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ハッピーエンドが似合わない

最近はメッキリこんなことばかり考えてしまっているので、うるさくてしつこくて申し訳がないと思うのだけれど、許してほしい。

高校時代の友人が、とうとう結婚をすることになった。
私はそれを心から祝福している。それぞれに結婚式で唐突に役割を与えるからなと脅しを受け、それで笑ったりしていた。「急に友人代表スピーチとかやらせるで。」と言われて笑った。殺す気か。


こんなに楽しい話をしながら、結婚する友人が「結婚式の想像するのは楽しいねんけどなあ」と少し悲しそうに笑った。


「相手の仕事柄、同棲してからの結婚が認められず、結婚してから初めて一緒に住むことになるかもしれない。もう27歳、されどまだ27歳。この人で本当にいいのかと悩むことが多い。私は自分勝手な女だと思うし、すぐに怒って相手を傷つけてばっかりだし。なんだかそういったことに逐一凹んでしまう。」

なんだかそのようなことを、笑いながら言った。

この友人は、私の数少ない友人、数多い知人の中でもっとも「かわいい女の子」だと私は思っている。主に顔が。もちろんキャラクターも身長も服装も髪型もいつだってすっごくかわいい。なんで私と仲がいいのか不思議なくらいにかわいい。腹が立つこともあるし、本人の言う怒りっぽいところもわかる。だけど、自信を持てばいいのに、とのんきに思う。


だって、私とは違う。


努力されて手に入れたものも、天性として持っているものも含めて、私とは違う。
私みたいに歪んでいなくて、やっぱり純粋で愛おしい。いや純粋は盛った、嘘。きちんと相手のことが好きだからそうやって悩めるんだ、と少し羨ましくすら思う。自信を持てばいいと心から思う。本人は本気で悩んでいるからそんな意味の分からないことは伝えていないけれど、私は悩みを聞きながらそう思っていた。

人に愛され慣れてしまうと、こういう不安もでるのか、と思った。

嫌味でもなんでもなく、純粋に。
友人は驚くくらいモテるし、まあそりゃこれだけかわいけりゃあれなんだけど、まあそれはそれはモテる。アプローチを受けることも多いし、友人自身も惚れっぽいと私は思っている。いっぱいいろんな人といろんな恋愛をしていた。だから何だって感じだけど、私が急に結婚するのとは話が違うし、その数多いた「好きになった人」の中から選んだなら大丈夫だよ、と思っていた。


そして、ぼんやりと、悲しくなる。


私は絶望的に恋愛経験がない。
本当にびっくりするくらい、恋に落ちない。恋に落ちるってなんだよっていまだに思う。ちゃんと好きだったのって、ちゃんと恋愛的に好きだったのって、結局あの人1人なんだなと思う。27年生きて1人ってバグってない?

恋人がいなかったわけではないけれど、私はその人を恋愛的な意味で好きになることができなくて、結局お別れをした。距離をとるのじゃダメなのかと別れを何度も断られたけれど、遠距離で2か月に1回くらいしか会ってなくて、連絡も私が半分無視をしている状態から、「これ以上、どう距離を置くわけ」と言い放って無理やり別れた。好きになれなかったことを申し訳なく思った。

人生で初めて、私にきちんと好意を伝えてくれた人だったから。


モテるとかモテないとかの定義ってわからないけれど、私は好意を伝えられたことがほとんどないし、自分のこととなると大変興味がないので気づくこともない。あとから「Aって本気で永和のこと好きだったんだよ」と他人から言われたこともあるけれど、それでも私は伝えられない相手なのだなとぼんやり思うだけだった。「ふうん」とそっけない返事をした。うれしかったけれど、悲しかった。そう聞いたAくんにはすでに別の彼女がいたし、好きってそういうもんなのだなと思った。

いや、私の「好き」が重いのか。

私はきちんと「好き」を処理しないまま生きているから、重く重くのしかかってしまっている。
すきだったあのアホに勝つ人なんてこの先たぶん現れない。
私がちゃんと処理をするまでは。
処理の仕方は、分からないけど。


人のことって、どうやって好きになるんだっけ。


いやはや全く、反吐が出るくらいくだらない悩みだな。
悩んでいるのかすら怪しい。でもなんとなく、悲しい。好きになれないこととか、好きになってもらっていても好意を伝える気にならないんだなとか、そういうのは、悲しい。

私ともう1人の友人は「数多いる交友関係、私たちみたいな友人、家族、その中の一つに恋人という枠があるだけなのに、恋人になった途端に、どうしてそんなに時間を割かなければいけないのかわからない」という考えだった。2人そろって長らく恋人はいません。いい人もいません。

それに対して、結婚する友人が「なるほどな、頭では言いたいこと分かるけど、まったく理解ができん」と嫌味なく笑った。私と友人も笑う。「これが結婚できない女とできる女の違いかあ」と笑う。結婚する友人は「でも、そっちのほうが男受け良さそうやのに。束縛のソの字も出てこんやん」と言った。なるほどなあと2人で頷きながら、「こんだけ私らモテてなかったら説得力がない」と返答した。3人で笑った。


実際、私の中で恋愛はずっと枠として小さかった。
仕事をしているときは特に、優先順位の中で相当下位にいた。

仕事を休んでから、大切にするべきものを見失ったように、ゴミみたいなマッチングアプリをダウンロードして、適当に男性と遊ぶようになった。今まで忘れていた恋愛を探すみたいに。仕事柄出会いは少ない。少ないっていうか、ない。忘れかけていた何かを埋めるように、私はドタバタといろんな人に出会った。覚えていなくていいようなくだらないものがほとんどだった。

一人だけ、今も関係を続けている人がいる。
続けているのは、彼が私にほとんど興味がないからで、私も彼に興味がないからで、お互いにお互いの傷に触れないからだった。それでいてお互いに相手の感情には敏感で、ああきっと何かあったんだな、と察すると、何も言わずに普段より強く抱きしめたり、普段より長く傍にいたりした。くだらない、ありえない妄想に理由を落とし込んで「そういうことがあったんだよねえ」なんて笑った。

だけどこれは明確に恋慕でなくて、そしてただの友情でもなかった。
だって会えば何かしらの肉体的な関係を持つ。
セックスはしていないけれど、何かしらの。
私には新しい形の人間関係だった。


異性との出会いは、友情に落とし込めなかったら、なんでもかんでも恋愛に結び付けなければいけないのだろうか。


「沼っているな」と思う。
「沼る」ってもはやあれですか?もう死語?まあいいや。
連絡が来ると嬉しい。それが急でもなんでも。
連絡が来るのは会いたい時だけ。何かしてほしいことがある時だけ。私はそれが心地よくてうれしかった。丁度よかった。私は彼にとって都合のいい女でよかったし、私にとって彼も都合のいい男の人に他ならなかった。


沼と恋愛は全然別物だな、と思うのに、周囲の、特に男性から言われるのは「それって好きってことを一生懸命押し殺してるだけなんじゃないの?」だった。もう3人には言われた。

そうか、そういう風に見えるのか、と純粋に驚いた。
そして、実は本当にそうで、私は彼に惚れているのか?と考えてみたりもした。お気づきの通り、考え出した時点でそうではない。「惚れている」部分を探す作業は不毛だし、探している時点でそうではない。そもそも人のことってどうやって好きになるんだっけ。好きになったらどうするんだっけ。考えが逸れていく。

不思議なのだ。

どうでもいいから私の人生における大爆弾の話を2つともしているし、彼はそれを笑ったりもしない。「意外だね」という反応に私もなんとも思わない。「そうでしょー」と笑って返すし、それ以上の干渉もない。好きな人には絶対にできないなと思う。相手の反応を窺うだろうし、つうか普通に、こんな大爆弾知られたくない。嫌われるに決まっている。

この爆弾2つをもってしても、彼と関係が切れない。
ああそうか、だから私は、不思議なんだな。


好きな人には言えない秘密。
嫌われたくないから言えない秘密。ゴミみたいなマッチングアプリで出会った人たちが、覚えていなくていいようなくだらないものがほとんどなのもそれだった。大爆弾って気味が悪い。だからみんな1回だけ。最初に会ったときに「かわいいね」というやつに限って、平気な顔してさようなら。

私が髪を切って染めたとき、彼は初めて「似合うね」と言った。会ったのは5回目とかそれくらいのときだったと思う。私の容姿に初めて言及した。ちょっと驚いた。駅に迎えに来てくれる。いつもどおり「駅前で一番格好いいなあ」とぼうっと思っていた。駅前で一番の男がにこっと笑って、私の髪に触れながら、「似合うね」と笑う。ああこれが、好きな相手ならたまらないだろうなと思いながら、「ありがとう」と私も笑う。


何をされてもいつも頭にこれがつく。
「これが、好きな相手なら、たまらないだろうな。」

でも
「この人が、好きな相手なら、いいのにな。」とはならない。


私はこの人を好きになりたいわけではないし、関係に名前を付けたいわけではない。それは今だけじゃないのと言われるとそれは未来のことなので分からない。これは言い訳に聞こえるかもしれないけれど、でも誰しもそうだろう。1秒先の未来すらわからないからわからないけれど、私は彼を好きになるとは「思えない」だけで、そうなっている未来だって可能性として存在する。難しいな。


人との関係に名前を付けることは心から億劫だった。
私の悪い癖だけど、名付けたものの通りにしなければと思ってしまうから。新しく出会ういろんな人にも名前を付けて、それ以上の進展や後退が望めないようにしてしまう。職場の人は職場の人、家族は家族。この辺まではわかるけれど、愛情とか友情とか曖昧な定義の関係性に落とし込む必要はどこにあるんだろう。私が納得するため以外に何がある?宙ぶらりんの関係性ってそんなにだめだっけ。

愛情か友情、どちらかに落とし込めというならば、彼との関係は「愛情」に近い。
だけど明確に恋に落ちていなくて、どこにも彼に対する希望や関係の進展を望んでいる私がいない。でもこれってあんまり伝わらなくて、私が勝手にそうなんだろうなと思っている。思うことにしている。だってほら、恋人以外にだって、期待するだけ無駄なことのほうが多い。


つうか、あのいい男が、数多いる女の中から私「だけ」を選ぶほうが悲劇だろ。


恋愛に臆病だとか、そんな書き方をするとかわいらしいなと思えるけれど、私の場合は本心でコレを言っているからタチが悪いと私も自分で分かっている。私は人に恋に落ちないうえに、人から好意を伝えられない。そりゃそうだ、これだけ抑圧されていて、私を選ぶ人たちを心の底から「変だ」と軽蔑する。特に、恋愛として。

彼が私を本命にしないから、甘えている。
彼が私に情報を開示せず、その上私も開示を要求されない。

だから私は、彼との関係を友人にも恋人にも落とし込まず、宙ぶらりんのまま、関係性に決定打を打たないで、安心して適当に隣にいる。
都合のいい、だけど言動が好きな人。
恋愛感情とはあまりにもかけ離れていて、ただの友情と呼ぶには物足りない。

明確なのは、この人と関係が続く限り、私がきちんと誰かに恋に落ちることがまずないと言うことくらいか。それが問題なのかすらわからないし、分かりたくもない。

そもそも私は本当に恋人が欲しいんだろうかとか、今治すべき病気と向き合うべきなのではとか、つうか仕事休んでるから頭バグってるだけなのではとか、そういうことばかり思う。会っている時だけ恋人みたいなフリをする。彼のする雑談に興味はないから聞き流すし、向こうも同じように聞き流している。適当な恋人ごっこ。適当で、適度な、恋人ごっこ。


好きになったらどうなるの?


想像する。ろくな未来は待っていない。振られても傷つくし、振られなくても呆れる。好きになったことに対して自分に愕然とする。そう言うネガティブでマイナスな未来を想像することがあんまりにも得意。

私だって幸せになりたいけど、みんなの言うその「幸せ」に、まるで、「彼が邪魔」だとでも言われているように感じて、いつもすこし、寂しいのだ。たぶん。


結婚をする友人が言った言葉も、恋人も好きな人もいない友人が言った言葉も、どちらも2人の真っ当な考えだと思うし、私もそのどちらも面白いから否定しない。

だけどふと、ああ私、あの2人に彼の話はしていないなと思った。
2人もきっと私を否定したりしないだろうけど、なんとなく言いづらくて言ってなかった。ああ、じゃあ間違ってんのかな。


胸を張って恋人だとは言えない。
友達だとも言えない。
なんて紹介すればいいかわからない。
ああだから、関係性の名前って、大事なのか。


独り言は続く。
都合と言動のいい彼に会うたび、連絡が来るたびに考える。今日を最後にするべきなのかとか。曖昧で不透明なのは、もうこの年齢で求めちゃいけないんだろうなとか。楽しくて幸せだけど、ふとそう言うことを考える。周囲の声が正しくて、私が間違ってるのかな。

まあでも、私の幸せは私が決めるよ。
私の好きな人だって、私が決めるよ。
彼は私の恋人ではない。
私は彼のことが好きではない。
私は彼が不幸を持ってきたらそそくさと逃げ出す。
好きだった人の時とは正反対だ。


名前のつかない、曖昧で不透明な関係が終わる時、私は一体何を思うかな。ああみんなが正しかったんだなって笑うかな。
それとも。

終わってほしくないのに、終わるのが少しだけ楽しみだ。

乞うご期待。誰がやねん。


で、何が言いたかってん、私は。


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