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【映画感想】偶然と想像

2022年最初の映画感想は、『ハッピーアワー』、『寝ても覚めても』、『ドライブ・マイ・カー』と傑作を作り続けている(のに相変わらず不穏な)濱口竜介監督の最新作『偶然と想像』の感想です。

このブログのタイトルは『とまどいと偏見』と言いまして。これは単純に曖昧で組み合わせても特に意味をなさない言葉にしようってことで選んだんですけど、ただ、それでもやっぱり何か意味みたいなものを見る人は考えてしまうみたいで。特に関連性のなさそうな単語をふたつ並べたことで、そこに見た人それぞれが勝手にドラマを感じてしまう。その面白さを描いてるのがこの映画なんじゃないかと思ったんですよね。つまり、"偶然性のある想像"とか、"想像って偶然の産物だよね"ということではなく、"想像"と"偶然"という、それぞれで別の意味と価値を持つものが全く交わることなく存在している状態がこの映画なんじゃないかと思うんです。

自分の中で映画を分かりやすくする為に、ここに描かれてるのは"恋の始まりのエピソード"だと思うことにしたんです。"偶然と想像"が同価値に存在する状態というのは"恋の始まり"(つまり、"ワクワクと理不尽さが同居してる物語")なんだと。映画は三話の短編から構成されてるんですけど、そのどれにも"恋の始まり(ワクワクと理不尽さ)"が描かれていて。ただ、さすがというか、相変わらずというか、"恋の始まり"を描きながらなぜここまで不穏なのかって話ばかりで(そして、そこが強烈に面白いんですけどね。やはり。)。

まず、一話目は恋の終わりを描いてるように見えて、じつは『偶然と想像』というワードから考えると"恋の始まり"だったって話で(もっと言うと恋の始まりをサポートする話です。)。親友の恋の相手が自分の元カレだったという"偶然"から、自分の行動の顛末を"想像"するという話なんです。めちゃくちゃ嫌なめんどくさい女の子を古川琴音さんが演じていて。僕が濱口作品を好きなところのひとつに、良い人は良い人のまま、嫌なやつは嫌なやつのまま肯定も否定もされずに存在してるというのがあるんですけど、この話の古川琴音さんは正しくめんどうで嫌なやつのままただ世界に存在していて、不穏で嫌な空気を漂わせたまま恋の始まりを見守るんです(人間に寄り添いながら何も出来ない天使を描いた『ベルリン 天使の詩』を思い出したりしました。天使とは真逆てますけどね。古川琴音さんの役は。)。つまり、何かが起こりそう(という物語性=想像)で何も起こらなかった(という現実=偶然の)物語で。ただ、人の間の関係性の面倒臭さとか嫌な感じだけが残るという。で、そこがやっぱり強烈に面白いんだっていう話なんですよね。いきなりなんつう話だと思いましたけど。

二話目は、小説家として成功した大学教授を、その教授に恨みを持つ男子学生が自分のセフレを使ってハニートラップにハメようとする、これまたなんつう設定だよって(思うんですけど、一話に続いて人と人との普通じゃない関係性を見るのは面白いって)話で。このあらすじだけ聞いてると全然リアリティないんですけど、それぞれのキャラクターの作り込み(特に教授役の渋川清彦さんなんかは、これまで見たことないような役柄なんですけど、めちゃくちゃ大学教授やりながら小説書いてそ~って感じで。なんでみんな今まで渋川さんに輩の役ばかりやらせてたんだよって思いました。)と緻密な演出でかなり納得させられてしまうんです。で、これは"恋の始まり"がそのまま"恋の終わり"になってるような話なんですけど、恐らくこれがこのまま進んで行ったら、それこそ村上春樹の小説に出てくるようなズブズブでヌルヌルで文学的な恋愛に発展して行くんでしょうけどっていう。あの、恋愛におけるエロスの部分を哲学とか文学性とかで覆い隠したような話ってあるじゃないですか。そういうのになりそうなところをすんでのところでしないっていう(しかもくだらないダジャレで。)。『ドライブ・マイ・カー』の時も思いましたけど、濱口監督ってこういう村上春樹的ファンタジーの皮を剥ぐみたいなことやりますよね。もしくは純文学とコントを同価値に見ているというか。そういう、こういう話だと思ってたものがある点から急に違うものに変わったり、価値あるものだと思ってたものが急に無価値になったりっていう濱口作品のベーシックな面白さが凝縮されてる様な話なので、たぶん、これ面白いと思った人は全ての濱口作品いけると思います。そして、この話にもただ単に嫌なやつがなんの因果もなくただ嫌なやつとして存在してますね。もの凄い映画観てるなって気分になるのになんの因果も成長も描かれないっていうのがこの映画…というか、濱口作品の不思議なところですね。

はい、で、一話二話とウズウズする様な人間の関係性を描いて来たこの映画(ていうか、ウズウズとかムラムラとかズブズブとか擬音でしか表現出来ないような感覚も個人的に濱口作品に感じる不穏さですね。なのに会話劇だしカンヌで脚本賞獲ってるんですから。こういうとこですよね。ヤバイのは。)が、最後のエピソードとして描くのが"恋の始まりの再生"の物語(もしくは擬似恋愛によるあの頃の話)なんですよ。この話がもっともウズウズするんですけど非常に爽やかなんです。なぜ爽やかかというとこの話には確かなものがひとつも描かれないからだと思っていて(ていうか、『偶然と想像』ってこと自体がどちらも不確かさしかない言葉ですよね。)。この三話目には、一話で描かれた"嫉妬(もしくは承認欲求)"も、二話で描かれた"エロス"もなくて、人間の関係性でもっとも美しい(と僕が思っている)"思い出"だけが描かれるんですよね。でも、もちろんそこには生活というか暮らしというか、そういう"現実"がベースとしてあるんですけど、それが"偶然(勘違い)"と"想像(思いやり)"で破られるっていう、"現実"っていう確かなものが『偶然と想像』っていう不確かさでもって日常に少しだけ顔を覗かせるっていう、なんていうか創造物の必要性を感じられる話なんです。で、これって僕が本を読んだり映画を観たりする時に正しく求めてる感覚だなって。いや、そりゃ、映画観たなって気分になりますよね。濱口監督の作品は(で、更に凄いのは、ここで書いたほとんど全てが僕が個人的にそう感じたってだけで、観る人によっては全然違う解釈も充分ありえるってことです。めちゃくちゃ共感性も高いのに個人個人でそれぞれ違うものを受け取る余地があるっていうのも濱口映画ですよね。)。


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