生きる苦しみと出生

この記事から入った方へ
私は22歳の躁鬱病患者です。
        ◇
 死にたい、生きているのが苦しい君へ
君へ、特にまだ若い君へ
どうして自分は生まれてしまったのだろうと考え続けてはいませんか。私は今そのことをずっと考えていて苦しいです。反出生界隈なんかにも共感しますか、だって産んだのは親だから。
男性が出生という倫理にどう向き合ってどう感じるかはわかりません。ただ、女性であり、かつて(高校生くらい)は子どもが欲しかった私は非常に矛盾した考えを持っているかもしれません。しかし、その考えはおそらくこの世にいる女性の多くが抱いたことのある感情です。

「自分」が生きるのが苦しいのと子どもを産むのはまた別の事象かもしれません。むしろ、私の場合は「(救われなかった自分も含めて)誰かを幸せにしてあげたい」という気持ち一択しか考えていませんでした。普通に考えたら、は?今死にたいと思っている人が子ども?とか思いますよね、ただ女性としての気持ちというものもあるんだと初めて知りました。

だから自分が生まれてきたことがどんなに苦しくて死にたくても、親が自分を産んだときは幸せに包まれていたり、あるいはみなさんの想像通り何も考えていないんです。それはエゴを通り越して、宿命とも言えるものです。生きるのが苦しく死にたい自分と、論理関係なく幸せに産んだ親。それが気持ち悪く感じるときもあるかもしれません。しかし、生まれてきた子どもが生きるのが苦しくても死にたくなっても当たり前ですね、だって親と子どもは別の生き物ですから。
私は自殺教唆はしていません。ただ、親にも親の事情があり、子どもには子どもの事情がある。これで反出生"のような"感情の結論が出るのではないでしょうか。

ちょっと書きたいことがぶれてしまいましたが、今回私が書きたかったのは、生きるのが苦しいと吐き出してもいいし、逆にかつて生きるのが苦しかった人が子どもを持ってもおかしくないという矛盾しているような事実です。この世の中はたぶんそういう矛盾で出産が繰り返されているんですね。

それに、私は川上未映子さん(作家)のある言葉にすごく救われたんです。

『夏物語』の百合子という登場人物が言うように、「自分の子どもはせめて自分程度には幸せな人生を生きるであろう」と多くの人は賭けているんだと思います。だって、わたしたちがいま生きているのも、賭けじゃない?


「川上未映子が話す。わたしたちはなぜ子どもを生むのか
生まないのか『夏物語』で描いた、生、性、死。戻らない時間のなかで」「She is」2019.10.11
https://sheishere.jp/interview/201906-miekokawakami/


どんな親も自分が産む子どもが幸せになるだろうと見積もって想定して産むということ。障害や病気を持って生まれてきた場合、親は自分を責めるけれど、いま精神障害者の私からすれば親を責める気にはなれないです。もちろん、望まれずに生まれる命もありますが、大半の親が子どもの幸せを願って産んだのなら、もう私は何も言えないなって思いましたね。
こう言ってしまうと重い障害のある方などに失礼になってしまいますが、今こうして生まれてきた私が幸せになれなかったら運が悪かっただけなんだなって思うしかないと答えてくれてるようですごく救われました。親を責める責めない、色々な考え方がありますし、正直許さなくてもいいような親だっています。ただ、自分の運の悪さを呪うだけの人生だったら自虐的に生き延びられそうなのも事実ですよね。

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