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noteを始めて2年経ちました

艱難辛苦(かんなんしんく)。

まさに、そういう2年間だった。誰かからすれば「それくらいで」と思われるかもしれない、けれど自分としては「こんなにも」だった。

主に体調面で、
ここ最近は特にひどかった。

ingな状態を脱してようやく落ち着いたものの、油断するとすぐに体がバラバラになりそうになる。吹けば飛ぶトランプタワーのような体に、年中もやもやもやもやしている。

そうやって五里も千里も霧中の綱渡りをしながら大切に執筆を続けてきたこのnoteが、なんと本日付けで丸2年を迎えた。

今回は、それについての振り返りだ。

ほっぺたが喜ぶ涙を

最初は、テストのテストという短い記事だった。

それまで、オフラインではずっと物語の方面で執筆をしていて、オンラインではTwitterで物語以外の事をあれこれと発信していた。けれど、140字の枠では足りない気持ちが常にあり、どこかでもう少し長めのエッセイを書きたいと考えていて。

偶然見つけたのがここだった。

書いてみたら楽しくて、自然と数も増えてきて、人様に「これが私の言葉です」とお出しできるまでになったと勝手に思っている。

長めに書ける場所だからこその攻めた話題にも遠慮なくベタベタ触れているし、インフルエンサーでもなんでもないなりに反響も少しずついただいていて、愛されている感もある。

そんなnoteが、2周年。体調と毎夜毎夜相談しながら地道に書き続けて

147記事

を数えるまでになったのは、自分でもすごいと思う。セルフスタオベしてもいいのではないかと。

noteの内容としては、

・無料で読める「雑記」
・推し事についての「推しな書き」
・短めの創作童話
・テーマの軽掘りエッセイ
・テーマの深掘りエッセイ
・質問や相談に答えるQ&A

これらを軸でやっているのだが、正直「記事にしたいテーマは多いのに体調のせいで執筆が追いついていない」のが歯がゆい。いつもツイートをしている「したくてもできないのは苦しいんだよね」は、他でもない自分に向けた言葉。

気持ちは腹いっぱいあるのに、体がついていかない。泣きたくなるほど、ついていかない。でも、周りからは「言い訳だ」と、大上段から斬って見捨てられる。そういう時を幾星霜――という経験ゆえに、よくそれについて語っているのだろう。

自分への慰めのような。励ましのような。諭しのような。なんか多分そういうやつ。

だからこそ、自分は相手に対してそういう斬り方はしないでいようと反面的に思っている。自分がそれで何億リットルと悲しい涙を流してきたから、せめてここでは悲しいではなく、ほっぺたが喜ぶ涙を流せるようになるといいなと。

発信する言葉全てに、そこは共通して含ませている。まだまだ未熟なのは否めなくて、伝わっていなかったら申し訳ない。日々、これからも精進していきます。ほっぺたが、きゃっきゃ嬉々とする表現ができるように。

すごいのはあなただ

そうやって、これでも必死に続けてきた2年間。執筆してきたのは自分だが、自分の手柄だとはミジンコも思っていない。というか、思えない。

あくまでも、読みたいと思ってくれる人、読んでくれる人、チラッとでも見てくれる人、反応をくれる人、感想を持ってくれる人、そういう人たちがいてこそのものだから。

だから「おめでとう」は、私からあなたへ贈るものだろうな。うん、間違いなくそうだ。誰がなんと言おうと、私ではない。

すごいのはあなただ。

短くない文章に、それでも触れてくれるあなたがいてこその2年。この期間の中で「今回のnoteはこう思ったよ」や「あの記事はこう感じた」など、感想をコメントで無数にもらったし、引用リツイートもしてもらったし、その他の場所でも届けてもらったし、そのたびに密かに涙ぐんでいた。

適当に書いているように思えるかもしれないが、ひとつひとつ自分なりに真剣に丁寧に作り上げているから。力を入れているから。とても嬉しい。

感想を「たくさんもらう中の一個」だとか思った事もない。届く一通が世界にひとつだけだし、大好きなSMAPよろしく、ひとりひとり違う色があって、それぞれ特別なオンリーワン。

私の2年間を支えたのは、紛れもなくあなただから。私から伝えたいのは、

「あなたあってのこの場所でした。この2年間を支えてくれて、ありがとうございます。あなたが私の世界一です。おこがましいですが、そう思います。本当に2周年おめでとうございます。これからも、もしも迷惑でなければ、もしも負担でなければ、どうぞまた好きな時に好きなだけいらしてください。いつでも『あなたを』待っています」

この言葉しかない。

まとめ

「2年経ちました」というシンプルな振り返りのつもりが、ともすれば恋文にも受け取れる記事になったな――と、ここまで書いてふと思った。ただ、それくらいの愛を普段もらっているのだから、こちらからも手渡させてほしい。

どう考えても、ひとりでは迎えられなかった。実際の創作自体は、横の繋がりも何もなく、ただただぼっちでやっているけれど。大きな意味では、チームでやっているつもり。

私がTwitterで生んだ「にゃんひー」のファンを「にゃんひーず」と呼ぶように、このnoteを見てくれているあなたもまた「にゃんひーず」と呼びたいくらいに。

もしかして嫌?

嫌ではないよね?

これまでの147記事の中どれかで、同じ言葉を共に味わってきた仲なんだから。

「147」だけに、
いーよな?(ダメそう)

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