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ブルータル・ジャスティス

こうやって文字にしてみると益々B級スプラッターっぽいタイトルですね。これは監督の過去作が『トマホーク ガンマン vs 食人族』とか『デンジャラス・プリズン ー牢獄の-処刑人ー』だったってところから来てると思うんですけど。この邦題で小劇場のみで公開されていたら絶対観ることはなかったであろう S・クレイグ・ザラー監督、脚本、音楽の犯罪アクション映画『ブルータル・ジャスティス』の感想です(コロナ禍の中で割と大きな劇場でやっててくれてありがたかったです。)。

えー、で(もちろんB級感というか、ジャンルムービー感込みでの話ではありますが)、めちゃくちゃ面白かったです。メル・ギブソン主演の警察バディ物と言うと80年代に大ヒットした『リーサル・ウエポン』シリーズがありますが(あと『マイアミ・バイス』とか。ドン・ジョンソンも出てきますしね。)、暴力とユーモアのクールさは90年代に一世を風靡したタランティーノ映画みたいだったし、犯罪における不穏さが社会を映してるって意味では70年代の犯罪映画みたいだったし、ここ何十年かの犯罪映画とかアメリカン・ノワールの様々な要素が入っていると思うんですけど、こういういわゆるジャンル・ムービー的なものに憧れて作ってるにしてはドライに感じたんですよね。ノリはあるんだけどエモーショナルさがないというか、ドンヨリと重いんです。で、そのドンヨリとした重い空気の中でアホで不謹慎な会話がなされるので思わず笑っちゃうんですけど、笑った後に、ああ、そういえば全然笑える状況ではないな…みたいな。そういう不穏さがあって。不穏なもの大好きな僕にとってはそこ結構面白ポイントだったんですけど。

で、そのドンヨリと思い空気というのがこの映画特有の間というか、ダラダラとした会話の雰囲気にあると思うんですけど。あの、この映画2時間39分もあって結構な長さなんですね。で、なぜそんなに長いのかというと、ほぼ、このダラダラとした会話のせいなんですよ。本筋とはあまり関係ない会話を延々とやるんです。メル・ギブソン演じるブレットとヴィンス・ボーン演じるトニーのふたりの刑事が、張り込み中とか犯人を追っている車の中なんかで、映画のストーリーにとってはそれほど重要でない会話を繰り返すんですね。で、それはタランティーノ映画に出て来る小気味良いそれ自体にテンポがある会話とは違って、例えば、ブレットが何か物事に対する見解を長々と述べるんですけど、長過ぎてその会話の真意が掴みきれなくなって、その上でトニーが、「は?それってこういうことか?」というような返しをするんですけど(ハマると堪らなくなるんですけどね。この常に「え、何言ってんの?」っていうのが含まれる間が。)、この間って現実の会話の間だと思うんですよね。特に相手の話に期待してないというか。だから、この間がそのままこのふたりの関係性を表していると思うんですよ。どのくらいの期間タッグを組んでいるのかとか、どういう力関係にあるのかとか。それを(ナレーションなどの)説明で済ませずに長い会話の中から感じさせるというのがこの映画の日常感というかリアリティーになっていて、そのダラダラとしたリアルな日常の中に突然暴力が出て来るっていうのが、まぁ、ミソなんですけど、それがめちゃくちゃ怖いんですよね(ホラー映画的というか。)。

映画前半でダラダラと描かれてきた日常と、そこに突然現れる暴力が当価値で描かれるというか。描かれてきた日常に反比例する様に暴力描写が過剰になって行くんですけど、その逆ベクトルに振る振り方が凄くて。何というか、日常と、それとは関係ないはずの暴力っていうのが因果関係を持ってる様に見えてくるんです(それがホラー的ってことなんですけど。)。例えば、中盤で急にそれまでのストーリーとは関係ない女性が登場するんですね。小奇麗なスーツを着てシュッとした出で立ちで、明らかに犯罪とか闇社会とかとは無縁な感じの女性で。出勤前のシチュエーションなんですけど、この人は最近まで育児休暇を取っていて久しぶりに出勤するって感じなんです。ただ、どうにも仕事に行きたくない様子で。その理由というのが子供が可愛い過ぎて一時も離れたくないということみたいなんです(異常ではありますが、僕も2歳の子供がいるので分からない心情でもないんです。)。旦那に説得されて何とか出勤するんですけど、その女性の職場というのがブレットとトニーが追っている強盗団が強盗に入る予定の銀行だったということで、ここで話が繋がって来るんですけど、ここに来るまで何の説明もなしに延々この女性のバックボーンをやるんですよ(だから、急に始まったこの何にも関係なさそうな話は何なんだろうという気持ちで観てたんですけど。)。では、なぜこの女性のバックボーンをここまで詳細に描くのかというと、たぶん、強盗団の残忍さを強調させる為なんですよ。この強盗中にその女性は悲惨な目に合うんですけど、その悲惨な目に合う人間がどういう人間で、どういう経緯でここに至ったのかっていうのが分かると、そんなひとりひとりの想いや生きてきた経緯など全く考慮してくれない強盗団たちの無慈悲さが際立つじゃないですか。ストーリー的にはなくても良い登場人物の詳細なバックボーンを描くことで、単なる強盗シーンが僕らの人生と何らかの因果関係を持ってくるというか。運命というか。ああ、人生というのはこういうことから逃れられない様に出来ているんだなという気持ちになるんですよね(そして、その経緯を知ることで観ている観客側がより嫌な気持ちになるという効果もありますなりますしね。)。で、それは、こういうことが常に日常の延長線上で起こっているんだっていう説得力にもなるんですよね(ここあれを思い出しました。コーマック・マッカーシー脚本でリドリー・スコットが監督した『悪の法則』。ああいうコンビニの廉価本なんかにある裏社会の話的嫌さがあるんですよね。)。

だから、まぁ、要するに嫌な気分にさせる様に作っていると思うんですけど、それが、んー、何ていうか、正義感とか何かを教え諭そうとかしてない感じで良いんですよね(いや、倫理的には全然良くないんですけど。)。この映画の中でもう一組のバディが出て来るんですけど、強盗団の運転手として雇われてる黒人青年の二人組で、この二人組とブレットとトニーの刑事二人組のどちらが最終的に生き残るかみたいな話になって行くんですけど。立場は違えどとちらも最低な気分で生きていて、その最低な気分というのは今いくらでも共感出来ちゃうじゃないですか。現実の世界としても。だから、そこ共感しちゃえるのが現在で現実なんだなというか。どっちが生き残ってもスッキリしないんですけど(実際の映画の結末としてもスッキリしなかったですね。)、どうしたってスッキリしない世界で生きて行くにはどうしたらいいんだよっていうのを映画的カタルシスとして見せてくれてる感じなんだと思うんですよね。

最低な者同士の心の交流みたいのは描かれるので、そこ救いとして受け取れる人にはおススメしますけど、それでもコイツらのやってることは最低じゃんとしか思えない人は納得いかないかもですね。だって、最低なやつらの最低な行いを描いてる映画ですから(僕は割と全体的に笑いながら観てました。で、突然の暴力シーンにビックリするみたいな。ああ、だからやっぱりホラー映画的なんですね。構造的に。)。

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サポート頂けますと誰かの為に書いているという意識が芽生えますので、よりおもしろ度が増すかと。