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【映画感想】グリーンランド 地球最後の2日間

なんだか、コロナ禍も一年が過ぎてそろそろ溜まってるやつを放出しようって時期に来たのか、それとも、単にハリウッド的なド派手な映画に飢えているのか、ここのところ観る(資本力のあるド派手な)映画どれも面白いんですよね。これも、派手なCGだけが売りのB級ディザスター・ムービーかと思ってたら(もちろん、CGはもの凄いんですが。)違いました。こういう時期だからこそよりリアルに身につまされるんでしょうか。超緊急事態下あるある映画『グリーンランド 地球最後の2日間』の感想です。

ジャンル・ムービーにとって、シチュエーションに対して何か縛りをつけることがその作品のオリジナリティになると思うんですが、例えば、最近続編が公開された『クワイエット・プレイス』だったら、「モンスターに支配されている地球」というシチュエーションに「音を立ててはいけない」という縛りをつけていますね。韓国ホラーの『新感染』なんかは、「ゾンビ」というシチュエーションに「列車内に閉じ込められる」という縛りをつけています。つまり、映画としてよくあるシチュエーションにどれだけ強烈な縛りをつけられるかということが勝負だと思うんですが、ある意味、この『グリーンランド』は究極の縛りをつけた映画なんじゃないかと思うんですよ。えー、「巨大彗星の到来によって地球が滅亡する」というとんでもないシチュエーションに対してこの映画がつけた縛りは、「主人公が普通の人(一般市民)」ということなんです。

いや、これね、その手があったなと思ったんですよ。これまで描かれてきたディザスターものって、ある意味、主人公が異常に頑張るとか、異常に運が良いとか、実は特殊な能力を持っているなんてことで危機を脱してきたわけなんですね。そこを、そういうのを一切使わないってしたら、なんか、新しいもの観れそうじゃないですか。リアリティーもあるので感情移入もするだろうし、だから、これは観たいなと思ったんです。なんですけど、あの、よくよく考えてみたらですね。そんな事態に陥って一般市民に何が出来るのかという。例えば、主人公が自分だったとして、避難出来るところをみつけてじっとしているか。もう開き直って何もしないかくらいでは?ていうか、概ね、途中で死ぬと思うんですよ。つまり、どう考えてもドラマにならないなと。え、じゃあ、この映画どうなってるんだ?というのが観に行った理由でもあるんですけど、そこんとこ絶妙だったんですよね。「あー、そのシチュエーションならそうするなぁ。」というところを絶妙に突いてくるんですよ。

あの、基本的にこの映画のシチュエーションて"絶望"なんです。巨大な彗星が振って来てあと2日で地球は滅亡すると。それはもう回避出来ないことなんだっていうのがストーリーが進んで行くごとに逐一描かれるんです(だから、この映画の恐怖って得体の知れない未知の恐怖ではないんです。そういう余地が全くない、全て知らされる恐怖。もう隠しとくことが出来なくなってるという。ある意味これが一番怖いなと思いました。)。その中で、まず、主人公一家にちょっとだけ希望を与えるんです。政府が無作為(なのか、作為的に選んでいるのかは映画の中では明かされないんですが。)に選んだ人間のみグリーンランドにあるシェルターに収容されるというのがあって、それに主人公一家が選ばれるんです(で、この選ばれましたよって通知が来るのが近所の人集めてパーティーやってる真っ最中なんて意地悪な展開もあったりして。)。つまり、それによって、主人公が行動する理由が出来るんですね。この辺がリアルで。これがこういう明確な理由みたいのがなくて、正義感とか単に家族の為になんてなると、それはもう僕らとは違うメンタルを持った人たちですもんね。だから、この、「特別にあなたたちだけ助かるかもしれません。」ていうシチュエーションによって、助かりたいってエゴと行動する理由の両方を持った主人公が描かれることになるんです。じつは、この映画の最も面白いところって、ディザスター・ムービーの主人公として生き残らなくてはならないっていうのと、そこまでして生き残りたいか?っていうのがずっと並走してるところだと思うんですよね。

だから、まぁ、このシチュエーションだとどっちを選んだら正解というのはほんとになくて(何を選ぶかは本人次第というのが現状僕らが置かれてる立場的によく分かるというのもこの映画を観る上ではプラスだったんですよね。政府の描き方とか良かったですしね。最早、そこを信用するかどうかでもなくて、少しでも可能性がある方に賭けるしかないというか。)、もうね、生きたいか死にたいかなんです(死を選んでも生き残るのと等価値くらいの重みなんですよ。どうせならここで死を選んだ方が人間として正しいんじゃないかくらいの状況なんですよ。)。常にその2択で、基本、全員が死ぬわけですから。今まで、この手のディザスター・ムービーいくつか観てますけど、この感覚は初めてだったんですよね。なんて言うんでしょう、「そうか、死ぬのか。」っていう感覚。十中八九死ぬんだなというのがあって、もしかしたら、生き残れるかもしれないという、ほんとに僅かな道筋があるんだけど、生き残ったところでそれは地獄かもしれないという。ほんとに死ぬことと生きることをこんなにフラットな気持ちでどっちが良いんだろうかなんて考えたことなかったです。なので、これ、"なぜ、人間は生きるのか?"って話になんですよね。なんだけど、なんていうんですか、B級ディザスター・ムービーとしての意地は忘れてないというか、お祭りとしての地球滅亡の派手な破壊描写と、生きるか死ぬかのアクションと、その裏に隠された人の生に対する哲学的な描写のバランスが今までに観たことのない歪さになっているんです(彗星の破片がバンバン墜ちてくる中でビルの屋上に集まってパーティーしてた連中のアイロニーとか、ああいうの特に説明もなく入ってくるのザワザワして良かったです。)。

で、じゃあ、そういう中で、この映画が一般市民が生きる為に何を描いているのかというと、悪いやつとは戦って、心優しい隣人とは助け合おうってこと。シンプルで凄く良いなと思ったんですよね(ていうか、この手のジャンルを超えて傑作だと思うのでまだ観てない方は是非。)。


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