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増川宏一(2021)『〈大橋家文書〉の研究』法政大学出版局
非常に興味深く、参考になった。
以下、本書にて明らかになった新事実、誤りと思われる点、補足、考察など。
P51
1802年に大橋英長の名で出された転居届が引用されている。
英長の生年は確かでないが、このとき十代半ばと推察され、父である宗英(大橋分家六代目当主)も存命である。二年後に大橋分家の七代目として御城将棋に上がる英長がひとり家を出るのも妙だ。
この時に家を出たのは英長ではなく、
名古屋市政資料館、あと江戸末期の将棋指し
名古屋の丸善さんに「桎梏の雪」のサイン本が入ったそう。あいかわらず売れてる感じのしない拙作、ご迷惑になっていないだろうか。
ところで、名古屋といえば、名古屋市政資料館だ。知る人ぞ知るこの名建築を訪れた際に見てもらいたいのは、ガラスである。正面ホールのステンドグラスではない。フツーの通路とかに使われている窓ガラスだ。一見なんの変哲もないそれは、よく見ればなかに微妙なムラがあって、何色かに光を分散