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「どうせ潰れるなら挑戦を」コロナ禍を奔走した医療従事者たち【01】プロローグ

倒産を待つか、あらがうか

「コロナ専門病棟をつくりましょう」

「無茶だ、ありえない、前例がない!」

2020年4月19日。
3ヶ月後には資金ショートしてしまう病院の理事長を前に、私は訴えた。

「どうせ資金ショートしてしまうなら、挑戦して、地域に少しでも貢献し尽くしてつぶれたほうがいいですよ」

400人以上いる病院関係者のことを思えば、「つぶれましょう」なんて言ってはならない。だが、このままだと病院がつぶれてしまうというのは、逃れられない事実だった。

「どうせつぶれるなら、地域に貢献してつぶれよう」

その言葉を発したのは、医師としての使命感だったのか。追い込まれた人間の叫びだったのか。

病院という地域の砦を守るために、私たちが選んだ道は、今日まで続いている。

医療従事者の覚悟と信念

私が取締役を務める株式会社ユカリアでは、「変革を通じて医療・介護のあるべき姿を実現する」というミッションのもと全国のパートナー病院の経営サポートをしている。私は、医師や看護師の医療資格保有者からなるチーム「MAT」(Medical Assistance Team)を結成し、医療従事者の視点から病院の経営改善、運用効率化に取り組んでいる。

2020年以降の経営サポートは、多くの実績をもつユカリアにとっても困難の連続だった。
新型コロナの感染拡大に伴う外来診療の減収や、院内クラスター発生に伴う診療停止などによる経営危機もあった。

感染症の治療経験のない民間病院で、コロナ患者を受け入れることは非常に難しく、院内にウイルスを持ちこまないための対策をとることで経営を守ろうとしていた。

そんな中、ユカリアとパートナー病院は、国内の民間病院として、最も早く「コロナ専門病棟をつくる」ことを決断した。

我々がコロナ専門病棟の開設を決めたのは、大学病院や感染症指定病院などで、やっと受け入れができるくらいの時期だった。

行政としても、専門病棟開設のガイドライン制定が整っておらず、資金援助の目途も立っていなかった。

感染症対策のガイドラインをつくり、必要な医療資材を調達し、院内の環境を整備しながら、行政と専門病棟開設に必要な交渉を進める。資金調達も同時に行う。

新型コロナが未知の感染症だった2020年4月に、民間病院が専門病棟の開設を実現したことは、奇跡だった。医療従事者の強い覚悟と信念がなければ、不可能だった。

コロナ専門病棟を開設したことで、私たちは、自信と安心を得ることができた。
2022年5月までに10の専門病棟を開設してきたのだが、それぞれに悲喜こもごもな物語があった。次回以降、詳しくお伝えしていきたい。

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期待から混乱へ

改めて2019年12月から振り返ってみよう。

「中国の武漢市で原因不明の肺炎が集団発生した」というニュースが流れ、2020年2月に横浜港に寄港したダイヤモンド・プリンセス号の中で、国内で初めての感染が確認された。

私は、陽性患者の治療にあたっている都内の病院からの要請を受け、災害派遣医療チーム(DMAT)の一員として、応援にかけつけた。

当初、新型コロナの症状は「軽症から中等症程度」という情報しか伝わっていなかったが、実際は、感染防護服を着用し、人工心肺装置ECMOを使った治療にあたらねばならなかった。

「感染して重症化すると、ここまで悪化するのか」

「これほど重症になる感染症が市中に広まってしまっては、医療はパンクするどころではないかもしれない」

予想もしていなかった現実に、感染防護服を脱ぐ手が震えていた。

ただ、日本は過去に、SARSウイルス、MERSウイルスを「水際作戦」で阻止してきた経験があった。今回も感染が広がる前に収束するだろうという期待も、まだ、捨ててはいなかった。

ところが。
世界を見れば、感染者数は急激に増え、世界中の医療現場の混乱をニュースで見る日が続く。

「水際作戦をこのまま続けても、限界は早々にくるかもしれない」

そんなことを考え始めた頃。

2月26日に、日本政府が大型イベントの中止や延期を求め、その翌日には、全国の小中高の臨時休校が決まった。

そして、3月11日、WHOが新型コロナのパンデミックを宣言した。
各国で、厳しいロックダウンが始まった。

国内の病院では診療を控える人が増えた。全国にあるパートナー病院はどのような状況になっているのだろうか。この感染症が及ぼす影響を想像すると、小児科の静けさが、少し怖かった。

最初の覚悟

4月4日。「パートナー病院の職員が感染した」 ーと報告が入った。

覚悟はしていたが、想定よりも早く、感染者が出てしまった。

私は連絡窓口として、外来休診交渉やスクリーニングPCR検査の対応に追われた。検査結果が出るまで、関係者は出勤停止。

病院の一般診療や手術は止めざるを得ない。検査体制が整っておらず、関係者の検査を終えるには想像以上の時間を要した。

幸い、保健所からは病院の診療再開の許可はすぐに下りたが、職員のローテーションには不安が残った。

「たった一人の感染者で、これほどの影響を受けるのか」

漠然と抱いていた不安が、むくむくと大きくなっていった。

感染を防ぐ対策だけでは、もう乗り切れない。パートナー病院の多くは地域医療の最後の砦になる。地域医療を守るためにも、感染者に対応できる準備をしよう。それが、病院経営を守ることになる。そう信じ、覚悟を決めた。

覚悟には当然リスクが伴った。なぜなら、ユカリアが支援する民間病院は、感染症患者の治療経験がない。感染症の専門医もいない。どれほどの対策が必要な感染症なのかーこれほど答えが見えない医療対策は、初めてだった。

大きな挑戦へ 覚悟を決めた日

まず、院内クラスターが発生したときの感染隔離対策(ゾーニング)や、業務マニュアルの策定を進める必要があった。

感染指定病院ではない病院で、ゾーニングをどうすればいいのか、専門家と30時間協議をし続けて策定した。

そんな中(4月17日)。
パートナー病院で院内クラスターが発生したとの一報に、完成しきっていない脆弱なマニュアルに目をやった。

「このマニュアルで、ほんとうに対応できるのか。これで、職員と患者を守れるのか」「不安でたまらない。もどかしい。だが、迷っている時間などない」

現場のスタッフに頼るしかなかった。
現場は、あらゆる場所で混乱していた。PCR検査に時間を要し、感染が疑われた職員の不安を取り除くことさえできないのは、つらかった。

危機感が募る中、「このままでは、3ヶ月後に資金ショートする」との報告があがってきた。

4月18日。すぐに、病院の理事長とユカリアの役員が集まり、緊急会議が開かれた。

緊急事態宣言が発出されて以降、診療控えはより顕著になり診療報酬は激減。院内クラスターが発生した病院に対する世間の目は厳しく、減収した病院に対する公的支援の発表もなかった。

その現実を前になにができるだろうか。経験だけを頼りに何日も考えたところで、机上の空論だった。

「どうせ資金ショートしてしまうなら、挑戦して、地域に少しでも貢献してつぶれたほうがいい」

そう口にしたとき、脆弱なマニュアルだけを頼りにしていた不安は、消えていった。

パートナー病院の多くは地域医療の最後の砦になる。
地域医療を守るためにも、感染者に対応できる準備をしよう。
それが病院経営を守ることになる。

「コロナ専門病棟をつくりましょう。もう、それしかない」

それは、重い決断だった。私たちは受け身から攻めへと舵を大きく切ることを決めたのだった。

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この連載は、2020年5月から2022年5月までに専門病棟を開設した10の病院の道のりを、ユカリア取締役の西村と、各病院のスタッフのインタビューとともに紹介していく。(第2回はこちら

<語り手>
西村祥一(にしむら・よしかず)
株式会社ユカリア 取締役 医師 救急科専門医、麻酔科指導医、日本DMAT隊員。千葉大学医学部附属病院医員、横浜市立大学附属病院助教を経て、株式会社キャピタルメディカ(現、ユカリア)入社。2020年3月より取締役就任。医師や看護師の医療資格保有者からなるチーム「MAT」(Medical Assistance Team)を結成し、医療従事者の視点から病院の経営改善、運用効率化に取り組む。 COVID-19の感染拡大の際には陽性患者受け入れを表明した民間10病院のコロナ病棟開設および運用のコンサルティングを指揮する。「BBB」(Build Back Better:よりよい社会の再建)をスローガンに掲げ2020年5月より開始した『新型コロナ トータルサポ―ト』サービスでは感染症対策ガイドライン監修責任者を務め、企業やスポーツ団体に向けに感染症対策に関する講習会などを通じて情報発信に力をいれている。


編集協力/コルクラボギルド(文・栗原京子、編集・頼母木俊輔)/イラスト こしのりょう