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くだらない日常の話


日常はあまりにくだらない。

重度の花粉症は、私のあらゆる呼吸器をまんべんなく攻撃している。呼吸をするのも目を開けているのも億劫で、イライラしてたまらない。誕生日の次に機嫌が悪い季節だ。そんな機嫌の悪い季節は、なぜか出会いと別れの季節でもあった。私のくだらない日常でも、それは変わらず訪れる。私は何人かを失って、何人かと新しく出会っていた。当たり前のように。習慣として。それでも別れが苦手な私は、学ぶことなく今年も泣いた。花粉のせいだとごまかさず、別れを惜しんで、泣いた。

最近は少し大人しくしていたはずの希死念慮が、再び現れ始めていた。

もちろんずっと存在はしたものの、「はいちょっと、今私忙しいから黙ってて」と黙らせておける程度のものだった。生理前後とかはあまり関係なく、本当に忙しすぎて自分の時間がなかったことに起因すると思う。といっても私よりも幾分忙しい人はいたし、かくいう私も「では今は暇なのか」と言われたら答えは「んなわけねえだろ」である。それでも、希死念慮と向き合わざるを得ないくらいには、時間ができてしまっている。

大きく膨れ上がって、何で刺しても割れない風船のような感じ。
私の心とか体とか、そういうものの隅々までパンパンにつまってしまっているような、そんな感じ。

そして思う。
私、毎年、こんなに息苦しかったっけ、と。

前述したとおり、私は重度の花粉症である。
昔から私を見てくれている医者も、花粉症の検査結果を見てたまげていた。「春は普通に呼吸できません。」と言われた。もう少し暴力的な言葉だったし、私はそのセリフがとても面白くて好きなのだが、医者としてはあるまじき言葉を使っているので割愛する。飲み薬の中でトップクラスに強い薬を毎年ドサッともらっていた。こちらに転居してきてから同じ薬は手に入らなかったが、最近とうとう医者にさじを投げられ、病院にあったもっとも強い薬を出してもらうことに成功した。

花粉の話が長いが、とにかく私は重度の花粉症で、鼻水、目のかゆみ、鼻詰まりにとどまらず、喉のかゆみや咳がたまらなく続くのだ。呼吸器が全滅というのはこういうところにも現れる。ちなみに呼吸器以外だと肌に出る。

なので毎年、この時期は常に咳やくしゃみをして、泣いている。
まあでもそういうものなのでもう受け入れている。今更どうにもならない。

それにしたって、今年はあまりにも呼吸ができないなと、ふと思っている。

さてそれは、うつ病だと診断をされてから最初の春だからなのか。休職を経験し、それが明けてうまくいっていないと理解してしまっているからなのか。私自身が我慢のプロであることをまざまざと見せつけられているからなのか。単に花粉の飛散量がバカなのか。

答えは考えても無駄だろうしそれこそ余計に悲しくなるだろうから、今は蓋をしている。
それでも妙に心臓が痛い。
呼吸が、遠い。


昔、ツイッターで創作活動を辞めてしまう人のことを「今日はもういいや、を続けていって筆を折ってしまうんだろうな。」と表現したツイートを見た。私が創作を辞めたときもそういえばそうだったなと思った。毎日書くのが楽しくてたまらなかったはずだったのに、少しずつ距離ができていった。筆を折ると言うが、その日は単発的に現れるのではなく、日々少しずつ、あたりまえだった日常から消えていって、その結果、筆が「折れてしまう」のだ。そういうことをツイートしていた。

創作活動と一緒にするのはいかがなものかと言われるとなんとも返答に迷うところだけれど、生活を続けることをぼんやり、少しずつ辞めているのかも知れない。

今までは諦められなかったはずのことを平気で諦められるようになった。

腹が立ったこと。訂正しなければいけないこと。それはどうかと思うと、主張しなければならないこと。それから、大好きなバンドのライブや大好きな漫画のイベント。そういったことを平気で諦められるようになった。良く言えばそういうものなのだと受け入れられるようになっていて、悪く言えばどうでもよくなっている。悲しいと思うことすら面倒くさくて「はあ、そうですか」とひらりと流してしまう。

楽しみだった娯楽が「義務」のようになり、求めていたはずの価値は「平凡」になってしまった。


「もう今日は、生きるのいいや。」

と思ってしまった日に、私はきっと死を選ぶのだと、ふと思った。
それもまあ、なぜか仕事の休憩中に、コンビニで買ったコメダ珈琲のカフェオレを飲みながら。ぼんやりと、鬱陶しいくらいに晴れ晴れとした明るい青空を、四角い窓、ブラインドの隙間から覗きながら思った。

このカフェオレを欲しなくなったとき。
切り取られた青空を見なくなったとき。
ブラインドの隙間の光が気にならなくなったとき。

そういった、小さな何かが見えなくなったとき、私はきっと、死を選ぶのだ。

心にあまりにも余裕がなかったとき、狂ったようにタバコを吸った。
私の体はどうにもタバコと相性が悪いようで、タバコを吸うと信じられないくらい頭がクラクラした。脳貧血があんまりにも顕著に出て、しばらく手足が震えた。立って吸えないから、キッチンの床にへたり込むようにして、そこまでして何本も何本もタバコに火を点け続けた。

肺の奥に溜まっていく煙を、不思議ととてつもなく感じた。
満たされるはずもなく不快感だけが残った。たまらない吐き気に襲われた。喉の奥が焼けるのも感じた。それでも吐く寸前まで何本も何本も光を灯し、体に害を取り入れて、吐き出した。残った微かな火を灰皿に押し付けて殺した。そうしてなんとか自分の形を理解した。私はまだ生きていて、きちんとタバコに不快感を持っていると、納得したかったのかもしれない。


春は別れの季節で、外部に異動するうちの1人が、私と話をしてくれた。
それはそれはたまげるくらいに褒めて頂いた。私の仕事をまるっとすべて肯定してくれた。一緒に働いたのはわずか1年だった。気がついたら涙が溢れていて、私は礼を言った。

そうして満たされたはずのその日も、例外なく私はキッチンにへたり込んでタバコを何本も吸った。嬉しいことがあってもスイッチが切れるとすぐにこうなる自分に落ち込んだ。私はくだらない。頂いた言葉はもったいない。スイッチが適切に入らない。過度に入れすぎて、電池切れのようになってしまう。嬉しい気持ちと、スイッチの入っていない自分との錯綜だった。

すべての異動が済んで、たった2日で私は限界がきて、大好きな先輩を飲みに誘った。もちろん私は酒を飲めない状態ではあるし、某ウイルスもいつまでも元気に働いているからすぐにとは言わないけど、と後付で伝えた。その先輩はあまり他人に直接的な心配の言葉を言わない。どちらかというと、行動で示してくれる。開口一番、「大丈夫?」と聞いてくれた。私はどんな顔をして働いているんだと笑った。「2日目で死にましたね」と答えると先輩は「やばいやばい」と軽く笑った。その軽さが嬉しくて、少し目の前が滲んだ。

毎年人事が発表になった日に2人で飲みに行く後輩がいる。
いやはや約束も軽快で、仕事のすれ違いざまに「今日何時?」と言う会話が始まる。特段約束はしていないけれど、毎年恒例なのでなんとなくお互いに予定を開けている。今年は本当にほぼ会話なく、少しはなれたところから「6?」と指で数字を示した。「OK」の返事も指で返ってきた。すぐ合流してようやく会話した。

お互いの限界は浅く、腹の立つポイントも似ている分、今年は人事の発表された3月頭に引き続き、つい先日も2人で食事をした。これもその日に決まった。後輩からヘルプが来たのが私の限界と全く同じだったので2人で笑った。食事に行って不満ばかり話した。不満を話すとスッキリした。スッキリしたけど、不満しか出てこない自分に少し嫌気もさした。

休職明け、初めて実家に帰った。
コロナがあったので通院はしながらも、実家に帰ることは控えていた。祖母もいるし、万が一移したらまずいなと思っていたのが半分、実家に戻ることで心が揺らぐ可能性が半分だった。人間は言い訳を作るのだけは得意だから、私のこの気持ちが本当なのか言い訳なのかは不明だけれど、とにかく3ヶ月ぶりだった。

その日が久しぶりの通院で、私は心が浮かれていたように思う。
猫に会えることも、妹が作る夕飯が食べられることも、家族に会えることも楽しみだった。ふわふわとしていた。服装も浮かれていたし、思考も浮かれていた。実家に帰るだけでこんなに元気なのかと単純で笑った。だからちょっと調子に乗った。

完全にただの日記と化してきている。
病院では薬の量が少しだけ減った。ずっと定時薬だった睡眠薬が減った。頓服になった。睡眠薬を服用していたからかどうかはさておき、人生で初めて寝坊をしたことも原因の1つではあったが、医師からは「順調に薬の量が減ってるね」と言われた。その時は純粋に嬉しかった。

アホだった。
調子に乗った。

一時期熱を出してから(紛らわしいがただの熱発である)タバコは吸わずに生活できていた。それが途切れてしまった。タバコはもう嗜好品ではなく、どちらかと言うと自傷行為に近くなっていた。一応美味しかったはずのタバコが不味くなった。それでも一時的に現実逃避できるような気がして、相変わらずキッチンでへたり込んでタバコを吸った。


灰皿に乗っかった吸い殻も、自分の口から溢れていく灰色の煙も、もう見慣れた光景になった。母と父がヘビースモーカー、妹は嫌煙家。私もどちらかと言うとタバコを吸う両親を見て育ち、自分はタバコを吸うことはないんだろうと思っていた。興味もなかった。それが今ではこれだった。立っていられなくなるまで、キッチンでへたり込むまでタバコを吸う。今日も生きてしまったと、とんでもない罪悪感に襲われながら。

呼吸器が花粉によって殺されている今、私の喉に、タバコの煙は痛かった。

心がストレスによって殺されている今、私の体に、タバコの煙は必要だった。


話にまとまりがない感じが、とてもくだらない日常という感じがしてたまにはいいかと思う。私の人生はくだらなかった。誰がなんと言っても結論がそこに至ってしまう。あの頃達成できなかった発達課題も、あの頃救ってやれなかった自分自身も、あの頃選択できなかった未来のことも、考えれば考えるほど「なんてくだらないんだろう」と心から思った。

生きていくほうが、黒歴史を増やしていくだけだとわかっていた。
漠然と昔から隣にいた希死念慮は、最近は私の背後に迫って、ずっと刃物の先を私に向けているのだ。手を取り合って、折り合いをつけて生きてきたはずの希死念慮は、隙を見て私を殺そうとしている。私はそれでいいと思っている。それを怖いとは思えず、なんなら安心すらしている。

私を見放さない、唯一無二の存在が希死念慮って、それこそとんだ「くだらない話」だろ。


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