【IB・MYP・Science】新学期Unit”もの”の探究(ものシリーズPart3後編:質量と体積の定義編)
質量チームと体積チームに分かれた生徒たちが、
最初は死んだような目をしていたものの、
もがきながら探究していく様子を前回お伝えさせていただきました。
毎時間の詳細を記述していくと、見えづらくなることがあります。
それは、「何を教えるのか」ということです。
この記事でもお伝えいたしましたように、
このUnitの核となっているのは、「概念的理解」を目指す
というところです。
IB教員によって設計されたIBカリキュラムであれば、
この概念的理解という核は、明記されているかどうかはさておき、
必ず吟味され、中心に置かれているのだと、現在の僕は理解しています。
ここまで大事なんだ!と主張しておきながら、
このUnitで設定した概念的理解を一旦このあたりのタイミングで再構築しました。その経緯ともやもやと葛藤につきましては、また次回の記事で書きます。周囲の先生にたくさん助けてもらいました。
つまるところ、
質量が何か、体積が何かを教えたいのではないんです。
もしそれが教えたければ、答え(のようなもの)はどこかにありますし、それを正確にインプットさせ、質量とはなんですか?と聞かれた時に、正確にアウトプットできるよう、テストに出すぞと生徒を脅せば良いです。
では、なぜここまで質量と体積の定義に時間をかけるのか?
この理由はIBカリキュラム云々カンヌン以前の考え方になるのかもしれません。このことについても記事を書きたいと思っております。
ひとまずここでは、手短な文章で。
質量、体積という言葉は、概念である。
概念は個人の解釈を社会的な合意によって統合した意味をもっているに過ぎない。
という考え方です。
書いていて自分でも小難しく、胡散臭く感じるので、
きちっと言語化できるようにしておきます笑
とかく、こういう考え方のもと、
質量と体積という言葉を、
学級という小さくもれっきとした社会集団の合意のもと、
意味を統合していくプロセスを学習させることがねらいです。
この図ですね。この図の下から上に上がっていくプロセスを
学習させていきたいのです。
さて、前置きが長くなりましたが、
質量チームと体積チームそれぞれ
どのような情報を集めてきたのか、どう発表したのかということを
これからつらつらと書かさせていただきます。
2−2.1 質量の真実とその性質の表し方
質量という量の重さとの本質的な違いは、
比べていることにあるのだ。というところにまできた生徒たちは、
何と比べているのか?という新たな投げかけについてリサーチをしてきました。結論から言いますと、質量というのは2019年ごろまで、
国際キログラム原器と呼ばれる白金とイリジウムの合金によって作られた
分銅を1kg、としていたのだそうです。
まずこの情報に触れた瞬間の生徒たちは、
それはもう「ええぇぇー!!」って反応でした。
普段使っているkgという単位には基準があり、それが分銅と比べられているのだと言われれば、”質量”なんていうものはなくあくまで概念なのだと
否が応でも気付かされるのではないでしょうか。
さらにさらに、
2019年までということは・・・今は?
という疑問に対して調べてきてくれた生徒が
「プランクテイスウ」という謎の数で、定義されているのだというところまでリサーチしてきてくれました。
このプランク定数という数を理解することは私にも難しいのですが、
人類はいよいよ、質量の基準を「モノではなくコト」とし始めたのだ
というところには理解が至るようでした。
なんと最後は”もの”の重要な量である質量を”コト”によって定義づけられているのだというところにまで行き着き、質量チームは幕引きとなりました。
言葉がもつ意味を紡いでいくこの過程にこそ価値があるのだなあと、
つくづくこの学校に勤めはじめてから私自身体感しております。
ちなみに製作した立体物は・・・てんびんでした笑
2−2.2 体積の測り方とその表し方
体積の求め方に走ってしまい、僕から「測れよ」とツッコまれてしまった
体積チーム。いろいろとリサーチしてきたようでした。
チームが分裂し、いろいろな手法を試していたのですが、
大きく分けて3パターンありました。
①水の中に、ものを沈めて水の増えた分をそのものの体積とする
これしか出てこないだろうと、そう思っていました。
本校には精密な体積を測定する器具がないので、
料理用の細かいメモリのついたカップを使って生徒は測っていました。
②アルキメデスの原理を用いた水中置換法
これはアルキメデスの原理という定式化された法則をもとに、
1mlの水が1gであることを利用して測る方法でした。
僕の学級にいる理科好きの生徒が
「これはアルキメデスの原理というやつで・・・」と説明していました。
周りはどうもチンプンカンプンという表情でしたが、
説明している本人はものすごく満足げでした。
(僕にはわかりやすい、非常に筋道だった説明でした。)
こういった測定法があるのだということに触れられただけでも、
測り方って1パターンではないという気づきになったことでしょう。
③積分の概念
これはもう全くもって予想しておりませんでした。
他の授業の製作のために、ダンボールでできた短い土管のようなものが教室内においてありました。ある生徒が急にその土管に紐をつけて
ブンブンと振り回し始めたのです。 即、止めました笑
よくよくその生徒の話を聞いていくと、
非常に面白い発想をしていることに気付かされました。
「この土管が動いた後をたどれば、それが体積になる」
こんなニュアンスでこの生徒は言うのです。
文章では伝わりづらいと思いますので、絵で描きます。
こうです。
こんな感じで、動いた軌跡をそのまま残して積算していく。
それが体積だ。というような意味でした。
結果彼は、みんなの前で連続写真を撮ってもらいその写真を
ものすごい速さで切り替えることによって
パラパラ漫画的な感じで上図の右のようなことを伝えていました。
「どう測るのか?」に正体した表現ではありませんでしたが、
非常に興味深い考え方でした。
どの説明も、彼らの経験に基づいた情報でした。
それは、ただの文字情報や画面上のデータではない、生の情報です。
これほどまでに有益な情報はこれ以上ないな、というのが
僕個人の意見です。
2−3 質量と体積についての理解を示す
このアクティビティの幕切れは、彼らに質量と体積をイメージ化=絵や図表で表すという課題を与えることにしました。
せっかく体験的に学んだ2つの量についての概念を文字化してしまうのは、
もったいないのではないかと考えたからです。(知識は1本の糸ではないという考えのもと)
とはいうものの結局彼らは、
てんびんの図、水に何かをポチャンと沈める絵をほとんどすべての生徒が書いてくることとなりました。まだ今の段階では見たものをそのまま描くといったところでしょうか。ゆくゆくは得られた理解を転移させ、見たもの以外の何かをイメージして描かせるようなスキルも身につけさせたいと思っています。
ということで、質量と体積の定義編は以上です。
お読みいただきましてありがとうございました。
ちょいめも:知識のかたち
知識というものに”かたち”があるのだとすれば、
どんな”かたち”なのでしょう?
雑絵、雑文字ですみません。
過去の僕は、知識を上図右側のような”壺にいれるもの”と捉えていました。
・ためていく。
・ためておいて、出すべき時に出せれば”理解した”と捉えられる。
・出してしまうと、その後使えない。
・・・と他にもありますが、このような特徴が挙げられます。
一方、上図左側は現在の認識です。
・つむぎ、あむ。
・真の理解はprimitiveな表現でしか示すことができない。
・どのステージでも使える。
そんな、つむいだ毛糸を編み込んだ布のようなイメージでしょうか。
そう捉えております。
さて、お読みいただきましたあなたは、どのようにお考えでしょうか?
お聞かせいただけますと、非常に嬉しいです。
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