、病院器具のそういう、厨房器具のその冷蔵庫とかでかい業務用の冷蔵庫とか。食器乾燥機とか。

だから病院業界っていうのは、診療報酬っていうのがあって、点数方式で1点が10円なのかな。
なんか、それをね、計算してやるんだけれども、まあ何社かこうね、見積もり合わせみたいなことするわけだ。

それでも、やっぱりどこでもやってることだけれどもね。
あの、なんだ来年あんたのとこね。あの値上げしろみたいな。なんかそういう裏話的なのかけられて、そういう駆け引きとかあったよ。

ケンケン 12:05
それが合わねえな、みたいな?

じゅんぴ 12:09
あの仕事として割り切れなかった

やっぱ数字ばっかりでね。電卓叩いて金儲けだけっていうことにこう集中できないっていうかさ、やっぱ儲けをこう考える仕事っていうのは、やっぱほんとにこう数字に強いやつじゃないとできないなと思った。

やってわかったね、経験してみてわかったことだった。

退職後に海外へ行く

インド編 - 現実逃避 -

ケンケン 12:49
で、それが20代後半ぐらいまでそんなこんな続いて…

じゅんぴ 12:59
で、それに見切りつけてあれだったね。そこまあそこで得た収入で、 会社辞めてからインドとネパール3か月行ったね。

じゅんぴ 13:35
もう現実逃避の旅、もう現実逃避で、もう何もかも腕時計とかしないぞ俺はとかって思って、 それでもう全部そう投げ出していった

ケンケン 14:03
なんか悟り開きに行った感じや

じゅんぴ 14:06
そんなそんなあれだよこあの高レベルの話じゃない。

うん、いや、ほんとにあの現実逃避だよ。
あの、たまたまそういう旅が好きな仲間っていうのが2人いて、 そういう話とかを学生の頃からやっぱしててさ、いつか行きたいねみたいな。
そういうノリもあった

ケンケン 14:30
え、じゃあまずインドは友達と?

じゅんぴ 14:35
うん、あの1人で行ったよ。
俺よりも前にその会社の同期、俺よりも前にもう10か月ぐらいで辞めたやつがいて、それで、その人がやっぱ旅するのがもうほんとのが好きで
まあ、その学生の頃からヨーロッパとか行ってた。

あの人だったから、そういういろんな話でてきて、その人が もう10か月で辞めてからも、インドとネパール最初に行ってたから、そういう話を聞いてたわけよ。

じゅんぴ 15:17
あ、そうそうそうそうで、俺も行きたくなって、地球の歩き方とか見ながら

今日はどこ行こうかな、っていう地図広げて、そんな感じの。
もう1日こうもう多分何にもプラプラする っていう、そういう感じ。

ケンケン 15:38
なんかと特にこう目的があったわけじゃなくて?

じゅんぴ 15:43
あ、そうそうそうそう

ケンケン 15:49
インドもさ、有名なところとかあるじゃん。行かなかった?

じゅんぴ 15:56
いや、あのね、アジャンターとエローラっていうね、あの、古代の石窟群って言って、あの石をこうくり抜いてさ、カービングしたところになんかこう壁があのガンダーラ美術があるところが、まあ世界遺産レベルなんかな。
ええ、ちょっとわかんないけど、そこいったね。

そこはなんかま、インドでも観光で有名なところで、あと、ター島はとかもあったけど、でも、ター島はデリーニューデリーとか行かなかったんだよね。うん、あの首都のね。

そこはなんか行かなかったわね。

でも、ガンジス川はずっとなんか毎日のように眺めた。

じゅんぴ 16:51
沐浴(もくよく)も足だけしたよ、あんなのきたくてさ、半身浴なんかできるわけねえとかって思って

ケンケン 17:01
ごめんも沐浴どういう?

じゅんぴ 17:04
インドのインド人の人ってこうほら、生活の場みたいな感じで、こうほら、ヒンズー教のあれ教えなんじゃない。
沐浴って、俺ちょっとググらないと意味説明できないけど、川にこう浸かって聖なる大祈りをこうするんだよね。毎日のように。

で、変な話、死体とかも流すし。焼いた人間の死体ね。
川のほんとこうすぐそばのとこで葬儀とかしててさ、この人間の死体って焼いてるのよ。

じゅんぴ 18:09
で、人間の脳みそって、初めて焼いた時に「ピー!」と、ヤカンが沸騰したような音が鳴ったりとかして結構びっくりした。

まあ、でも毎日そういう光景とかそういう生活の場っていうか、かっこつけた言い方をすれば、その人間の列を旅し旅するみたいな。

中国の次に人口が多い、そのほんとにこう人間カオスの中っていうのはやっぱすごかったから。

そのインド人の、オートリクシャーで、三輪バイクでよくこうタクシー代わりで使ったりしたんだけど、もう値段交渉で20ルピーで、例えばあの大体ま60円ぐらいで、どこまでも行くよって言っといて、で、ついた先で100ルピーよこせとかさ、そんなそんなこと言うんだよ。

でも、それをマジで切れたりするとさ、 なんか面白くないから、俺はわざとあえて楽しんでたんだけどね。

「you said sixty rupee」とかって言っててで、「no one hundred」とかってゆいうけど、なんか買わせるこう、スルーする技術とかっていうのもなんかね。

覚えたっていうか、こうちょっとアメリカっぽく、こうまfのつく言葉とか、そういうこととか言うと、結構オーケーとかつって、じゃあ俺の勝ちみたいないう風になったりとか、結構その辺でこう値段交渉でもこうインド人のずるずるがしさをあの楽しんでみたりとかね。

ケンケン 20:21
楽しんでる。
(インド生活)それがどれぐらいの期間?

じゅんぴ 21:56
3ヶ月かな。

ネパール編 - 人の見方の変化 -

じゅんぴ 21:59
そのあとネパールっていうその隣の国も行ったからね、

ケンケン 22:06
インドの近く?

じゅんぴ 22:08
そうそう、インドよりインドの北だね

ケンケン 22:11
ネパールってちなみにどんな国

じゅんぴ 22:13
ネパールもね、インドのね、そのカオスに比べるとちょっとね、空気が綺麗になって、淀んだガスとかがほとんどなくて、ちょっとクリーンになるな。

あのヒマラヤ山脈のさ、エベルエベレストのもうほんと麓ていうか、そういう山村に近いところだよね

だから、素朴だったし。

だけど、そのカマンズって首都のところは結構栄えてて、ほんとのま、あの、まあ結構都会な町だったから、 そのいあの日本料理屋さんとかもあったしね。
変な話なんかきんぴらごぼとか、肉じゃがとか食えたよ。

ケンケン 23:06
そこまであるんだ。

じゅんぴ 23:09
あるある。日本人の経営者じゃなかったけれどね。


ケンケン 23:38
そっか。
それはなんかさこう仕事やめてさ、異国の文化 に触れるわけじゃん。
なんかこう考え方とかさ、心境の変化とかさ

じゅんぴ 23:55
うん。あのま視野は大きくなるんだけれども、人の見方とか。
あと、自分のこうなやっぱちっぽけなこうね、考えでいたかっていう風になるんだけれども
なんなんだろうん、やっぱこう帰った時に、帰国した時にやっぱこうなんだろうなあ

日本のこういうところが嫌なんだよなみたいな感じでね、そのまだまだ若かったからね、まだクソ生意気にね、そういうことをこう比較しながらね、 なんて言うんだろうこう、お互いのいいところをこう吸収し合いながらこうなんていうの。

えっと、自分の居場所っていうか、ポジショニングしていくっていうか、そういうことがまだ理解できてなかったな。その当時は。

今になって思うとすごいでもいい経験ではあったけれども。
でも、過去のほんとにいい思い出だったっていうことにしかならないね。今はうん。

ほんとにでもいい経験になったけどね。


ケンケン 25:10
なるほど、結局3ヶ月インドに行って…

じゅんぴ 25:17
うん。ネパールネパールも含めて3ヶ月かなあ、インド2ヶ月、ネパール1ヶ月っていうそんな感覚かな

ケンケン 25:30
ネパールはも観光地とかに?

じゅんぴ 25:35
あのね、湾国立公園ってなんか象に乗れたりとかね。
あとそのそうだな、あとは、その結構お寺がいっぱいあったから。
そのカトマンズのダルバール広場っていうでかいところに、その結構有名な寺院に行って

それでこう向こうの。なんかお祭りでこう。
カラーの色んな色のカラーの粉をこう投げ合うお祭りがあって、そこにね。俺なんか野菜ぶつけられたりしましてね。

んで、結構その日はなんかもうほんとなんていうの。
あのさ、社交辞令じゃない。なんていうんだっけ

無礼講みたいな感じで。あの海外の人 関係なく、もう全員がこうわちゃわちゃするっていうね、うん、それはなかなか楽しかったけどね。

帰国後に施設勤務

ケンケン 27:00
で、それで、3か月後に日本に入ってきて、なんかこういうとこあんま好きじゃねえんだよなみたいな感じに?

じゅんぴ 27:13
でまあ働くかっていう気持ちにやっぱなるよね

それで、やっぱりもう営業のそういう数字はそういう会社員の営業はもうしないっていう風に決めたから、現場の方に。
そっから施設勤務が始まったかな。

京都の方の清掃作業の障害者の方の清掃作業のコーチングをするような仕事とかを最初してて

ま、色々あれだね。最初契約職員を1年やって、でまた別の施設で契約みたいな感じで更新していく感じになって

その仕事してた時にその仕事してる途中で、 まあ親父が亡くなったんだよね。

俺の親父がうんで、それでね、実家の方にちょっと戻るっていう風になって

28ぐらいだったから、今度その実家の方で、母親と兄がいるんだけれど、母親と兄と暮らすようになって、あの、そういう施設のハローワークとかで探しながら、まあ、何個か施設は変わったけれど、今に至るっていう感じかな

じゅんぴ 29:54
で、まあ、障害者の方のケアっていうか、日常生活の
食事、排泄、お風呂の支援がメインにしながら、
そういう職員の仕事を。

女性に対しての恋愛感情

じゅんぴ 34:41
今日来たから言うけれども、うん、 俺って多分ね、ほんとにね、この人しかいない。

この人、この人じゃないとダメだっていうような、 あの女性を1人も愛したことはないね。

うん、あの、なんなんだかわかんないけど、うん、あの

なんて言うんだろうな。

こいつじゃないとダメみたいな。結婚したいとかっていう気持ちにもなったことないし、そういう女性に出会えてないよね

ケンケン 35:27
そうなん?

じゅんぴ 35:31
女性は好きなんだけれどもよく、この人じゃないとダメだとか、あと、そのなんていうの。
あの、自分と対局のようなこう性格の人を結構結婚相手に選ぶ人がいるとは思うんだけれどもさ

だけど、俺同じ匂いの内面がね。だから、同じ匂いのする人じゃないと、うん、好きになれなかったもん

ケンケン 36:06
好きにはなるんだ

じゅんぴ 36:11
うん、それはもちろんあの親密になりたいと思うし、

ケンケン 36:17
自分と同じようなタイプの人がタイプなん?

じゅんぴ 36:23
そうだね、それにも気づいたね、うんと、うん、 まだいぶいい年になってからだな。

20代の頃とかまだ全然わかんなかった、そういうことが

ケンケン 36:49
じゃ、なんかあんまずっと多分タイプって変わってない感じ。

じゅんぴ 36:57
うん、そうだね

ケンケン 37:00
なんかじゃあやうんの今までの話聞いてるとさこううん、あんまこう内面的なとこって変わってないのかなみたい。

好きな人もずっと一緒なんだな、タイプ

じゅんぴ 37:32
そうだね

独立思考

ケンケン 51:26
えで、この先はなんか独立がどうのこうの

じゅんぴ 51:31
うん、独立したいなと思ってる

今ね、あの、それこそカウンセラーとして、あの独立したいってのがあるんだけれども。

でも、それはまあ、今家族から猛反対を受けて

人のこう自分とこう例えば同じようなこう悩みとか抱えてるような人とか、自分がこう乗り越えてきた壁とかっていうのは、そういう風なやっぱり、同じような境遇の人に寄り添いたいっていう気持ちからなんだよね。

ただそれだけなんだよね。
それで、別にこう技術とかそういうことは抜きにして寄り添いたい。

カウンセリングの実際になった時に、自分のね。
そのカウンセリング料、どれぐらいの値段をつけられるかとか。
そういうことまで考えないとね、仕事として成り立たないからさ、企業から雇われるそのコンサル、とかそういう部署とかもあるんだよね。

まあ、おっきい大企業とか行かないと無理なんかもしんないし、セミナー講師っていうのも色んな人脈ができて会社のそういう研修のセミナーで招待されることもあるみたいだけれども。

経験値が浅いとだめみたいだから個人のカウンセリングが1番合ってるんじゃないかな、なんて思ってね。

ケンケン 53:59
頑張って

じゅんぴ 54:08
ま、実現できたらいいけどね。

各国行ってみて感じること

各国でいいところはやっぱすごいいっぱい吸収していいところしか見てないと思うんだよね。

ケンケン 01:03:31
まあ短い期間しかちょいちょいってないから、そういうとことか見てない。

じゅんぴ 01:03:43
何年もいたわけじゃないしさ、各国のそういうちょいちょい、いいところを見てきたっていう感じで今捉えてるから、
そういういいとこも捉えつつ、日本での生活になじみながらアイデンティティになるのかな。
キャラとかの確率とかもそうなんだろうけれども、日本でやっぱ暮らしやすく生きやすくしていかなきゃなんないかなって

じゅんぴ 01:04:48
でかいところはアメリカ、俺、ニューヨークとかニューヨーク行ってないんだよね、ニューヨークは行ってないけど、シカゴとロサンゼルスとサンフランシスコは行ったから。

やっぱり貧富の差あるような雰囲気の路地とかはあって

ロサンゼルスは、黒人差別とかも結構やっぱあったかな。

ハリウッドとかもいったけど、やっぱそのその高級住宅街に住んでる人たちは、もう完全にそのなんていうの。もうほんと。上流。

その人たちはもう一般を受け付けないみたいなさ、そういう風潮がいっぱいあったよな。

あの、ほら、プリティウーマンって映画あったけど、その映画見たことある?

ケンケン 01:06:22
いやない、聞いたことない

じゅんぴ 01:06:24
昔のボディコンみたいな。
あの、例えば格好でそういう上流社会のとこ行くと、あなたはうちの店に合わないわとかって言われたりとかさ、そういう待遇があったりとかね。

イエローとかも俺言われたことあるし。

やっぱ差別あるで。アメリカは。


ケンケン 01:21:46
ってな感じです。第1回は無事に終わりました。

ケンケン 01:23:10
人の人生聞けるって、ちょっといい企画な気がします。
ありがとうございました。人増やしてやっていきたいですね。これ。

人ちょっと探して告知していつやりますって告知してやりたいです。
じゃあこんな感じで終わりたいと思います。
ありがとうございました。


活動のエネルギーになります。 是非サポートよろしくお願いします。