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お茶の水デートコースを撮る 文芸評論家多岐祐介

 東京に行く機会があって、スナップでも撮ろうかなと考えると、某有名カメラ屋さんのある新宿か、馴染みある池袋、バイトをしていた銀座、そして神田あたりを歩くというのが多い。だから宿は新宿か、池袋。銀座にもアクセスしやすいし、仕事としても目的地に通いやすいゆえに、パターン化していた。しかし今年の5月、6月には湯島に宿をとった。以前はよく秋葉原から歩いて湯島天神や神田明神、そこから湯島聖堂を越えて、お茶の水にゆき、気が乗ればそのまま神保町へといく、なんてこともあった。このあたりは、東京がもっともかつての東京府らしい顔つきを残しているところだと思う。子どもの頃に関東平野という単語を学んだ人間としては驚くくらいに、勾配、段差のある街並みから生まれるその景観は、そんな場所とは無縁の生活をしていた者としてはとても新鮮だった。この勾配は暮らすには不便だ。だが、上野の山と神田の明神様が江戸城からの鬼門を守る役割をしていたなど、その段差は、人々の暮らしだけでなく、ある種の政(まつりごと)にも生かされてきた。その面白さに気づかせてくれたのは、大学時代のある課外授業であった。

 多岐祐介先生は、文芸批評家であり、出版社勤務、そして大学の講師をなさっておられた。寡作であるが、文学賞の下読み、寸評などあらゆるところで依頼されていたということだから、その界隈ではとても頼られる方なのだろう。今はあらゆる仕事から手を引いておられるようだが、毎日ブログを書き、そうして上のような文学論動画(ラジオ的です)まで作られている。請われて収録なさっているようだが、そのうちのいくつかは、授業でも耳にしたことのあるもので、ここにリンクした内容の一部は、実際に課外授業で歩いたところだ。

 そう、歩いた。二度ほど先生の課外授業に参加したか。その一つは、神保町の古書街を学ぶもので、白本や黒本のこと、古くからの古書店は北向きに店を構えていることなど教わった。それからうまいカレー屋と、一息つく喫茶店と紹介してもらった。先生はさぼうるより伯剌西爾派のよう(たぶん)で、僕の喫茶店好きはここから始まったように思う。ああ、あと公衆トイレの場所まで教えてもらったな。古書巡りに催すたびに喫茶店に入ってちゃ身がもたないということで。
 それから件のお茶の水デートコース。別にデートでなくてもいいんだろうけれど、この時は早稲田と慶應と、東大と、そして僕らが集まって歩いた。日本の最高学府が集う集団で、さすがに我々はこじんまり、としていたが、彼らがにこやかに打ち解けあっている間、その輪に入れないで食品サンプルのまんじゅうなんかに興味を示しているのを、「君らはこんなのに目が行くところがオモシロイんだよなあ」などとカンラカンラと笑ってらした。
 この日は、お茶の水駅から湯島聖堂へ行き、その後に明神へ、あとはどこへ足を運んだか覚えていない。だが、この課外授業に参加しなかったら、4年間東京にいながら、東京のもっとも東京府らしいその街を知らないままでいたかもしれない。新宿渋谷原宿代官山、けっこうけっこう。けれども東京は東側にこそ蓄積されたものがあるような気がしている。
(逆にもっと西側に行けば武蔵野の落葉樹林の雰囲気が味わえるわけだが)

 声は野太く、生まれはさではないが、東京言葉で歯切れもよく、授業はまさに何か話芸を聞かされるような勢いあるものであった。授業初めの日に、鯉のぼりの論というものを語られた。僕の話なんかメモをせずともよい。鯉のぼりは中が空洞で、風が通るから空を泳ぐんだ。話を聴いて、話を風として、空を泳げればそれで良い。それでも記憶に残ったものがあればそれが今のあなたにとって大事なことなのだ。
 そう言った翌週に、開口一番、君たちはつまらないねえ、ときた。
 出席カードの裏にさまざまにコメントを頂戴したが、そこに描いてある鯉のぼりがみんな同じじゃあないか。🎏つまりは左向きの絵を実にほとんどの学生が描いてきたというわけで、斜に構えることの難しさ、つまりは私たちのなかに巣食う思い込みについても指摘されたのだった。

 先日の神楽の記事でも書いたが、米良の神楽は今、一市一町一村に跨って残されている。同じ系統だが、今はそれらは後に引かれた境界線で分断されているかのように見える。だが、そうなる前から、人々は山を越えて交流があった、それが神楽の中に見て取れる。人の繋がりがあったのを後で勝手に誰かが線を引いたのだ。こんな感慨を持つのも、多分に先生の授業で見た映画が記憶に残っているからだ。あれは沖縄を舞台にした映画だった。島の向こうに見えるのはもう違う国。けれども昔は互いに行き来があった。それをあとから国が勝手に線を引いてきて…。B級映画だよとおっしゃっていたが、B級だろうがなんだろうが、細かいところに宿るものは確かにあるのだと思った。神楽を見るようになって、その映画のことを思い出すのだから、僕にとっての鯉のぼり論で残った風が、それだったのだろう。

 こんなふうに何かにつけ、先生から違う視点をいただいた。大学での恩師というべき存在は2人いるが、そのうちの1人がこの先生だった。2人とも、僕の狭い世界をぐいっと広げてくだすった。

 酒の席が同じになることもしばしばあった。行きつけの、山形は住吉という日本酒を作る蔵元直営?の居酒屋で、いろんな話を聞くこともあった。文学は自然主義に決まっとる!とグラスをテーブルにどかん! きちんと学生として扱ってくださる(つまりはご馳走になる)かと思えば、そうやって一対一での激論を交わされることもあり、そこに反論するだけの知識も論理も情熱もなかった僕は結局最後は黙り込むくらいしかできぬ。だが、それでもまた金曜日には北池袋のケニーズバーに足を運んで、先生の顔を拝みにいくのだった。

 文章は当然いい。今どきの言葉とはかけ離れているが、言葉運び、選び方、そこにはきちんとした練度がある。(きちんとした、なんて偉そうな書き方だ、僕ごときが。)かたい調子だが読みにくいということはない。そして細部の記述が余白を作らない。余白を作らぬことで余白が生まれるような、そんな感じさえする。まだmixiが主流のころに、先生のご両親が同じ病院の、違う病室にいて、久しぶりの再会を果たしたという文章があったが、それが心ふるえるほどの見事さだった。

 さて、話があちこちに飛んでしまった。が、こんな人がいるということを、ちょっと話したかった。
 その先生が教えてくれたお茶の水デートコースは、先に述べた通り、僕の東京へでた際のスナップコースとなっている。お茶の水から上野までは、実はそんなに離れた距離ではない。なんとなれば、秋葉原から上野、湯島を経由してお茶の水、そこから神保町へと歩き、神楽坂へ足を伸ばすことも難しくはない。そんな場所をスナップしていると、もう少し学生の頃に、東京をしっかり歩いておくべきだった、と後悔する。日曜日は一日中アルバイトしていたし、時間という時間は限られていたかもしれないが、あの時にもう少しカメラ趣味に溺れていたら、僕は東京という街の顔つきを、体で覚えていられたかもしれない。

 早稲田の古書店街を歩いた時だったか、それはもう卒業していて東京から実家に戻ると決めた頃の話。書店から先生の著作を見つけた。僕はその本を購入し、不躾ながら先生にサインを求めた。
 古本であるから、先生の懐に入るものはないにも関わらず、快諾してくださった。
 そこには先生のお名前に加えて、「蟻の一歩」と書かれてあった。蟻にもなれているのかどうか、あやしいが、あの東京デートコースを歩いた記憶は、今でも僕の東京に出た時の行動に、影響を与えている。

 ああ、そうだ、早稲田から帰りに、同じく先生の課外授業に参加した女の子がかわいくて、ちょっとまた今度お会いしませんか、なんて声をかけようかと電車の中で考えていたんだっけか。その子は急行でいいのに、僕に合わせてか普通列車に乗ってくれたので、ちょっと勘違いしちゃったんだな。
 でも、ま、勘違いからそういうことは起きるものでもある。もしもそれでうまくいっていたりしたら東京に残って、先生が示してくれたデートコースを二人で歩いたりしたのだろうか、なんてね。

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