見出し画像

僕がマレーシアを好きな理由

 マレーシアには20年ほど住んでいるのですが、先日、友人から「どうしてマレーシアが好きなの?」と聞かれてすぐには答えられませんでした。ここで改めてなぜなのかを探ってみます。

■ほどよい適当さが居心地がいい?

 僕は以前にインドネシアやタイなどにも住んでいましたが、いずれの国も適当です。時間や約束は守らないことが普通で、もちろん日本とは常識が全く違います。マレーシアも同じなのですが、しかし、他の国とは違った適当さがあるように思えます。

 マレーシアに来た当初、あまりの適当さにノイローゼになりかけたことがあります。時間や約束を守らないのは日常茶飯事で、商店に行っても商品説明ができない、雨が降ると来ないなど、インドネシアやタイ以上に適当の度合いがひどくないかと思っていました。

 しかし、それは「人に寄る」ということをいつの間にか発見したのです。

 マレーシアでは中産階級の人が増えており、この人たちは大学にまでいくレベルにまでなってきています。日本で大学卒業はごく普通ですが、発展途上国で大卒というのは高等教育に入り、大卒の有無は天と地の差があります。

 こういった人たちと付き合うようになったためか、時間や約束を比較的守る人が多い。もちろん高卒程度の人でそういう人はいますがレア。まあ、インドネシアやタイもそうかもしれないのですが、マレーシアの場合はさらに「民族にも寄る」という要素も入ります。

 一般的に華人のほうが時間や約束を守ったりする人が多い気がします。もちろんマレー人の方でも律儀な人は多い。ただ、中流階級以上でも超適当な人も多い感じもするのです。

 それでも、いずれの民族の人たちも日本人のように細かいことまでは気にしない。時間が30分ほど、故意ではないにしろ、遅れたとて怒る人はおらず、「まあ、いいか」で終わることが多いのです。中流階級以上が利用する店に行けば、商品も説明してもらえるし、居心地よく過ごすこともできます。

 もしかすると自分が付き合う人が自然と変わってきたからかもしれませんが、このほどよい適当さが気に入っているのかもしれません。


■人のことにあまり干渉しない

 インドネシアやタイにいると結構、人のプライベートに干渉してくる人がいます。もちろんこれも社会の中でどの階層に所属するかにも寄るのですが、概ね「子どもはいるのか」とか「結婚しているのか」、「誰と付き合っているのか」、「給与はいくらか」など聞いてきます。

 一方で、マレーシアの人は基本的にあまり人に関心がない。自分のことで精一杯なのかもしれませんが、人のプライベートについてあからさまに聞いてくる人は少ない気がします。地方に行くと事情はちょっと変わりますが、中流階級以上でそんなあけすけに聞いてくることはありません。マレー人の間ではいまだに(特に地方で)家族主義的なところが多く、成人男性でも「どこで誰と会うのか」といちいち家族に伝えておかないといけない人もいるそうです。そういう人たちを僕は避け、あまりドロドロした中に入らないのでいいのかもしれません。

 一方、華人は自分中心で動いている人たちが多く、あまり他人に興味がないのです。もちろん相談すれば乗ってくれますが、向こうから変に干渉してくるということはありません。華人コミュニティーにいるとマレー人のような変な干渉はなく、これも好きなとことなのかもしれません。

■民族コミュニティーを選べる

 たぶんこれも好きな理由かもしれません。

 マレーシアに日本人社会だけに入っているとこれは全く見えないのですが、実はマレーシアではどの民族コミュニティーに入るかを選べるのです。

 僕はマレーシアに来た当初はマレー人コミュニティーの中で生活していました。つまり、ほとんどの友人はマレー人で、マレー語を話し、マレー料理を食べ、マレー語のテレビを見たりする。行くところもマレー人が多いところに行くと必然的に華人やインド人とはあまり繋がらなくなります。2年ほどマレー人コミュニティーにいて、諸事情により「脱退」したのですが、その後は華人コミュニティーを中心に生活してきました。もちろん生活の中ですべて華人文化がいっぱいになるのですが、マレーシアではこういったことができるのです。

 これは日本や中国、タイ、インドネシアなどではなかなかできません。日本だとどこに行っても日本語を話し、和食を食べ、テレビをつければ日本語です。逆に言うと、日本に住んでいる限り、日本人とのつながりは切り離せません。

 ところが、マレーシアでは好きなコミュニティーに入って生活ができ、かつ外国人であると出入りが自由。マレー人とずっと付き合っていきたければそうすればいいし、インド人と付き合いたくなければそうもできる。自由に選択できるというのは、なかなか面白いもので、僕がマレー人から華人コミュニティーに移ってからはマレーシアの見方が変わりました。

 マレーシアというのは万華鏡の社会で、その民族により国全体の見方が変わってくるのです。華人だけと付き合っているとそういうマレーシアになるし、マレー人だけと付き合っているとまたそうなる。文化的なまったく異質であることから、どのコミュニティーに入るかで限定的な見方になってしまうのです。

 こんな社会なので、おそらく「マレーシア」というタイトルの新書がないのでしょう。実際、外国人からマレーシア全体を描くことは難しく、マレー人、華人、インド人、少数民族などのコミュニティーでそれぞれ生活している人はおらず、マレーシアの全貌を誰もつかめないのかと思います。
 
 逆に言うと僕にとってはそういった社会がとても気に入っていて、長年住み続けていることになっているのでしょう。

■複数言語が日常生活で使える

 これは上述と関連すると思いますが、たぶんこれが最も好きな理由かもしれません。

 僕はマレーシアに来て1~2言語のみで生活するという日はありません。それどころか、3~4言語を使うのが当たり前です。行く場所によって会う人によって言語が変わります。これは当初ストレスが溜まりました。というのも、英語で話そうと思ったら、相手は英語が話せず北京語やマレー語になったりすることも頻発し、そのたびに脳内と口の筋肉を切り替えていかないとなりません。これは結構どっと疲れるのです。

 しかし、恐ろしいことにこれが慣れてきてしまって、現在は結構楽しいのです。今は聞かれた言語で自分は答えるようにしていますが、多言語を操る人間としていろんな勉強になるのです。昨日もタイ料理屋で食事をしていたら、精算のときにマレー語ではなく、タイ語で話しかけられて話していました。

 そんな生活がおそらくとても気に入っているのでしょう。



 さて、マレーシアは毎年移住先の候補国としてトップに上がり、その理由として「住みやすいから」とされます。しかし、これはあまり僕にはよくわかりません。現在は物価も上がり、治安も昔に比べれば悪くなっており、麻薬はまん延し、交通事情も日本に比べるとひどい。断水は頻発し、洪水も発生する。ネットは途中で切れたりするなど首都クアラルンプールでも起こります。決して僕は「住みやすい」と感じたことはありません。

 何をもって「住みやすい」なのかは人それぞれなのでしょうが、物価やインフラの点から見ると日本のほうが断然住みやすい。日本のほうがコンビニも充実していることも挙げられます。日本のほうが便利さは数段上でマレーシアはそこはまだまだです。

 上記で説明したような点からすると、おそらく「住みやすい」のかもしれません。ただ、普通の日本人にとってはちょっとハードルは高いと思いますが、それも自分次第。どう生活したいのか、どうしていきたいのかを明確にしていけば、マレーシアは気に入ってもらえる国なんだと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?