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桎梏の雪

 さる7月28日、僕の書いた小説「桎梏の雪」が上梓された。講談社主催の第15回小説現代長編新人賞で奨励賞をいただいた作品である。感激。発売日にはお祝いとしてお高いアイスクリームを5個購入し、翌日には食べきった。
 しかしながら拙作、これがま~あ売れている気配がない。頭をかかえるくらい。作家になるという夢がかなったのはうれしいが、頭に「売れない」がついてしまった。
 「売れない作家」というと、なんだかあやしい洋館で惨劇に巻き込まれそうな肩書きである。それも、みんな慣れてきてうすいリアクションしかもらえない三番目の被害者とかだ。探偵役が「そんな、仲村さんまで……」と呟いて終わり。すくなくとも、無事で済む可能性は限りなくゼロであろう。
 というわけで、いつの日かあやしい洋館のイベントに参集させていただく際に困らぬよう、いまの状況を打破しなくてはいけない。僕は工業高校の出身なので、けっこう建築が好きなのだ。

 まず本作はどういう作品か。
 ひとことでいうと「時代劇+お仕事モノ」になる。「江戸時代の将棋家」なんてずいぶんニッチでとっつきにくそう、あるいは読むのに専門知識が求められそうな題材に思われるかもしれないが、むしろ将棋を全然知らない人の方が楽しめるのではないかと思う。僕は世界史の知識なんて全然ない(日本史の知識もない)が、休日の半分はYoutubeの世界史動画を見て潰している。あれは面白い! ここはひとつ、それにならって当時の将棋家というものをエンタメっぽく語ってみたいと思う。

江戸時代の将棋家

 江戸時代といまとでは、将棋界の権力構造が大きく異なる。幕府から公認を受けた将棋家という一派が権を壟断しており、頂点である名人位にはこの将棋家の家系からしかなれなかった。タイトル戦七番勝負の覇者に与えられる現代の名人位を「実力制」と呼ぶのに対し、家系の中で受け継がれるむかしの名人位を「世襲制」と呼ぶ。世襲……、イメージの悪い言葉である。
 しかし。世界史動画だと世襲によって組織が腐敗したり、暗君が君臨したりするのがひとつの鉄板ネタになっているのだが、将棋家の世襲制ではそういうことは起こらなかった。少なくとも、弱い名人というのは歴代においてひとりも生まれていない(厳密にはひとりアヤシイのがいる)。むしろ、実力主義を徹底しすぎたせいで、江戸時代後期になると名人不在の時代が続くようになる。
 拙作「桎梏の雪」も、そんな名人空位の時代が物語の舞台となる。年代としては天保の改革のすこし前くらい。華やかな時代であるので、この時期を舞台とした作品はとても多い。
 名人不在の将棋家は、まあまあピンチだった。たとえばRPGでボス戦のないイベントは印象が薄くなりがちだが、名人不在というのはそれと似ている。この場合はとくに、先代の名人である大橋宗英が本気ムドーくらいインパクトのある人だったのだ。ドラクエだと直後にダーマ神殿開放というビッグイベントが用意されていたのだが、将棋家にそんなものはなかった。
 じつは将棋家の歴史において、ここはちょっとしたミステリーでもある。というのも、人がいないならしょうがないが、このときには伊藤宗看という名人有資格者がいた。のちに十世名人となる彼は、歴代の世襲制名人のなかでも屈指の実力者だ。宗看がなかなか名人につかなかったのは不可解だ。
 僕が採用しなかった説で、将棋家が十代将軍家治に名人位を贈ろうとしていた、というのがある(どこで見たのか、ちょっと覚えていない)。家治はこのときとっくに世を去っているので、贈名人ということになるだろう。
 はっきりいって、かなりバカバカしい。が、そのバカバカしさがかえってリアルである。古今東西、身分、立場、組織個人を問わず、優先度の高い課題ほど着手は後回しになり、また、どうでもいい議論ほど決着に時間がかかるものだ。
 さて、試験前日に部屋の大掃除を始める学生だったらバカのひとことで済むのだが、オトナの場合はそうではない。自己利益のために、バカバカしいのを承知でそういう時間稼ぎをすることがある。将棋家が家治に名人位を贈ろうとしていたかどうかはわからないが、当時の権力の中心近くに、高い政治力と強い利己心を持った人物がいて、名人空位の状況をあえて持続させていた可能性は高い。
 僕は作中でそれをふたりの実在人物に割り当てた。史実には沿わない、創作の嘘であると彼らの名誉を庇っておく。

当時の将棋

 将棋の質の違いについても触れておこう。とはいえ、あまりマニアックな戦法の違いなどを語ることはしない。初代ポケモンで一番つよい技はふぶき! くらいざっくりした話である。
 まず当時の棋士の強さだが、少し前にコンピュータソフトを使った分析が発表されており、現代のプロ棋士と対等に近いという結果だった。なかでも、本気ムドーこと大橋宗英は、現代でも名人争いができるほどのスコアを出していた。ひとつの検証を鵜呑みにすることはできないが、それ以前に多かった「アマ高段者程度」という評価よりは確度が高い分析だと思う。
 強さに関連して、ピーク時期が長かったことも特徴だ。たとえば江戸時代最後の名人である伊藤宗看は六十手前で名人に就いているが、棋力的にはバリバリで、当時の若手筆頭を香落ちで圧倒していた。ぶっちぎりで現役最強だったのである。
 棋士のピークが長かった要因として、持ち時間の概念がなかったのが大きいのだろう。いちおう一手に使っていいのは二刻まで(四時間)という不文律があったようだが、ほとんど時間は使い放題だったといえる。加齢による衰えは思考速度に強く表れるそうだ。最近はいよいよ羽生世代が若手に追い込まれているが、もし持ち時間が無限だったらタイトルの半数くらいを奪還するのかもしれない。
 江戸人はせっかちで、京都人はのんびり、というイメージがむかしからあるが、江戸の将棋指しは長考派が多く、むしろ上方ほど早指しだった。江戸時代でもっとも有名な棋士といえば天野宗歩だが、彼が上方を拠点にしていたのは早指しが肌に合ったからだともいわれている。
 そろそろ長くなってきたので、最後にひとつ。これが一番大きな違いで、平手(ハンデなし)の重要度がいまほど高くなかった。当時にも定跡本があって、駒落ちの定跡に多く紙幅が割かれている。これについてはいろいろ考察できるが、つまりは将棋というゲームが競技性と娯楽性のバランスをとって楽しまれていたということ。僕は将棋を指すのも大好きだが、駒落ちはほとんど指したことがないし、定跡もくわしく調べたことがない。駒落ちの面白さを知らなかったといっても過言ではなく、あきらかにもったいないことをしている。それに気づけたという意味でも、僕はこの本を書いてよかった。

宣伝用短編

 ここまで読んでくれた方なら、すこしは将棋家、というか拙作に興味を持っていただけただろうか。仮に興味がわいたとして、新人の本に2000円弱も出すのはちょっと……、と思われるかもしれない。僕もハズしたときのダメージが大きいので、ハードカバーの単行本の購入には慎重になってしまう。
 じつは、本作の宣伝で短編を一本書いている。「ろくだいめ」という作品で、小説現代の八月号に掲載させてもらった。これがいま、無料で読めるようになっている。
https://t.co/pfgmeWpVk3?amp=1

 こちらだけでもご一読いただけたら幸いです。


おわりに

 ひとり暮らしを長く続けていると、段々自分が悪い意味でクールになっていくのを感じる。少なくとも僕は、この五年間は泣いたことがなかった。厳密には尿路結石とかゴジラの映画で半泣きまではいったのだが、涙はこぼしていない。
 この本を出版するにあたって、人生10年分のうれしさを経験した。一次選考通過者のなかに自分の名前を見つけたとき、最終選考の連絡を受けたとき、奨励賞に選ばれたとき、正賞の「檸檬先生」が負けて納得の素晴らしい作品であったとき、校正のゲラを受け取ったとき、見本が届いたとき。どれも最高の瞬間だった。
 しかし、どこか心は冷めてもいた。家族や友人はめちゃくちゃ祝福してくれたのだが、しょうじき、ちょっと重たく感じてもいたのだ。眠たいフリをして電話を切ったりもした。
 いまいち気持ちが盛り上がらないまま、発売日を迎えた。本のデイリー売り上げを発表しているサイトがあるのだが、僕の本は100位圏外だった。読書メーターの登録数もまったく増えない。コケた。ちょっと、笑えないレベルで。
 最低な話だが、僕は担当氏に八つ当たりしてしまった。めちゃくちゃな理屈の長文メールを書いて送った。一転、最悪の夜だった。
 それでも僕は泣けなかった。心はぐちゃぐちゃだったが、涙腺を溶かすような熱は持たなかったのだ。
 ――どうして売れないんだろうか。そう思って自分の本を開いたのは、何日連続か数える気もしない100位圏外を確認した朝だった。そのとき、僕はやっと泣いた。
 素晴らしい本なのだ。内容がではない。装丁から人物紹介、本文に至るまで、最高のデザインだ。ここまで良い仕事をしてもらったのに。あまりにもふがいなかった。
 売れないことが恥ずかしいのではない。売れないからと、決して僕ひとりの力ではないこの本を汚点であるかのように蔑みそうになったことが恥ずかしい。
 思えば、かなり早い段階から僕は腐り始めていた。この半年であじわった栄光は、ちょうどいいぬるさだったのだ。これも恥ずかしいことだが、宣伝用に書いた短編、僕はちょっと手抜きした。こんなもんでいいか、と細部まで悩みぬかずに書き上げてしまった。
 僕は四十手前のオッサンだ。最高の仕事が、必ずしも報われるわけではないことくらい知っている。「桎梏の雪」がこれから多くの読者を得ることはないかもしれない。しかし、作者の僕がこのまま「あしたになれば」と祈っているだけではいかん。みっともなくても、あがかなくてはならない。そこから逃げては、次の作品にだって本気を出せるはずがないのだ。宣伝のためもあるが、それ以上に僕は本気を思い出すためにこの記事を書いている。
 本気で納得のいく作品が書けたなら、あやしい洋館で三番目の被害者になっても構わないのである。

 ン、このさき売れることがあったら? そのときは醜くつけあがって、最初の被害者になると思います。


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