見出し画像

【映画感想】ロード・オブ・カオス

予想以上に見応えのある映画でした。ノルウェーのブラック・メタルの始祖"メイヘム"のギタリスト、ユーロニモスを語り部にして1987年当時の北欧ブラック・メタル界隈のマジでヤバイ事件を振り返る青春映画『ロード・オブ・カオス』の感想です。

えー、というわけで、PODCASTの『映画雑談 その23 「最近これ観たよ 春場所」後編』の中で一緒にやってるハリエが紹介していた作品なんですが、「まぁ、目を覆いたくなる様な自傷シーンはありますが、そこさえ乗り越えればいい青春映画ですよ。」的な感じで紹介していたので、ああ、そうなんだ。バンド物の青春映画ってことであれば共感出来る部分も多いだろうし面白そうだなと思って観に行ったんですが、いや、確かにその通りではあるんですけど、その、乗り越えるべきグロシーンの凄まじさが尋常じゃなくてですね。しかも、それが全て事実。そして、その再現度が、まぁ、手加減無しなんですよ(職場にブラック・メタルに詳しい人がいまして、映画観た後にメイヘムの例のジャケを見せてもらったんですけど、そしたら、ほとんど寸分違わぬ再現度で。恐らく、このジャケ写から逆算してここがこうなってるってことはこういうことがあってという風に自殺のシーンを撮ってったんじゃないかと思うんですが、逆にあの凄まじいシーンはリアルに再現していった結果だったのか…という風に改めてその恐ろしさに震えました。)。で、この手加減の無さというのがメイヘム周り("インナーサークル"というブラック・メタル同好会というかコミューンがあるんですが。)の邪悪マウントの取り合いに発展して行くわけです。

だから、こういう、いわゆるイキリのマウントの取り合いという意味ではめちゃくちゃ青春期の男の子あるあるなんですよ(『スタンド・バイ・ミー』で死体探しに行くみたいな。)。ただ、それがですね、自殺から放火、果ては殺人にまで発展してしまうという話で。つまり、それがどういうメカニズムでそこに行きついてしまったのかというのが描かれるわけです(ということで、それが面白いんです。)。まず、最初に誰でも一度は通るオレは普通じゃないイキリというのがあって、それでユーロニモスはバンドを始めるわけなんですけど、ただバンドをやるだけでは物足りなく感じるわけなんですね。オレはこんなもんじゃないと感じていて。で、そこにメンバー募集でデッドという人が来るんですけどこれがホンモノなんです。

えー、一体何がホンモノなのかというと、本当に病気なんです。(幼少期のイジメに原因があるらしいんですが、それで)精神を病んでしまっていて、"死"に取り憑かれているんですね。紙袋に動物の死骸を入れてその匂いを嗅いだり、ライブ中に自分の腕を切り刻んだり、奇行を繰り返すんですが、まぁ、ここまではイキリの範疇ではあるんですけど、その後彼は自殺してしまうんです。両腕を切り裂いてショットガンで自らの頭を撃ち抜くんです。ということで、"死"に取り憑かれた男が自ら"死"そのものになってしまったということで彼はホンモノになってしまうんです。というか(ほんとは単なる鬱病なんですけど)、ユーロニモスが彼をホンモノにしてしまうんですよね。

ユーロニモスは単なる策士なんですけど(これも思春期の勘違いなんですが)、"ホンモノの証明(つまりデッドの死です。)"を利用することで自分もホンモノになれると思ってしまうんですね。それで、デッドの死体写真をメイヘムのレコードジャケットにしようとするんです。つまり、これって、"死"そのものになったデッドを象徴(神)として、それを拡散するユーロニモスが教祖になったってことなんですけど、これだけでは事件は起きないんですよ。ここに狂信的な信者のヴァーグが登場することによってある構図が出来上がるんです。ヴァーグはもともと田舎暮らしのメタルおたくでひとりでデモテープなんかをシコシコ作っているタイプだったんですけど、メイヘムのライブに触発されて俄然悪魔信仰を標榜するブラック・メタルにハマって行くんですね。最初は何も分かってない小僧だとバカにしていたユーロニモスたちもヴァーグのデモテープを聴いて、彼の(音楽的)才能に驚き、ヴァーグはインナー・サークルの一員になるんです。ただ、このヴァーグは音楽よりも悪魔信仰の方に感化されてしまっていて、アルバムのプロモーションをして来いと言ったら教会に放火してしまう様なやつなんです。ということで、象徴としてのデッド、それを拡める教祖役としてのユーロニモス、その言葉に感化された実行犯としてのヴァーグと役者が揃ったというか、思春期の狂騒の中で、偶然にもカルト教団と同じ構図が出来上がっていってしまうんですよね。だから、観ながらチャールズ・マンソンとかオウムの事件を思い出したんです(PODCASTの『映画雑談』の方で、悪魔信仰に関して、日本には聖飢魔IIがいたからそういうことに関してマジにとらえない土壌があったんじゃないか的なこと言ったんですが、いや、そもそもその前に世界的には、悪魔信仰をパロディにしてるキッスがいたわけじゃないですか。で、やっぱり、メイヘムのメンバーの顔の化粧とか見てるとそことの繋がりみたいのはありそうで。てことは、もともと悪魔信仰的なことをエンタメとしてやってるキッスというのがいて、そのフィクションを現実にしちゃったのがインナーサークルってことなんですよね。そういうとこも、チャールズ・マンソンがビートルズの『ヘルター・スケルター』を聴いて犯行に及んだとか、オウムがアニメ世代の信者を取り込む為に『宇宙戦艦ヤマト』の替え歌を使ったり、アニメ作りをしていたなんてことと繋がって来るんですよね。エンタメとして摂取していたものを利用して洗脳していくみたいなところが。まぁ、インナーサークルの場合は、ユーロ二モス自身がまだ若くてそれを理解しないまま行ってしまっていたのが悲劇なんですが。)。で、ここのところの流れがとても丁寧で、しかも、バンド活動のあるある(例えば、ヤバイライブした後にセルフサービスの定食屋で打ち上げやってるとか。)として描かれるので、ああ、(ここまでやってしまう心理は)分からないけどスゲー分かるってなるわけなんです。

はい、ということで、さすがに監督がブラック・メタル界隈の人("バリソー"のドラマーのジョナス・アカーランド)だけあって、その精神性を理解しながらも、まるでブラック・メタルの本質は(あくまでもエンタメの中にある邪悪という意味で)スプラッター映画の中にあるかの様に既存のスプラッター映画が流れる中、それに伴ってこの物語自体がスプラッター化していくのも良かったですね(あ、で、ひとつ。こういうマウントの取り合いが最近よく言われるいわゆるホモソーシャルに対する問題点なのだとすれば、それは確かに問題だなと思いました。)。


この記事が参加している募集

サポート頂けますと誰かの為に書いているという意識が芽生えますので、よりおもしろ度が増すかと。