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「器用貧乏なわたし」が貧乏から抜け出した話

「やすうけあい」は生まれつき

今思うと、小学生の頃から安請け合いするタイプだった。
みんながやりたくないであろう学級委員とか、係とか、そういった面倒臭い全般を誰も立候補者がいなくて変な空気になるのが耐えられないというのもあり、率先して立候補してきた。

先日娘が小学校1年生になり、噂に聞くPTAの役決めがあったのだけど、そこでも小学生の私を召喚して誰よりも先に立候補した。
ちなみに、目立ちたい訳でも、暇なわけでも、正義感溢れるわけでもない。

しかもやるからにはちゃんとやりていよ精神あるので、結果的に深夜に小学校のプリントを作るハメになる。イラストなんて入れちゃったりして余計な事もする。

それで、得したか、というとそんなことはない。別にボランティアな訳だし。見返りを求めるものでもない。一方損した気持ちになったこともなかった。根っからの安請け合いガチ勢だ。

あるとしたら、密やかに心の中でガッツポーズするような、そんな達成感のようなものはあったかもしれない。

その精神が貧乏方面への通り道だったとは知る由もなく。


社会人になり貧乏方面へ突進する

最初に言い訳すると、私の就職時期は「超」がつく氷河期だった。
友人は100社とか平気でエントリーシートを書いていたし、そんな姿を横目に謎逆張り気取って全然就職活動せず、その時好きだったファッションの仕事についた。

もちろん最初は販売職からだ。
現職の方たちもいらっしゃるし、個人的に素晴らしい仕事だと今も思っているので、こんな事言いたくないけど、正直賃金が良いとは言えない仕事だった。
今は流石にそんな事ないと思うけど、当時のファッション業界の人の服への投資は狂っていて、銀行残高なくても限界までリボ払いして、夜水商売してでも服を買っていた。クレイジーである。

貧しいのが当たり前になっていた。最初のキャリアがそれだったからだ。
仕事はどんなに頑張ったり売り上げ予算達成したりしても別に自分が豊かになるようなもんなんだとは思ってもみなかった。
ただただ借金しまくって服を買って着飾って店頭でおしゃべりしているのが楽しかったし。オシャレプライドみたいなものもあったと思う。

その後販売の仕事から内勤と呼ばれる「営業」とか「PR」とかの仕事をするようになったけど、妖怪服買いだったわけだし、給与が上がっていったわけでもないので貧乏なままだった。
小さな会社だったし、とにかくやれることはなんでもやった。やれるようになっていた。「誰かこれ。。。」という声が聞こえたら「やります!」と体育会高校男子のスピードと勢いで返事していた。
それでも貧乏なままだった。

ちなみに普通に就職した友人たちは仕事の評価に応じて昇給したり地道に階段を登っていたと思うけど、そんな事に興味すらなかった。
楽しかったし。

器用貧乏、大企業へ就職する

そんな時にふとした転機があった。
勤めていた会社が立て続けに倒産して、ほとほと嫌気が差していた。
30代目前だった。
「これはやばいんじゃないか」
やっと気づいた。(おせーよ)
私の人生どうなっちゃうのさ!

潰れそうにない会社に就職しよう!
そして某大手アパレルに就職する事になった。

カルチャーショックだった。
当時は働いている人はほとんど日本人だったけど、ほとんど外国語を話しているみたいに思えた。全然知らない言葉を駆使して見たこともない華麗なパワポ資料を使ってプレゼンしていたし、英語も話せたし、とにかくレベチだった。

大手に勤めたら「貧乏」でなくなるかと安易に考えていたけど、そこでも私は「貧乏側」だったのだ。(この場合の貧乏は給与の額というより「持たざる者」という意味での貧乏です)

中学受験でエスカレーターの学校に入学しぬくぬくゆるゆるふわふわ生きてきて、ほとんど勉強もしてこなかった私がどうやったらこの会社で存在意義を発揮できるかを考え抜いた結果、「器用貧乏」という唯一持つ自分のスキルを切り売りするしかなかった。

色々な部署の人にご用聞きのように手伝えることはないか聞いて周り、自部署の仕事もやりつつ人脈を築いていった。
上司には恥もかなぐり捨てて「わからないです!教えてくださいませ」を連呼していた。
そのうちに会社の仕事がわかるようになり、「頭を使う」ことができるようになっていったんだけど、相変わらず「イラレ使えますんで2時間以内にPOPのデザイン作りやす!」みたいなこともやっていた。

器用貧乏は正か否か

結果としては、その会社で平均程度「できる人」くらいまでは昇格したけど、そこ止まりだった。
自分の力やフォーカスすべき強みを棚卸しして再始動する必要があると思った。

その後新規事業を立ち上げまくるという仕事をやることになったのだけれど、そこでは「安請け合い」はできるだけ封印して、意識的に頭を使って整理整頓したことをわかり安くアウトプットするというごくごく単純なことをやるようにした。

そうしたらどうだろう、周りの見え方が全く変わったようだ。
PM気取りで仕事してたら、本当にPMになってたみたいな。
ここでやっと成果に対して評価され、それが報酬になるという経済の原理が私の元にやってきた。
40手前だった。

今、ある程度任していただきながら自由に仕事を楽しめているのも、「器用貧乏」な自分がどこかにいるからではないかと思っている。
色々なことを臆せず恥ずやってきたからこそ身に付いたこともあるし、貧乏性からくる視座が低かったという問題はあったんだけど、視野はそこそこ広くなっていたんだと思う。

視座の広げ方や頭の使い方とか、スキルの出しどころ、みたいなコツを掴んだら、貧乏じゃない側に少しなれた気がする。
私の根底にある「安請け合い精神」は持って生まれたものなので手放せないんだけど、それを生かす方法もある。

人生は(急に大きい話するけど)プレゼンテーションだ。
人との関わりの中で自分をどう見せるかってことが仕事でも恋愛でも決定打になり得るのではないだろうか?

貧乏も悪くなかったよな。

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