【映画感想】ルクス・エテルナ 永遠の光
はい、一昨年公開の『CLIMAX クライマックス』に続いての(意外に早かった)ギャスパー・ノエ監督最新作です。前作は明確にホラーだったと思うんですけど、今回のは何なんでしょうか(理由はあとで書きますが、僕はあんまりギャスパー・ノエ監督の映画をアート映画とは言いたくないんですよね。パニック映画ですかね。今回のは。)。まぁ、監督はほんとに映画が好きなんだなというのが伝わって来たので素直な作りと言えばそうなんですけど。ファッションブランド、サンローランの企画で始まった映画業界(相変わらずの)地獄映画『ルクス・エテルナ 永遠の光』の感想です。
えー、サブタイトル的に"永遠の光"って付いてますが、映画観た側からすると、「このサブタイトル、完全に笑わそうとしてるだろ。」って感じ(観たら分かります。)なんですけど、調べたら、リゲティ作曲の無伴奏混声合唱曲で"ルクス・エテルナ"というのがあって、その日本語タイトルが"永遠の光"と言うんだそうです。で、『2001年宇宙の旅』で使われてるということだったので聴いてみたら、これ、スターゲイトのところの曲ですね。「あ、で、"永遠の光"?」、で、「最後のあのピカピカ?」とはなったんですが、いや、だとしたら尚更笑わそうとしてるだろってことに変わりはないんですけどね(ノエ監督の『2001年宇宙の旅』好きは有名で、今回、映画の撮影現場の話なので、映画=『2001年宇宙の旅』ってことなんでしょうか。この映画の構成自体が『2001年~』と同じというか、スターゲイトのシーンだけやったみたいな映画ではありますよね。)。えーと、まぁ、そういう、マジなのか冗談なのか判断付かない様なことをやるのがギャスパー・ノエ作品なわけで(ギャスパー・ノエ作品の狂気の部分はここにあると思うんです。)。あの、僕、『CLIMAX クライマックス』の時も純度の高いギャスパー・ノエ作品て書きましたけど、ここのところ撮れば撮るほど純化して行ってる感じがして、そのうち画面に何も映らなくなるんじゃないですかね。時間も凝縮して短くなってるし(今回、全編51分です。まぁ、これは制作期間が短かったからだということですが。これ以上長くやったら危険だったってのもありますしね。)。
で、どういう話なのかと言いますと、魔女狩りをテーマにした映画の撮影現場が地獄化して行くという、ストーリーだけを追えばほんとにそういう話なんですけど(前回の『CLIMAX クライマックス』もダンス公演の打ち上げパーティーが地獄化して行くって話だったので同じと言えば同じです。)、映画の撮影現場という自らの職場を舞台にしてる分、地獄の描き方に分かりみがあると言いますか、あまりぶっ飛んだ事件は起こらないんですね。だから、なんていうか、より身近に感じるというか、「ああ、この地獄は知っている。」っていう。エロもグロもない上に、最早、(前作の『CLIMAX クライマックス』の時の様な)ドラッグさえも出て来なくて。個人的にはそれがとても新鮮で(その分、後半理屈じゃない身体的拷問に向かって行くんですけどね。)。だから、そうなると、映画の撮影現場っていうのがどれだけナチュラルに狂ってるかっていう話になって行くわけなんですが(自分の大事にしてるものに愛だけじゃなくて憎も同じくらい持ってるのがギャスパー・ノエ監督なんですよね。)、その狂ってる状態というのは人間の身勝手さから来てますよねっていう話なんです。
主人公はシャルロット・ゲンズブールとベアトリス・ダルのふたりなんですけど、ふたりとも自分役で出てて。女優のベアトリス・ダルの監督作にシャルロット・ゲンズブールが主演するって設定なんですね。で、まずはこのふたりが過去の撮影でのエピソードをおしゃべりしているんですけど。ベアトリス・ダルと言えば『ベティ・ブルー』のベティ役の人で、恋愛に依存して過激な行動をしてしまう女性を描いた衝撃的な映画だったんですが(正にギャスパー・ノエ監督や、ラース・フォントリア監督や、ミヒャエル・ハネケ監督作品の走りの様な後味の悪い映画でした。)、一方、シャルロット・ゲンズブールの方も近年では『アンチ・クライスト』とか『ニンフォマニアック』とか過激な描写のある(主にラース・フォン・トリア監督の)映画に出ているわけです。そのふたりが過去の大変だった撮影の話をしているんです。で、魔女狩りがテーマの映画を撮影しているという。もうこの時点でストーリーとは関係なく虚構と現実がぐるぐるして混沌としているんですが、そこにもうひとりアビー・リー・カーショウという『マッドマックス 怒りのデス・ロード』にも出てた若い女優さんが絡んで来るんですね。で、この人は『ネオン・デーモン』にも出てたんですよ。つまり、女性が主人公の過激な描写の映画に出ていた女優さん新旧対決みたいな構図になっていて、ここの関係性を描く映画なのかなと思っていたらそうでもないんですよ。もちろん、ここのところもいろいろ複雑に絡んでは来るんですけど。えーと、例えばですね、こういうベアトリス・ダルが女性で俳優なのに監督してるみたいなことも含めた上での撮影現場で働く人たちそれぞれの立場とか、プライドとか、差別意識とか、そういうのがグワーッと渦巻いていくことになるんですが、そういうプライドとか差別意識みたいなのがどうやって表現されてるのかというと、撮影と関係ないやつが勝手に入って来てずっといるみたいな、こいつ誰?みたいな、映画っていうアートをする為にはそういう人としての全うな手順を踏むよりも情熱と押しの強さでバーンと行っちゃえみたいな、要するに業界人(きどりのやつ)特有のオレがオレがっていう押しの強さと、何がそうささせてるのか分からないですけど「私、あなたのこと分かってます。」的な自信。そういうので描いているんですよ。で、また、そういうのを描くのが上手いんですよ。ノエ監督は。これは『CLIMAX クライマックス』の時も思ったんですけど、監督はこういう映画とか音楽業界にいるいかにもな人たちがほんとに嫌いなんじゃないですかね。そういう業界ノリとかアーティストノリみたいな空気が嫌だなぁと思っていて(僕もそうなのでここもの凄く共感するんですよね。)、そういうのって地獄だよなみたいな(今回のは特にそれが強いと思うんです。)。で、その嫌なノリが地獄と化して行くというか、そのノリが人の狂気となってヤバイことになって行くんですよね(だから、映画業界の人間も、アーティストぶってるやつも、職人きどりのやつも、みんな狂人で嫌なやつらだって言っちゃってるわけだから、そりゃ、カンヌで賛否両論になるに決まってると思うんですよ。ということを感じるので僕はギャスパー・ノエ監督の映画はアート映画とは思わないんです。)。
はい、ただですね、そのままでも充分混沌とした悪意と狂気を画面2分割(これも『2001年~』オマージュでしょうか。)にしてセリフも被り捲りで(これ、僕はセリフを追うのがスリリングで面白かったです。)、意味も理屈もない様な"永遠の光(スターゲイト)"に昇華しちゃうからアートって言われてもしょうがないんじゃないのと思うわけです(なので、個人的にはアート映画として観たら割りと普通で面白くないと思うんですけど、パニック映画とかホラー映画として観たら、人の嫌なところと狂気を描いててかなり面白いですよと思うんです。)。
サポート頂けますと誰かの為に書いているという意識が芽生えますので、よりおもしろ度が増すかと。