幸福の極みも、不幸の極みを感じられる人間の心。さて、ソレとどう向き合っていく?

人の心とは不思議なもので・・・

真理の追求など、やめたところにただalwaysソレがあった・・・
っという青い鳥現象。

私は悟りの経験はないので、似て非なるものなのだろうけれど、
ハートに意識をおいて、ハートを感じて、ハートに集中していると、
ふわっと至福につつまれることがあって。
そういう時は、真理の追求などなにも要らなかったな〜と感じる。

のに。

何かの拍子に闇に落ちると、
それはそれはもがくように真理を追求したくなる。
THE必死の亡者モード。昔はこっちが通常モード。



一体この差はなんなのだ?

まあ結局のところ、人間意識、分離意識のまま、
至福といっても実は幸福で、幸ー不幸を行き来しているだけなのかな。


全ては現実ではないし、実在ではないし、幻なのだけど。

わざわざ幻の世界を投影している。
その全てに、
ハッピーな自分も、
亡者な自分も、
ぜんぶぜんぶOKと包んでいくんだな。


映画監督エウレカユリイカです。
この度、超Happy Love Storyの映画をつくりました。
自作は、超ホラー映画です。
その次は、コメディかな。

こんな感じで色々つくっています。

創り上げてから、うっげー超嫌いとかいわれてもねw
いや、まあ、幻だから、嫌ってもいいけどさ。
でも、創ったの自分だしーーーーっ!ってな。


ソースの愛の世界にいくと、それだけで完璧すぎて何も創れないっていうしね。


幻だけど、創ったのは自分。
幻だけど、ホログラムを作成してみたのは自分。


創り上げたホログラムに、反応しすぎてリアルだと思い込まないのと同時に、どんなホログラムであろうとも自分が見たものは自分が創り上げたホログラムなんだよ〜ってことを、重くなりすぎずに(だってホログラムだし)、丸、まる、◯っと回収して包み込んでいくんだね。


私の亡者の場合は、現れて見えている訳ではもちろんないのだけど。
『奇跡のコース』の4日目のものは、「これらの思いは、何の意味も持っていません」といっているので、思い、思考であってもホログラムなのであろうなあ。分離を促すためのトリック。


ソースから離れてしまった(と思っている)罪悪感がエゴらしいけれど。でも離れてしまっているから、分離こそ本当だよ!ってしないと生存危機だからね。

そうおもうと、幸ー不幸はいたちごっこで、幸福を感じていたら、早く不幸を感じるものを投入しないと生存危機!(エゴには)。


別の見方をすると、自分の光が強くなればなるほど、その光によって自分の影が炙り出される。真夏の太陽、南国の太陽は光が強くて、よって、冬のそれよりも影が濃いのと一緒。


つーーことは。エゴエゴ考えると、私の場合はどうやら、結局そちらばかりにフォーカスされて、エゴが強まる感じがするので、自分の影が強くなってくる。そしてそれも自分なんだから、影から逃げれないように、影も影として認めていくというのが、やっぱりあっているかなあ。



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