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40ウン歳小1女の子ワーママ。 紆余曲折あり20年熱狂仕事した業界から異業界へジャンプ…

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40ウン歳小1女の子ワーママ。 紆余曲折あり20年熱狂仕事した業界から異業界へジャンプイン!

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「器用貧乏なわたし」が貧乏から抜け出した話

「やすうけあい」は生まれつき 今思うと、小学生の頃から安請け合いするタイプだった。 みんながやりたくないであろう学級委員とか、係とか、そういった面倒臭い全般を誰も立候補者がいなくて変な空気になるのが耐えられないというのもあり、率先して立候補してきた。 先日娘が小学校1年生になり、噂に聞くPTAの役決めがあったのだけど、そこでも小学生の私を召喚して誰よりも先に立候補した。 ちなみに、目立ちたい訳でも、暇なわけでも、正義感溢れるわけでもない。 しかもやるからにはちゃんとやり

    • 「生きてるだけで、まるもうけ」なのである。本当に。

      親友が教えてくれたこと 仕事の話からすこしそれるんだけど、「人生」という大きなテーマについて。 2019年 11月、親友が亡くなった。 大親友だった。 出会いは中学1年生。 公立小学校から入った私立の中学校には初等科からの持ち上がりの生徒が半数くらいいて、入学式はとても居心地の悪いものだった。 特に、野性味あふれる公立小から富豪だらけの(誇張してます)私立中に入ったカルチャーショックも大きかった。 「あ、もしかして入る学校間違えちゃったかも。。。」 そんなときに席順

      • 20年間とりこになっていたファッションのお仕事を辞めたはなし。

        結局片思いだったのかも 話はさかのぼる。 今年の4月に、娘が小学生になった。 結婚してからも激務だったし、何となく子供を持つというリアリティを感じられないまま高齢出産期に入り、激務のまま子供を持った。タイムリミットだぞ!って自分を鼓舞する感じだったと思う。 妊娠中は激しいつわり。深夜に店舗のイベント設営しつつ、合間にトイレにかけこみ虹色のものを吐き出していた(きれいな表現を心がけています)。 とはいえ、出産は楽しみで、そもそも好奇心だけに突き動かされる人生なので、まだみぬ

      「器用貧乏なわたし」が貧乏から抜け出した話

      • 「生きてるだけで、まるもうけ」なのである。本当に。

      • 20年間とりこになっていたファッションのお仕事を辞めたはなし。