劣等感という魔物 「アルジャーノンに花束を」
みなさんご存じの方も多いかと思いますが、アメリカの作家、ダニエル・キイスのヒューゴー賞受賞作品で、日本でもドラマや映画がされています。
なぜ、今になってこのタイトルで投稿しようと思ったかと言うと、日本が幸福度ランキングで低い結果となっている要因になっているのではないかと感じたからというのと、わたし自身も常に心に留めておきたい作品だったからです。ここからは中盤までのネタバレ注意!
主人公のチャーリィ・ゴードン(32)は、パン屋で働きながら大学の知的障害成人センターに通っています。チャーリーの知性は6才程度でした。
ある時、そのセンターの担任の先生のアリスから、脳科学の教授を紹介されます。動物実験によって賢くなったハツカネズミ「アルジャーノン」を見せられ、迷路の問題を自分より早く解くアルジャーノンが、自分のコンプレックスを増長し、賢くなりたいと願うようになります。
そして、アルジャーノンへの施術を人間にはじめて行う臨床試験者となることを了承したのです。施術を行ったチャーリーは知能がみるみる高くなっていきました。(本作はチャーリー視点で描かれており、変化が分かりやすい)
知性の向上にともなって、チャーリーは知ることの喜びや、恋心を抱くようになったり、人の心までも深く読めるようになっていきます。
しかし、それができるようになってしまった故の苦悩がチャーリーを襲います。パン屋の同僚を友達だと思っていたが、ただからかわれていただけと知ったこと。また、家族間でも健常者の妹が生まれたことで自分は捨てられたのだと知ったこと。
そんな人に対する疑いから生まれてきたこともきっかけに、周囲と距離を置き協調するということができなくなりました。また、すでに周囲の人より知性が向上してしまい、分かり合うことができず、孤独となっていきました。
さらにそんな状況の中、アルジャーノンに異変が起きだします。想定していなかった副作用による知能の退行がはじまったのです。アルジャーノンの未来は自分の未来でもあるので、チャーリーはそれを食い止めるため、研究を進めていきます・・・
わたしがこの小説を読んで感じたのが、人類の発展や知性の向上を目的とした社会(能力主義)は果たして幸せなのか、差別化を拡大していくのではないか? だからといって知性が低く優しいのがいいという話でもない。
努力できる才能は人によって異なるという論文があるそうです。わたしはわたしなりに将来的によりレベルの高い仕事ができるようにと、いつも背伸びして仕事をしてきました。それは植え付けられた劣等感があったからです。
この劣等感というのが人間にとっての魔物だと考えています。スキルの高い仕事をしている人が偉い、正社員で年収いくら以上ないと結婚相手として見られない、格の高い家や車に乗って自分は成功者だと見せたいなどです。
わたしは人間の優劣はそんなところでは決まらないと思っています。わたしたちは何者か分からないものと日々戦わされているのではないでしょうか?
だからこれからは、劣等感という幻想を自分で振り払い、また人に劣等感を与えるようなことは言わない。素直に褒める。もっと大事なことに注力していきたいです。そうしないと人生振り回されて、あっという間に終わってしまうのではないだろうか
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