母に「あなたがきらいです」と宣言した日、心のコップからあふれでる言葉たち
母親がきらいだ。
そんな毒を、こんな風に吐き出すことに抵抗がないかと言われたら真っ赤な嘘になる。抵抗感しかない。
それでも、この胸のうちにくすぶっている「きらい」という感情。
もう、見ないふりなんてとっくの昔にできなくなっていて。
きらい、きらい、きらい。
本当にきらい。
マジできらい。
本当にムリ。
顔も見たくない。
同じ空気を吸いたくない。
きらい、きらい、きらいだ。
そんな言葉たちが、感情たちが、実家にいるときのわたしの思考を埋め尽くす。
でも、憎いとか、恨んでいるって言葉は、出てこない。大きらいも、出てこない。ただシンプルに、「きらい」とだけ思う。
だからきっと、わたしのうちにくすぶっているこの感情は、子どもが思うとおりにならなくて、そのイライラの捌け口がわからなくて「きらい!」と叫ぶようなものなのかもしれない。知らんけど(唐突な関西人風)
母は、毒親なのだろうか。
はっきりそうだとは言えず、でもそうじゃないとも言えない。そんなグレーゾーンの中で、ずっとわたしは宙ぶらりんだった。
友人たちに母の話をすると「それは...お母さんクセ強いな(苦笑)」とか「なかなかやな(苦笑)」と言われたりはする。
でも、「それヤバいよ!逃げなよ!」とはならない。そんなあいまいな境界線。
いつも、わたしのせいだった。
母の子育てに間違いはなかったはずなのに、わたしがひとりで勝手に、歪んで育った。
「あなたは昔から育てにくい子だった」が母の口癖で。
「6歳くらいまでは、すごくお利口さんで自慢の娘だったのに。なんでこんなのになっちゃったんだか」も、わたしが10代の頃くらいからの母の口癖だった。
「わたしはなにも悪くなかった。あなたがすべてを歪んで捉えて、勝手にそんな風に育った。全面的に、あなたが悪い。わたしは、なにも間違えていない」
それが、母の子育てとわたしとの歪んでしまった関係性における、彼女の見解だった。
これは、もはや笑い話なんだけれど。
一度、母と口論しているときに、「それはあなたのインナーチャイルドの問題でしょ!あなたのインナーチャイルドの傷をわたしに責任転嫁してぶつけないで!!」とキレられたことがある。
「いや、インナーチャイルドの傷ってどうやってつくと思ってるのよ!親子関係でインナーチャイルドが傷つくんでしょうが!わたしの親はあなたでしょ!!」なんて、こっちも反論したんだけど。
本当に、笑っちゃう。
こんなことを書いているけれど、
「わたしがこうなったのはママがわたしをちゃんと愛して育ててくれなかったからだ!わたしはなにも悪くない!ママが悪いんだから、ママがわたしの人生の責任をとってよ!」
と主張したいわけでは、別にない。
わたしの人生の選択や結果は、やっぱりなんだかんだで自分の選択であり、その選択の結果だったことに変わりはないから。
ただ、「こういうことを言われたら傷つく」とか「あのとき嫌だった」と言ったら「それはあなたが勝手にそう解釈して勝手に傷ついたんでしょ?わたしはそんな意図で言ってない。あなたの問題」と切り捨てられるのは、納得できない。
「あなたといると、時限爆弾と一緒にいるみたいで、わたしはいつもあなたに怯えてる。あなたの前では本音も本心も言えない。本当はもっと仲のいい母娘になりたかったのに。あなたは本当に冷たい人間ね」と言われ続けてきたのも、やっぱり毎回傷つく。
そんなことをいうけれど、わたしが母から持ち出された過去の話に対して少しでも反論したり、「そのときわたしはこう感じたんだよ」と言うと、こんな場所では書けないようなFワードやSワードに匹敵する言葉で過去のわたしの失敗や過ちをヒステリックに指摘される。
「あなたは15年前、これだけわたしのことを傷つけたのよ!」
「あなたが16のとき、あなたのせいでわたしは行きたかった旅行に行けなかった」
「あなたはわたしの家族の前でわたしに恥をかかせてきた」
「わたしはあなたのことを信頼してない」
「あなたのことを許さない」
「自立したいって言うなら、今まであなたにかけてきたお金を返して」
そんな言葉を、何度となく投げつけられた。
わたしにも非があったのかもしれない。
悪い子どもだったのかもしれない。
生意気すぎる反抗期だったのかもしれない。
確かに、ふすまを殴りまくってボロボロにしたりはした。夜、耐えられなくて、自転車に飛び乗って夜の街を徘徊したりもした。
でも、非行に走ったりはしなかったし、窓ガラスだって割らなかったし、盗んだバイクで走り出すどころか、タバコの一本だって吸ったことはない。学校だってちゃんと行って、大学は返済不要の奨学金をとれるくらいには、高校の学力もキープしていた。
でも、きっと、そういうことじゃないんだよな。
でもさ。
子どもだったんだよ。
反抗期だって、イヤイヤ期も第一次反抗期もなかったらしい。
イヤイヤ期も第一次反抗期もなかったとはいえ、その間も、色々思うところはあったんだよ?
今も覚えている、保育園の年長さんくらいのときのこと。
押入れの中に入って泣いていた。なにが理由か知らないけれど、ママと喧嘩したのだ。
「ママは、つむが悲しくて死んじゃってもいいの?」とお手紙を書いたことを、今もハッキリ覚えている。
母は、そんなことは起こらなかったと主張する。
わたしの被害妄想だ、そうやってあなたはいつもわたしを悪者にする、と。
第二次反抗期は、母の更年期ともろに被った。
お互いにボロボロだった。
母は、そのころ睡眠障害に悩んでいて、朝起きて一番に放たれる言葉が「今日も眠れなかった。あの音がうるさい。本当にあなたには聞こえないの?」だ。(母は聴覚過敏?になっていて、低周波?のような音がずっと聞こえるので眠剤を飲んでも眠れないという状態だっだ。でも、何度引越しをしようと言ってもいろんな理由をつけて却下され続けた)
最初の頃は心配していたわたしも、それが毎日毎日繰り返されると、もう心配もできなくなっていって「もうわかったから。もういいよ」となっていった。
思いつく限りの対策や解決法を提示してもすべて却下され、でも文句だけは言われ続けても、こちらとしてもどうしようもない。
母が帰ってくると、急にお通夜みたいに重たい空気になる家。母の他には、わたししかいない、閉ざされた空間。
母からたちのぼる黒くてドロリとした黒いモヤのようなものが、死神のような形をとって、わたしの首元に巻き付いて、そのままズブズブとわたしを影の中に引きずり込もうとした感覚を、わたしは今も覚えている。
それは、何度も起こった。
助けてくれる人も、光を差し込んでくれる人も、誰もいなかった。
母も、きっとつらかったんだろう。あの頃の母は、多分うつだったんだと思う。それは、決して母のせいではない。それは、十分にわかっている。
それでも、家に帰るたびに聞かされる知り合いや近所の人、職場の人の終わることのない悪口、愚痴、不平不満。
それらを肯定してあげないと、寄り添わないと、「あんたはわたしの娘でしょ?!だったらなんでわたしに楯突くの?娘なんだからわたしの味方をしなさいよ!」と怒られる。
それも、しんどかった。
延々と聞かされ続けるネガティブな話。
どれだけ学校でいいことや嬉しいことがあっても、家に帰るとネガティヴを背負った母が待ち構えていて、わたしの前向きな気持ちはドロドロに溶けて、影の中に引きずりこまれていった。
何度も母に、話をしようとした。
つらいと、しんどいと、ママのことが好きだけど一緒にいるのがつらいと。
ママのことをきらいになりたくない。ママのことが好きだし、大事。でもこのままだと、わたしはママのこときらいになっちゃう。
でも、なにを言っても母には響かない。
「あんたはお父さんにそっくりね」と言われたとき、ハンマーで頭を殴られたかのようなショックを受けた。
物心のついた頃から父のいないわたしにとって、父親は母から聞く憎しみの対象、辱めを受けさせられた恨めしい相手、クズなやつ、母を心身ともに深く傷つけた相手。
そんな印象しかなかったものだから、「そうか、わたしも、あの人と同じなのか」と、絶望的な気持ちになった。
数年後、母にあのときのことを言うと「それを言ったのは1回だけ。何回もなんて言ってない。でも、確かにそれを言ってしまったときは、しまったと思った。だから、それから一度も言ってない」と言われた。
「しまった」と思ったのなら、謝罪したりフォローしてもよかったじゃないか。その後一度も言ってないからって、傷ついたことに変わりはない。
まあ、そんなのわたしの幼いワガママなのかもしれないけれど。
なんだかもう、判断基準がぐちゃぐちゃになる。
こうやって書いているわたしの気持ちや意見は、第三者から見たらどう映るんだろうか?わたしがおかしい?わたしが間違ってる?わたしが悪い子?
もう分からなくなる。
もしかしたら、わたしが悪いのかもしれない。
わたしが横暴で、自己中で、優しさのカケラもない、母を愛することのできない冷徹な血の通わないやつなのかもしれない。
ほら、これも、ただのヒステリックかつ被害妄想?悲劇のヒロインぶってるだけ?
もう、わけわかんないよ。
大人になり、母の女としての苦労、母としての苦労をこの身で体験しているからこそ、理解できることはたくさんある。
母の幼少期の話を聞いても、人生全般の話を聞いても、どうしてそんなにつらく苦しい人生だったんだろう?って、悲しい気持ちになる。
母が、わたしが求めていた受容や愛を、与えられるキャパがなかったことは、明白で。そこを責め立てるつもりは、毛頭ない。
いや、もちろん、欲してはいたし、今だって「ママが障害もなく、普通の日本の家庭で、普通にパパとママがいてっていう家族だったら、どんな人生だったんだろう」って思うことはある。
でも、今更そんなことを言ったって仕方ない。
というか、母と話をするタイミングがあっ「はっきり言うけど、わたしはあなたのことがきらい」と伝えて。
でも、それもわかってほしいとか、そういうことではなくて。
母との会話でいつもそもそもの前提がずれているから、そして「あなたは本当に冷たい人間よね」と言われることに疲れたから、はっきりさせたかった。
きらいだと思っている人に優しくできるほど、わたしの器は大きくないということ。ここまで拗れてしまっているんだよということ。だから、わたしからの愛が、優しさが欲しいなら、そっちも動いてくださいって。
うーん、そういう意味では、自分の気持ちを伝えたかった、のかな?
それを言って理解してもらえるとも、変わるとも思ってないけれど。それも、伝えた。
こうやって過去のことも含めて思いつくままに綴ったら、少しは思考や気持ちが整理されるかな?と思ったんだけど。
ここまで書いてみて思うのは、別に過去のことで傷ついたのは事実だけど、でもそれが今、わたしが母に対してして「きらい」と思っている理由なのかと聞かれると、そうじゃないということ。
過去は過去だし、今更過去のことをどれだけほじくったところで、過去を変えられるわけじゃない。だったら、前を見て、今の日々を誠実に、心地よく生きていきたい。
それが、わたしの素直な気持ちだ。
でも、じゃあどうして母と一緒にいると「きらい」があふれてしまうのだろう?
そこのところを整理したかったけど、あまりピンとくる答えは出てこなかった。
過去にどれだけ傷ついたのかなんてことを話して、慰めてもらいたいわけではない。さっきも言ったように、過去は過去だ。今更なにを言ったところで、過去に起こったことは変えられない。
ただ、母は過去を前提にしてすべてのことを話す。「今」のことに対しても、過去を持ち出す。
それが、わたしはイヤなんだ。たぶん。
大切なのは「今」と「これからどうしていくか」ということ。でも、母は「今」も「これからどうしていくか」も、全部、過去のことを基準にして判断する。
例えば子育てについて、お互いに対等に意見を言い合おうとしても、少しでも母の子どもに対する言動についてわたしが思うことに言及すると、わたしが反抗期真っ盛りだった時期のことを引き合いに出されたりする。
今その話をしてないじゃん。
そんな15年以上も前の話を持ち出して、どうしたいの?どうして欲しいの?
謝罪して欲しいの?
でも、謝罪は今までもしたけど、結局いつもそのことを持ち出すよね?
まるで、過去に浮気をして、「許すよ」と言われて関係を続行したのに、喧嘩のたびに10年も前の過ちを責められ続けてるかのようなものだ。
いや、今更それを言われてもどうしようもない。そもそも「許す」と言って関係を継続しようと言ったのはそっちなのに。
変えられない過去のことをいつまでもほじくり返されて責められても、こっちはどうしようもない。それは、なんだか、ズルい。
例えるなら、そんな気持ち。
でも、母がこういう性格なのは知っているし、今更変わらないだろうこともわかっている。
話をしても時間の無駄だろうし、改善どころか悪化するのが関の山。
じゃあ、どうしたいの?
なにを求めてるの?
なんでつらつらと、もう5,000文字も、こんな風に綴ってるの?
わたしは、いったい何が不満なの?
シンプルに、「きらい」という感情を感じながら、イライラしながら暮らしたくない。
ただそれだけなのかもしれない。
でも、解決法はいまだに見つけられない。
きっと、実家を出たほうがいいんだろう。
でも、金銭的・経済的な理由から、今すぐ家を出るのはベストじゃないと思う。
1人ならまだしも、子どもがいるから、余計に。
だから、目標金額を貯金できるまで、そして毎月の収入が安定するまでは、現状維持がベストなんだろうなとは思う。
問題は、その目標値を達成するまでの1〜2年を、どう過ごすのかということだ。
わたし1人の問題じゃない。
子どもにも関わってくる話。
子どもは「おばあちゃんはいつもダメダメ言ってくる。おばあちゃん、きらい」と言う。
わたしも、母の顔色を伺いながら子育てをしている節が多少なりとも、ある。自分らしいのびのびとした子育てができているかというと、100%はできていない。
そして、母と同じ空間にいるとイライラする。イライラを押し隠して、子どもと対峙しているから、八つ当たりしてしまうこともある。それは、完全に子どもが巻き込まれ事故だ。
そういうところに、さらにイライラする。
今の現状を変えたいなって思う。
ベストはきっと、母の言うことは全部右から左にして、でも自分のやり方は崩さず、子どもを守りながら、ケアしながら、お金が貯まるまで平穏に今の生活を続けること。
でも、「きらい」宣言してしまったんだよなー。
ああああ、やらかしたー。
でも、我慢できなかった。
「きらい」があふれて、もうどうしようもなかった。
結局、人間関係って双方向のコミュニケーションと歩み寄りだよなって思う。どつちか一方では、成立しない。
もうひとつ、自分にできることは、仕事量を増やして収入を増やし、貯金にまわせるお金を増やすこと。そして、目標貯金額に達するまでの期間を短縮すること。
かな?
母に働きかけて関係性を改善するという選択肢は、正直今の自分にはもうない。そこに関しては諦めているというか、そもそも関係性を改善するために努力しようという気持ちがない。湧いてこない。
はあ。
ここまで綴ってみても、あんまり答えらしいものは出てこなかった。
毒親なのか、ちがうのか。
それを知ったところで、なにも変わらない。
母と、和解できる日は、もうこないのかもしれない。
さみしいけれど、でもどうしようもないこともある、のだと思う。
ただ、母に頼らないといけない部分もやっぱりあって。今も、なんだかんだ、母に頼っているところはあって。
そこが、わたしの弱さであり、弱味でもある。
なんだか、どこにも行き着くことのできないまま。
でも、もうこれ以上書いたところで、どこにも行き着けない気がするので。
一旦、怒りを吐き出したので、良しとしよう。
明日から、母とどんな風になるのか。
人をきらいでいることにもエネルギーや体力を使うから、できればきらいになんて、なりたくないんだけどな。
いつまで経っても、親子関係は難しい。
サポートしていただいた方のことは忘れません