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「生きてるだけで、まるもうけ」なのである。本当に。

親友が教えてくれたこと

仕事の話からすこしそれるんだけど、「人生」という大きなテーマについて。

2019年 11月、親友が亡くなった。
大親友だった。

出会いは中学1年生。
公立小学校から入った私立の中学校には初等科からの持ち上がりの生徒が半数くらいいて、入学式はとても居心地の悪いものだった。
特に、野性味あふれる公立小から富豪だらけの(誇張してます)私立中に入ったカルチャーショックも大きかった。

「あ、もしかして入る学校間違えちゃったかも。。。」

そんなときに席順で前の席に座っていた女の子が話しかけてくれた。
その子は幼稚園からその学校に通っていて、もちろん富豪の娘なのだけど(誇張してます)そんな華美な雰囲気は全くなく、フランクで、そしてとにかく優しかった。
その子を通して、持ち上がり組(内部生と呼ぶ)と関係性も築く事ができた。

わたしの中学生活が色を変えた。

とてもクリエイティブな子だった。
絵が上手で、アートやインテリアにも造詣が深かった。
高校に上がるころにはすでに美大受験を決めていて、私も影響されてファッションを仕事にしたいと志すようになった。

美大に入ってからもその人柄と屈託ない人懐こさでたくさんの友達を作り、私にも分け隔てなくどんどん紹介してくれた。
まぶしいほどの大学生活を送っていた。
憧れてたし、尊敬していた。

空間デザイナーの勉強でフィンランドにも留学していたし、彼女のルーツである韓国にも留学していた。
勉強熱心で、おしゃべり好きで、話題がつきないのでいつも終電を逃した。

私はこの愛すべき親友と老いるまでおしゃべりしつづけたい

ある日、いつものように小さな居酒屋で待ち合わせしていた。
すごく寒い日だった。
先についた私は「少し遅れそう」という彼女からの連絡で一人熱燗を飲んでいた。
15分ほどして彼女が店に到着し、席について
「熱燗でいい?」
と聞くと、消え入りそうな声で
「私もうお酒飲めないんだ」
といった。
「病気になっちゃって」
気まずいような、泣き笑いのような、そんな表情だった。
今も脳裏に焼き付いている。

経緯を聞いていたが、心臓がドキドキして話が頭に入ってこなかった。
ちょっとトイレ、と言って席をはずし、飲んだお酒は全部吐いた。

その時は彼女を失う事になるとは思いもよらなく、もちろん治ると思っていたので、その事実に痛めつけられている彼女の姿に心が痛んでつらかったのだ。

その後、間もなく私が妊娠した。
つわりがひどかったり、激務だったりで、なかなか会える時間を作れなかった。
会うと何事もなかったように最近のでき事を話してくれるので、私も病気について聞くことはなかった。

あるとき、LINEに
「私もうだめっぽいわ」
と連絡がきた。

弱音を聞くのは初めての事だ。
うろたえた。

「何か所にも転移していた。もう延命治療になる」

それだけ書いてあった。
かける言葉はなかった。「大丈夫」とも「がんばって」とも違う。

「出来ることがあれば、なんでもいって、つらいときはすぐ駆けつけるよ」
それだけしか言えなかった。できることなんてないのに。

最後のとき

とはいえ、転移後も数年はわりと元気に過ごしていた。
またも臆病な私は病気の進行について聞くことができなかった。
彼女は残りの人生を悔いないものにすべく体調の良いときは海外に行ったり大きな仕事をしたり、全力で過ごしていた。

そのときは急にきた。

「約束していた日に会えなそう。体調が悪くて、ごめんね」

「薬で体調悪いのかな?」

「いつもだったら薬の副作用で一過性なんだけど、今回は本当に具合が悪くて、実家に帰ってる。食事もとれなくなってて」

目の前が真っ暗になった。
心の準備ができてなかった。
彼女が深刻な病気だということは知っていたのに、彼女が普通に振舞っている事に甘えて、気づかないふりをしていた。

はじめて、彼女を失うのかも、ということにうろたえた。

すぐに会いに行った彼女は痩せて、力なく、それでもいつもの優しい笑顔で迎えてくれた。
そこでも私は病気の状況について聞くことができなかった。

そしてその2週間後に彼女は帰らぬ人となった。

すべての瞬間が後悔に変わった日

その知らせを電話で受けた。
嗚咽でほとんど返事すらできなかった。
4歳の娘が、こんな風に母が無く姿を見たこともなく、
とても不安そうに見ていた。

わたしは、わたしのすべてを知り、すべてを受け入れ、愛してくれる、唯一の友を失った。

お葬式の時は極寒の土砂降りだった。
空も大粒の涙を流しているように見えた。

愛されてる彼女のもとに、世界中から数百人の友が弔問に訪れた。
悲しみでほとんど機能していない私だが、受付で彼女の友人たちひとりひとりに「ありがとう」と声をかけた。
わたしの大切な友を愛してくれて、ありがとう。

ひとしきり弔問の方も帰ったころ、棺の前で話す時間を彼女の両親がくれた。
彼女になつかしい写真を見せながら、若気の至りエピソードを話して泣きながら笑った。思い出は多すぎて、話つくせない。

そして、突風が吹いたそのとき、彼女の棺が去っていった。

あなたは、あなたが生きているだけで、素晴らしいのである。

命とか生きることについて深く考えていた。

私や家族や友人がいつその時を迎えるか、誰も予測することができない。

「心の中に生きている」

と声をかけてくれる人も多かったけど、

私は、彼女のあたたかさを感じて、抱き合って笑って、作った韓国料理の辛さに泣いて、また抱き合って、酔っぱらって腕を組んで歩きたいのだ。

でももうそれはできない。

生きている事はそれだけで素晴らしかったんだな。
何もない日常や、ちょっとした悩みや、小難しい仕事とか、人間関係とか、全部輝いているよな。

ダメな自分も愛そうと思った。

「生きているだけでまるもうけ」だからである。

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