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今でも俺はここにいて あの頃と同じ夢見てるよ

私の言葉をどう使えば、私の知っている言葉でどう起こせば、私が感じた感動が伝わるのか、何にもわからないけれど、書き始めてみようと思う。


OKAMOTO’Sというロックバンドがいる。

OKAMOTO’Sについては以前、「僕らはまだまだ孤独でたまらないと認めよう」という記事で書いているので、気が向いたら読んでいただきたい。OKAMOTO’Sは私にとってヒーローなのだ。大変大げさな表現に聞こえるかもしれないけれど、大げさでもなんでもなく、いつだって私の背中を乱暴に蹴っ飛ばして「いいから前向け!」と言ってくれるバンドだった。


OKAMOTO’Sが「KNO WHERE」というアルバムを引っ提げて、全国ツアーを回った。

私はというと、27年間で積み重なって、ごちゃごちゃになっていた心に、とうとうきちんと病名がつき、休職をしていた。うつ病だった。いろんなもので隠して封印して踏んで殺していたけれど、ダメになった。簡単に言うと、めっちゃ暇だった。体や心の不安定さはさて置いて。

コロナが流行る前から「いつか一緒にOKAMOTO’Sのライブに行こう」と約束をしていたフォロワーと、日程が合いそうな会場のチケットをすべて申し込んだ。お互いにオタクマインドなので、お金の計算は後回し、自分の幸福を最優先に申し込んだ。全部当たった。アホなのかと笑った。


10月8日の初日、横浜公演に始まり、19日の神戸公演(これは私の単独参加)、11月5日の仙台公演、6日の盛岡公演、23日の名古屋公演、12月1日・2日の東京羽田公演。どう考えても行き過ぎである。人生でこんなにツアーいったの初めてです。すみません本当。

初日の横浜は、会場1階のドセンターの席だった。まじで真ん中。真ん中列の真ん中。意味伝わって。K列の18番とかそういうことです。ど真ん中で見た。とんでもない、真ん中で見た。違う、言いたいのはこれではなくて。


凄まじかった。


コロナのせいもあって、しっかりとした全国ツアーは2年半ぶりくらいだった。
合間に大きなホール公演を挟んではいたけれど、ライブハウスで全国を回るのは、2年半ぶり。私と友人は何だかわからないが妙に緊張していた。もうなんか、ライブハウスでOKAMOTO’Sをこの子と見れるなんて、と多分お互いに思っていた。片思いだったらハズイ。今どうでもいいか、そこ。

照明が落ちる。
心臓がバクバクとうるさい。
初めてOKAMOTO’Sに出会ったときは、4人ともマイクもって、謎に歌ってたよなあと、ふと思いだす。今日はどうやって出てくる?出てきてもないのに涙が出る。

フロントマンが一人、静かにステージに現れる。
手が震えて、うまく拍手ができない。

圧倒的な存在感を持っていて、ドラマーからも「マジでショウさんは天才」と言われているフロントマン、オカモトショウ。息をのみながら天才の歌を聴く。なんでこんなに吸い込まれるんだろう。ほかのメンバーが出てくるのマジで気づかなかった。ごめん。


格好良すぎて涙が出ることって、本当にあるのだなと、思った。


いやもう全然泣くところじゃねえだろってところでワンワン泣いた。もうなんか、子どもみたいに嗚咽出して泣いた。タオルでマスクの上から口を覆って泣いた。なんかダメだった。みんな超楽しそうなんだもん。ツアーやりたかったよな、ライブハウスで音楽、かき鳴らしたかったよな。しんどかったのは、「不要不急」だといわれて傷ついたのは私たちだけじゃなかったよな、むしろ演者だよな、なんて思って、泣いた。

楽しい曲も、柔らかなバラードも、そのどれもに私は震えた。
申し訳ないけれど、本当にクソくだらないことで私たちを笑わせるMCも、楽しくて懐かしくて嬉しかった。どの公演もMCはくだらなかった。いい意味です。


前述したとおり、私は合計で7公演も入ってしまった。
気持ち悪くてすみません。新しくOKAMOTO’Sを好きになる機会を誰かから奪っていたらすみません。それでも2年半ぶり、しかもこのツアー、私の奇跡の休職、いろいろ重なってどうしても行けるところは行きたかったんです。

そのすべての公演で、私は飽きることもなく、楽しんで、涙を流し続けた。


セトリがよかった。
いや、セトリ も よかった。
歌も、ベースも、ドラムも、ギターも、サポートで入ってくれていたキーボードも、照明も、スモークも、衣装も、もうなんだかわからないけれどすべてがよかった。全部。なんで私って本当にいいものに触れたとき、こんな言葉しか出てこないんだろう。最高だった。最高で最強だった。意味わからんくらい最高のツアーだった。

始まったものはいつか終わってしまうというもので、12月2日のZepp HANEDA公演をもって、「KNO WHERE」ツアーは幕を閉じた。

7公演を見て思ったことは、たったあれだけの時間でも、ロックバンドは、いや、OKAMOTO’Sは、こんなにも変化するのか、ということだった。

もちろん各ハコで私たちの立ち位置や席は異なっていたし、ハコ自体も違ったから音が違ったり演出が違ったりするのは当たり前なんだけれど、それでも変化していっていた。確実にいいほうに。もう本当、信じられないくらい、変化した。


12月2日のツアーファイナルの私たちの席は、初日とほぼ同じ場所だった。

鳥肌が立った。
ベーシスト側にも、ギタリスト側にも行った。小さなハコでほぼ最前、大きいハコでのほぼ最前、とにかくいろんな場所を引いたし、自由席はいろんな場所で見たと思う。だけど最後の最後で同じ席に戻ってきた。冷静に全体が見える席。

だから余計に変化を感じたのかもしれない。

「来るぞ!」とわかっていてもどうしても泣いてしまう、ショウさんの言葉がある。
いろんな公演に行ったから、いろんな言葉が混ざっているけれど、本質のところは同じだから、ご了承ください。


「好きっていう気持ちって、最大の原動力だと思うんです。で、俺は、音楽が大好きなんです。俺はね、このメンバーで、音楽をするのが本当に大好き!高校生の時に組んだバンドが今日まで続いていて嬉しいよ。こんなに大好きなものに出会えて、俺は超幸せ!そんな、好きという気持ちを詰め込んだ曲を、歌います、Sprite。」

はい、Youtubeに上がっているので全人類Sprite聴いてください。


「俺たちは新しく、KNO WHEREというアルバムを作りました。ノーウェアーは「どこでもない/未知の場所」という意味です。でもそれは頭にKの付かないNO WHEREです。俺たちはタイトルに「K」を付けました。Kをつけると「KNOW」、「知っている」という意味になります。俺たちはただ闇雲に、どこでもない場所に向かって進んでるんじゃなくて、俺たちが「何者」なのかわかって、未知の場所に進んでる。そういう意味を込めました。でもそれって、すごく、すごく自信がないと言えないことなんです。俺たちがNO WHEREに「K」を付けられるのは、俺たちがこうして魂削って作った曲を、みんながこうして聞いてくれるから。だから俺たちはこうして、胸を張って自分たちが「何者」であるかを理解することができる。前に進むことができる。だから、みんな、本当にありがとう。」


「俺たちが!OKAMOTO’Sだ!」


やべ、打ってても泣けてきた。

私の涙腺は、何度聞いてもこの2つのMCと、その間に挟まれる曲たちに壊されて、拭っても拭っても涙があふれて止まらなかった。私の闇は深くて遠い。目がくらむような深さまで、届け、届け、と心から思った。染み渡るように、包み込むように、光って止まなかった。

そして、10月19日のオカモトショウさんのお誕生日公演で、ショウさんが言った言葉が忘れられずにいる。


「不確かなことばっかりな世の中だけど、今日ここに俺たちがいること、俺たちがOKAMOTO’Sでいること、それは数少ない「確かな」ことだ!」


「ありがとう」と伝えるのは私のほうだけどな、と思いながらも、OKAMOTO’Sからの「ありがとう」に手が腫れるくらいずっと拍手をしたかった。声が出せないからこれしかない。どうすれば私の感動が伝わる?感謝が伝わる?ありがとう、ありがとう、と思いながら、涙も拭かずに拍手をした。


全日程が終了して、さんざん一緒にツアーを回った友人と別れ、一人になって最初に頭に浮かんだフレーズは、

「君越しに見る世界が
 今日も少し ほんの少し
 輝きを見せるんだ」 

だった。
これはOKAMOTO’SのWelcome My Friendという曲の歌詞。
なんかちょっと涙が出て、電車の中で俯いた。
ショウくんは「こんなに好きなものに出会えて幸せだ」と本当にうれしそうに微笑んでいたけれど、私は、そうして魂を削って音楽を作り続けてくれる、私に光を浴びせてくれるOKAMOTO’Sに出会えて本当に幸せだよ、と思った。OKAMOTO’S越しに見る世界は、輝きを見せるんだの。

OKAMOTO’Sのファンになったことを本当に自慢に思う。
いやまじで。本当に大自慢だよ。もうずっと言ってるけど、本当に本当に最強で最高の格好いいロックバンドはOKAMOTO’Sです。私にとって誰にも勝てない最強のヒーロー。いや勝ち負けの世界じゃないけども。

「OKAMOTO’Sが最高ってことに、なんで誰も気づかないんだろう?」


…さて、ここから先は、各地での私たちの動静(?)と小話をぶち込んでおこうと思うので、全然重要じゃありません。でもおもろいから読んで。

10月19日はフロントマン、オカモトショウさんのお誕生日だった。
前日18日は私の誕生日だった。私は、1年の中で自分の誕生日が1番メンタルが地底に落ちていて、おめでとうと祝われることもうれしいのに悲しくて大嫌いだった。翌日にライブに行って、小さなハコで4列目辺りで1人で見ていた。このハコは私が初めてOKAMOTO’Sのワンマンに足を運んだ場所でもあったので感慨深かった。

大げさに聞こえそうだけれど、昨日死ななくてよかったと、本当に思った。

グッズを紹介するとき、ショウさんが「着てくれている人もいるね」と私を指さして笑ってくれた。私は笑い返しながら泣いた。


11月5日は、私が世界一大好きなギタリスト、オカモトコウキさんのお誕生日だった。
そりゃ仙台くらい行かせていただきますがな、と思いながらチケットを取った。ハコは小さくてチケットが取れた人はすごく少なかった。運がよかった。本当に、運がよかった。座席指定で見事にベーシスト側を引いたから、めちゃくちゃ面白かった。お友達はベーシストこと、ハマ・オカモトさんが大好きだったのでとてもよかった。どうでもいいけどめちゃくちゃハマくんと目合った。多分合ってないんだけど、目合った。


6日の盛岡公演は「どうせ仙台行くしねえ」とノリで申し込んだものだった。
ライブ前、某コーヒーショップで開場を待っていると、なんとなく見覚えのある赤髪のお兄さんが入店してきて、それがドラマーことオカモトレイジと気づくまでに数秒かかった。私の席からしか店の入り口が見えなかったので友人に「え?合ってる?」と確認を取り、2人で謎にうつむいた。なんとなく公演前に声をかけるのはなあ…と思ったし、それ以前に手が震えて声をかけるとかそういう次元に至らなかった。思いっきりグッズの帽子かぶって俯いてみた。ライブ終わりにめちゃくちゃお客さんガン見していくのまじでおもしろかった。
前日のコウキ誕から続けて、私はオカモトコウキさんが出したソロアルバムのTシャツを2日連続で着用していたのだが、サポートキーボードことブライアン新世界さんがツイッターに「コウキ君の目の前に、GiRL(コウキくんのアルバム名)のTシャツを着ている方も」とツイートしていて死ぬほど恥ずかしかった。


23日の名古屋公演は二人とも日帰りだったので、新幹線の待合室で合流した。これまでの全公演で私たちは合流に大変手間取った(なんでやねん)ので待合室にした。のにトイレ行きてえとか言ってトイレの前で待ち合わせした(なんでやねん)。この日はいろいろとあったので、ライブ後に終電までまた新幹線の待合室でいろいろと話していた。待合室にはスタバが1店入っていたので、私はコーヒーを飲んだ。話していたら見覚えのあるブライアン新世界さんが買い物をしているのを発見し、その後また赤髪のお兄さんこと(こと?)レイジがコーヒーを買いに現れて、前回よりも近いレイジに2人で俯いた。そればっかりやないか。好きな人が現れると声かけられないもんだねえと手を震わせて2人で笑った。
MCはウンコの話ばっかりしていた。普段よりひどかった。面白かったけど。


12月1日の羽田は、オカモトコウキくんの目の前2列目を引き当てた友人が急遽私をライブに誘ってくれた。もともと予定になかったけれどいってよかった。マジで目の前だった。隔席だったので、コウキくんのお立ち台のセンターに私はいた。世界で一番格好いいギタリストが、ツアーを経てさらに進化を遂げて目の前で信じられないほど格好いいギターをかき鳴らした。私はのけぞったりワンワン泣いたりしながらそれを見た。ちなみに服は我慢したけどGiRLのタオルを持参したところ、コウキくんが不思議そうにめっちゃ見ていたのがハイライトです。一番目が合わない人なので、普段。すげえ面白かった。お兄さんのグッズですけど見おぼえないですか?と思いました。


12月2日のファイナルでは、謎に気合の入っていた私たちが2人揃ってカットカラーに行き、予定時刻より全然後ろ倒しに合流した。店員さんが充電してくれるというから任せたのに、友人のだけ全く充電できていなくて面白かった。これだけ公演を見ているのに、開始前はどうしても手が震えて緊張した。それが妙でおかしかった。終わってしまったことへの悲しさをごまかすためか、2人揃って買う予定のなかったグッズを購入した。最高だったよねと語りながら、全然関係のない世間話をした。さみしかったからだと思う。


MCも覚えている限り書こうかと思ったけれど、いい加減長くなるし、なんてたってくだらないのでまあいいか。割愛。お誕生日公演で自ら「お誕生日です」と公言したコウキくんはかわいかったです。あとショウくんのときもコウキくんの時もケーキを持ってきてくれたハマくん、OKAMOTO’Sの曲にある「HAPPY BIRTHDAY」じゃなくて、普通のよくあるハッピーバースデーをうたっていたの、割と面白かったな。ショウくん歌わんし。
あとあれだ、「ファイナル二日目です」から入ったコウキくんの謎のMCもよかったな、ファイナルは今日だけなんだけどと笑いました。


なんだか死ぬほど長くなってしまったけれど、OKAMOTO’Sが最高だってことが伝わっていれば幸いです。

私は人生のどん底にいて、このタイミングでこのツアーがあったことをさらにありがたく思うよ。うれしく思うよ。私に消えかかっていたいろんな光が集まったような感覚がする。もう語彙が何にも残っていなくて、どう頑張っても私の心が、感動が、伝えきれないのが残念だけれど、私が言いたいのは、

「OKAMOTO’Sは最高ってこと!」


あとはプロの友人に任せます。
ありがとうOKAMOTO’S、これからも大好きだよ。
私の最強で最高のヒーローたち。


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