難易度はMAX!? 精神科病院の新型コロナ対策【11】北海道E病院
株式会社ユカリアでは、全国の病院の経営サポートをしており、コロナ禍では民間病院のコロナ専門病棟開設に取り組んできた。
今回は、北海道のE病院のスタッフ3名に、精神科病院で起こったクラスターのリアルな現実とコロナ専門病棟開設までに揺れ動いた心の内を聞いた。
事務長 Y.Aさん|大反対から、心を動かされた院長の決意
私がやるべきこと、対応すべきことは何だ?頭の中はぐるぐるしていました。他の感染症に対応した経験を思い出しながら、伝えるべき人に、情報を正確に伝える。まずは、そのことに集中しました。割と冷静に対応していた気がします。
陽性者がどんどん増えていき、行政にも対策本部ができて、対応すべきことが増えるにつれ、ことの重大さを自覚しました。それと同時に、気持ちも慌ただしくなっていきました。
「自衛隊を呼んでください」と言われたんです。その一言が強烈な印象として残っています。
普段は、とても冷静に対応される師長さんから出た言葉だったので、せっぱ詰まった状況を示していました。次々と、経験のないことばかりが起こるのも、とても負担でした。治療もゾーニングも、一つひとつが精神的に重くのしかかっていた状況でした。
大反対でした。地域と病院のためには、やらなければならないと、わかっているつもりでした。
でも、このクラスター対応はあまりに辛く、苦しい日々で「この状態が続くなんて無理だ!」と、感情が抑えきれず、反対の声を上げていました。
一日の仕事を終えたと思っても、頭から離れないんです。現場にいないと不安で仕方がない。休みの日も、スタッフが困っていたらすぐに対応したいと思うと、気が休まらない。うまく気晴らしができる場所がなくて、家族がいなかったら、どうなっていたかな・・・と思うような日々でした。
気持ちも徐々に落ち着いてきました。本来の事務長としての職務に目が向き始めると、「コロナ専門病棟をやらざるを得ない状況なんだ」と思うようになりました。
病院を維持するためでもありましたが、私たちの経験を地域に還元しなければーという思いも強くありました。市の医療状況を見ても、「精神疾患をお持ちのコロナ患者さんを受け入れられるのは、私たちしかない」と思うようになりました。
院長は、ご自身がライフワークにしていた依存症病棟を閉めてコロナ専門病棟にすると、宣言されました。覚悟を感じ取ったスタッフからは、こんな声があがりました。
「院長がここまで言うなら協力しないわけにはいかない」
院長は、ズバッと決断をしたら、ブレない方。スタッフは、院長の決断をいつも信頼しています。そんな院長が涙ながらに伝えてくれた言葉は、とても強く響きました。
専門病棟の業務もだいぶ仕組み化されて、対応もスムーズになりました。私も何か貢献できないかと思って、窓口をさせてもらっているんです。
コロナ専門病棟を運用するE病院は、地域医療の役割を果たせていると感じています。やりきれない思いをたくさんした日々もありました。今は明るく前向きに、前に進んでいます。
看護部長A.Kさん|生活を共にする人たちを守りたい
本当にあれよあれよという間に、4つの病棟に感染が広がっていったんです。
感染者を隔離する個室にも限りがあって、患者さん同士の接触を完全に避けられませんでした。病状に注意しながら、集団免疫を獲得するまで我慢するしかないのでは、とも考えました。
ここまでのスピード感で増えるものなのかと、脅威を感じました。
病棟のリーダーが帰宅できるのは、毎日21時か22時。早朝から出勤して、酸素ボンベの交換や周辺業務にあたる。酸素を必要とする患者さんが、どんどん増えていたんです。
日勤と夜勤の連続勤務を余儀なくされるくらい、スタッフがいない。助けにいきたいけど、自分の病棟を回すので誰もが手一杯。苦しかったですね。疲労の蓄積が、目に見えてわかるんですよ。パッと見てわかるくらい、痩せていった師長もいました。アドレナリンが出過ぎというか、興奮状態で上手く休めなかったんだと思います。
いよいよ明日の日勤者が確保できないとなったときに、「自衛隊を呼ぼう」と声を上げました。自分たちだけではもう、無理だって。
E病院は古い病院だけあって、長い時間を共に過ごしてきた患者さんも多い。
「入院者」ではなく、歴史を共にした同士というか、生活を共にする人たちなんです。その人たちを守るために、とにかく早く収束に向かわせる、その思いで走り続けました。
重症者への投与量である、酸素毎分10Lを投与しなければならない患者が、15人くらいいたんですよ。
市立病院も受け入れが限界になっているのをわかっていても、重症患者だけでもどうにかならないのかって、何度も何度も思いました。なんとかしたかったですよね。
陽性と判った次の日には、熱が40度近くまで上がり、酸素が始まって・・・。1週間も経たずに亡くなる方がたくさんいました。「こんなことがあったよね」と、話すことがたくさんある人が、すっといなくなってしまうんですよ。振り返っても悔しいというか、悲しい現実です。
新型コロナを終わらせるために必死に頑張ったのに、なんでまたコロナに関わらないといけないんだって。「冗談じゃないよ」って。振り出しに押し戻されたような気がしたんです。
院長から「崩壊しかけている地域医療体制を守り、事業を継続するためにはこれしかないんだ」と言われ、家に帰っても考えていました。理屈では、その方法しかないってわかるんです。だけど、感情的に飲み込めなくて。
何か他に、経営を立て直す方法があるんじゃないかって思っていました。
院長とは、ずっと苦楽を共にしてきた間柄。地域に根差した医療を続けていきたいという思いは、人一倍、理解しているつもりです。その院長が、病院を守るために腹を括って、これしか方法がないというなら、ついていこうと決めました。
専門病棟に行くスタッフが抜けたところに、他の病棟から異動してもらったりして、スタッフ配置の微調整に数ヶ月かかりました。
専門病棟のリーダーは、6つの病棟の師長がローテーションを担当し、2週間ずつ過ごします。関係性ができていない病棟で、師長のマネジメント力が鍛えられていると感じますね。
専門病棟は突然、患者さんが増えることがあります。そんな時は、スタッフの采配に相当苦労しているようですが、「そこでしかできない学び」を得てくれていると思っています。
災害時のことを、より具体的に話し合えるようになったのは、良かったことかなと考えるようにしています。もともと院長を中心にまとまりのある病院でしたが、クラスター以降、さらに結束力が高まったように感じています。「地域に根差した病院を守る」という想いがより強くなった効果なのかもしれません。
ユカリア経営サポート T.Aさん|「戦場のような現場」をサポートするために、現場に立つ
現場は、大混乱していて、戦場に飛び込んだような思いがしました。
事務長から報告は受けていたものの、実際の現場は、思い出したくないくらいの混乱ぶりでした。
現場にいる人たちの声を聞き、表情を見て、空気を肌で感じると「なんとかしなければ」という気持ちがすごく込み上げてきました。私が現場に入ったのは、クラスター発生による混乱の沈静化と資金面の見通しを立てるためです。
やらねばならないことは明確。でも、資金調達の目途はすぐには立たない。そういうもどかしさは、ありました。
人事課は、スタッフの感染に対する労災の対応を行います。E病院はスタッフ感染も多かったので、その対応にずっと追われていました。
また、新型コロナ患者の医療費の請求など、非常に煩雑な事務手続きが必要でした。行政側も手続きの対応に慣れていない時期で、医事課のスタッフは、探り探り作業を進めているような状況でした。
札幌にあるC病院の医事課長に連絡をとり、事務手続きの相談をしました。専門病棟に関わる手続きもすでに経験されていたので、とても助かりました。ユカリアのパートナー病院との連携で乗り切れたのは嬉しかったですね。
クラスターが起こった1月~3月は、毎年、来年度予算の作成をしなければならない時期。事務長とは、クラスター対応の合間に、予算の話をしていました。よくやり切ったな・・・と今さらながらに思いますね。
院長、事務長、看護部長、病棟師長に、「E病院が行政から必要とされていること」「地域に恩返しをした上で、新たなスタートを切る必要性があること」を伝えました。
院長が「自分の責任でやります」と決断された後の、運用開始までのスピードは早かったですね。全スタッフに送ったビデオメッセージが、みんなの心を動かしました。
自分たちの病院に誇りを持っている方がすごく多いのが、E病院の強さだと改めて感じていました。
内科の専門医も極めて少なく、かなり心もとない環境で、治療にあたらねばならない状況でした。
一度、夜中にスタッフから「コロナ専門病棟がある、ユカリアの他の関係病院に患者さんを搬送できないか」という相談を受けたこともありました。イレギュラーなことだし、ダメだとわかっていても、電話をかけずにはいられなかったんだと思います。
そんな状況を乗り切って、専門病棟の開設を決めてくれたんだな・・・と。
精神疾患のあるコロナ患者を、一般病院で受け入れるのは難しいことが多いのが現実です。E病院が受け皿となって、連携を取ることで、救える患者さんがたくさんいる。本当に意義のある決断をしてくれた・・・と思わずにはいられません。
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次回は、新型コロナ患者の受け入れ先確保の難しさに備えるため、地域の中でいち早くコロナ専門病棟開設を実施した、群馬県F病院を紹介します。
編集協力/コルクラボギルド(文・栗原京子、編集・頼母木俊輔)/イラスト・こしのりょう