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【IB・MYP・Science】新学期Unit”もの”の探究(ものシリーズPart3前編:質量と体積の定義編)

ものシリーズPart3!今回書き残すのは「質量・体積とは何か」という
言葉の定義に近い探究の顛末。
心の中の叫びも合わせて包み隠さず、書きます。
相変わらずの駄文ではありますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。


2−1問いの投げかけと生徒の目

さて、質量と体積とは何なのでしょう?

と1週間前に問いかけてからというものの、
問いかけた瞬間の、その時の生徒たちの目がたちまち変化していく光景を
なかなか頭から離せずにいました。
語弊を恐れず言いますと、「生徒たちの目が死んでいく」のです。

頭の中は見えませんから、あくまで私の体感なのですが、
妙に静まり返った教室空間と、彼らから空気を通じて伝わってくる
ワクワク感の喪失(心拍数の低下?)がそう感じさせたのかもしれません。
問うてしまったからには、引き返せないと感じまして、
そのまま押し切ったことを覚えています。


(心の叫び)すでに確立されている学習体系によって言語化されている概念語(社会的な合意の元、含まれている意味を”社会は”すでに共通理解している言葉)を提供することは、子供からするとさぞ好奇心を削がれるのだろうなあ・・・
だけど、ものの学習をするうえで最低限この量は抑えておかないとなあ。。


問うたことを悩んでいても仕方ないですから、
彼らと一緒にどうやって質量・体積を立体で表すのか。
ということを質量チームと体積チーム、それぞれ分かれて
リサーチ&表現の仕方を練ってもらうこととしました。

2−1.1質量ってなんなんだ?

実は一般社会ではこの”質量”という言葉は、はっきりと定義されていない、
と僕は認識しています。とりわけ中学校までの内容ですと
物質そのものの量 だとか
ものの動かしにくさ だとか、そう表現されています。
突き詰めまくると、質量はエネルギーだ!とかなるんですが、、
ぶっちゃけ僕自身もそこまでいくと???です。
理解不足を自覚しています笑

それこそ生徒と一緒に、どうやって立体にするんだ?と頭を抱える中で
(そこまで見通して、問いなさいよとツッコミたくなりますが、)
よく立ち止まりがちな疑問で立ち止まる生徒の姿が見られました。

質量と重さって何がちがうのか?

これまでの教員経験の中でも、よくよく耳にする質問でしたので、
まあよくある質問だなあと、「調べてみ」の一言でスルーしました。
そしておそらく、場所によって変わるのが重さなんだ!
(結局質量は、何かよくわからない)
っていう返答がくるのだろうなあと予想していました。
で、その予想通りのやりとりが始まる訳です。

ある一人の生徒とそのよくあるやりとりをしていく中で、
ふと自分の中で考えることがありました。
質量と重さは何が”本質的に”ちがうのか?
本質的でないちがいは、これです。
質量・・・場所によって変化しない。てんびんで測る。
重さ・・・場所によって変化する。ばねばかりで測る。

ここからは理科の考え方である「比較」を駆使して考えるよう促しました。
見える違いを比較して、見えない本質的な違いを探る、
この思考プロセスを体験させたい!と瞬間的に思いました。

左)てんびん 右)ばね

さて、何が違うのでしょう?
もうすこしつっこみますと、測り方にどんな違いがあるのでしょう?

ここまで来た時に、先ほど登場したある生徒は
「・・・質量は”比べて”測ってるなっ!!!」と何やら気づいた様子。
そう、そこそこ!と言いつつすかさず、『何と比べてるんやろね?』
『何かと比べてるってことは、「これが1kgデス!」みたいな比べられる基準みたいなものがあるってことかな?』と、ポロポロっと
質問を投げかけておきました。
さて、この後生徒はどんなことを情報として得てくるのでしょうか?

2−1.2体積ってどう測るんだ?

一方そのころ、体積チーム。
何やら、せかせかと小型の立方体を紙で作っておりました。
もうすでに体積の求め方について知っており、
それをたくさんの小型の立方体で表そうという、
そういう考えだったのだと思います。

こんな小型の立方体を、作りまくってました

自分でもいじわるだなあと思いますが、少し泳がせておくことにしました。
といいますのも、彼らがやっていることは
既知の情報をそのままアウトプットしているだけなのです。
「体積=たて×よこ×高さ」という算数公式を
分かりやすく立体物で説明しようとしているだけでした。

だんだん小型の立方体づくりも飽きてきたであろう頃合いを見計らって、
彼らに何を作っているのか?説明を求めました。
「体積ってこうやって求められるでしょ。うんぬんかんぬん・・・」
と、体積の求め方がどのようにして考えられているのか、という説明を一通りしてもらった上で、彼らに対して非情な言葉を投げかけました。
「僕は体積の求め方を聞いてません。体積とは何なのか?と聞いてます」

それでも変わらず体積の計算方法を説明をしてこようとしてくる彼らに、

「体積はどう測るの?」

と投げかけます。
すると、「ん?どうしよう?」と悩むようすを見せる生徒もいれば、「あ、それなら!」と水を汲みに走る生徒の姿もみられました。

どうも彼らは(学年が上になればなるほど?)、体積という言葉を聞くと
算数による計算で求められるものだと、別の領域に持ち込みたがります。
もちろん計算で求められない訳ではないと思いますが、
理論値と実測値というものは往々にしてズレが生じるものです。
(というか たて×よこ×高さ で測れるものってあんまりないんじゃ?)
公式という一般法則に当てはめて思考するのではなく、
実測という彼らの経験から、体積という概念を構成してほしい。
そんなねらいのもと、非情な投げかけをしたわけです。
(少し前にお話ししたイカの概念図が、この発想の原点になっています)


質量チーム、体積チーム。それぞれが紆余曲折を経て、
たどりつく立体物とはどんなものなのか。どう説明するのか。
長くなっちゃいましたので、ものシリーズPart3後編にて、
これまたダラダラと書いていきます。
お読みいただき、ありがとうございました。

ちょいめも:学習のタフさ

ツラツラと書いていて感じたことがあります。
今授業させてもらっている生徒たち、タフだなあ・・・。です。

僕の今までの経験では、このような定義に関する話は
黒板に文章をバンと書いて終了です。
あるいは教科書に書いてあることを読んで終了です。
だって、あまりコンテンツとして魅力的でないと、
そう思い込んでいましたから。
おそらく目の前の彼らも、彼らの目から感じたように、
コンテンツの魅力度としてはさほど高くないのだと思います。
その上、定義に最短距離で辿り着けない訳ですから、
(なんならたくさん作った立方体は違うとか言われちゃうし・・・)
僕が生徒なら「もうわからんから、はよ答え教えて」と言っていたかも
しれません。けれども目の前の生徒は、たくさん回り道をしながらも
自分の集めた情報や実体験と、他者とのディスカッションと、
ほんの少しの教師の問いから、課題に対する自分の表現を練り上げようと
一生懸命取り組むのです。感心します。

安直に答えに行き着くことをしない
これが本来の”学習”の姿なのかもしれません。
いやそもそも答えに行き着く、なんてことは
学習においてないんだろうなあ。
そんなことを彼らの姿から身をもって感じました。

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