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【映画感想】ベルファスト

はい、今まさにこれを書いている最中に、アカデミー脚本賞を獲ったというニュースが飛び込んで参りました(おめでとうございます!)。俳優でもあるケネス・ブラナー監督の地元アイルランドはベルファストでの愛おしくも強烈な日常を描いた『ベルファスト』の感想です。

最近観る映画ことごとく良いのでちょっと基準が上がっているんじゃないかと思っていたんですが、これも非常に良かったです。あくまでも子供時代の想い出(なんならエッセイを読んでるような日常感。)。友達がいて、好きな女の子がいて、家族がいて、音楽と映画があってという。そして、そこに当然の様に割り込んで来る暴力(というか、当時北アイルランドで起こっていたプロテスタントがカトリックに対して行っていた暴行。)と(宗教的)分断(いやがおうにも現在のウクライナの状況を思い出してしまいますが。)というのがあって。というお話なんですが、良かったのは、それを9歳の男の子バディの視点で描いてるところなんです。

このバディ少年はもちろん監督の幼少期を模していると思うんですが、まず、この子が真っ直ぐでめちゃくちゃかわいい。好きな女の子と映画に夢中で、家族に愛されていて、街の人もこの街も大好き。大人の事情やおじいちゃんの金言はよく分からないけど、でも、それを聞いて考えようとする好奇心と誠実さ(この好奇心と誠実さからある事件に巻き込まれたりもするわけですが。)を持っている。だから、そんなバディが劇中で唯一子供特有のわがままを発揮して感情に100%振り切るシーンがあるんですけど、そこがめちゃくちゃグッと来るんです。1969年のベルファストは正に大人の事情に覆いつくされた街でしたが、子供にだって意見はあるんだと。いや、そもそも世界というのは子供の希望を出来る限り叶えてあげる様に出来てなきゃいけないんじゃないのか?現在の世界状況と照らし合わせても僕がこの映画から最も感じたことはそれでした。本来は子供中心に世界が回ってなきゃいけないのに、現実は大人の都合で回っている。そもそもそこが間違っているのでは…。

ということで、この映画の中でもバディが眠りについた後とか遊びに行ってる間とかに大人の事情が語られるんですが、それを語る両親や祖父母だって世界の事情に振り回されている。「バディ、世界というのはこうやって視るんだ。」っていう理不尽な現実と(それでも伝えなければならない)未来への希望をない交ぜにした言葉は、大人の僕らにはめちゃくちゃ響くんですが、子供たちには目の前に現れる刺激的な日々の出来事の方が魅力的で。特にバディには映画や演劇などの創作のエネルギーの方が現実よりも断然色着いて見えるんです(ここ、実際にモノクロで描かれる日常の場面に対して映画や演劇はカラーになるって演出になってるんですが、映画の登場人物のメガネに映るスクリーンもカラーになっていたりして。こういうリアルとフィクションの塩梅の斬新さも良かったんですよね。)。そして、下される決断。(べつに人生においてはよくあることではあるのですが)その理由が世界の無責任な事情にどれだけ振り回されていて、子供にとってどれだけ理不尽なことなのか。そして、その現実を受けてのおばあちゃんの言葉。優しさと厳しさと諦めも含んでいてめちゃくちゃ切なく響きました。

監督の幼少期を想い出的なモノクロの映像で振り返り、それが観客自身の思い出ともリンクして行く感じは『ローマ』だったり、暴力と日常を少年の価値観で描き直すのは『ジョジョ・ラビット』だったりを思い出したりもするんですが、子供の視点で世界を見て、その理不尽さに地団太を踏みながら何が見えて来るのかっていう時代の描き方は韓国映画の『はちどり』に近いんじゃないかなと思いました。モノクロの画面もただノスタルジーというのではなく、デジタルのシャープさもあり、あの現実の踏まえ方というか、美しさの周りに現実という身も蓋もないものが渦巻いているみたいに見える感じ。それも良かったんですよね。


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