自責しなければ、そんなこともあったなぁ、で終わる

今日、大切に毎日愛用していた器を落として割ってしまった。

あ、割れたわ。
一瞬、あぁ、過去のことを考えていたから、エネルギーが散漫になって、それ終わりにして今に集中しろってことかな、とも思ったけれど、

「形あるものはいつか壊れる」と思っているので、ただ、打ちどころが悪かったんだなと思って、落とした自分を責めるということは一切なかった。
どうしてもその器がよければ、また買えばいいんだし。


最近、過去のトラウマに翻弄されることがあって、嫌な記憶がフラッシュバックして、体調を崩し、食べらない、眠れない時間を過ごしていたんだけど、過去の封印してきた思いを許すワークをやってみたら、感じられていなかった感情や、自分の不要な思いこみに気づくことができた。


なんとも・・その思い込みを持っていたら、この不都合な現実は、今後も続くよなぁと思ったらゾッとした。

そういった意味では、トラウマについては自責するのをやめて、不要な足かせとなっている思い込みに気づき辞めていくことで、もしかしたら、今後はその不都合な生き方を止める為の単なるメッセージになるのではないか、と思えてきた今日。


翻弄されるということもとても苦しいし、その時間が勿体無いとも思ったけれど、それくらい自分にとって気づいて欲しいことが詰まっていたのかも知れない。


その時感じたこと、事後に感じたこと、全部洗い出してみて、感情も思いっきり紙に書いてみたら、面白いことに気づいた。


(わたし個人的な感じ方であるが)自分を責めている時や、相手を実際に訴えてやる!こんなに苦しいのはお前のせいだ!といった本来の自分にそぐわない考えの時はものすごく気分と体調が悪くなる。
相手に対する正当な怒り、恨み、憎しみを、ただ紙に書き殴っているときはなぜか気分爽快になって、ああ、これをただ感じればいいんだと思えた。

自分の気分や体調は、あなたはその方向で合ってるよってことを教えてくれる。
間違っている時はどんどん悪化するし、いい方向の時はどんな感情でも気分爽快になるのだ。


未消化な感情は腹の中に溜まり、ふとした時に出てくると言われるが、トラウマに追いかけられるというのも、未消化な感情があったからなのではないかなと思えた。

もし、また出てきたとしても、どんな感情も思いも「出していいよ」と自分で自分に許可してあげよう。
自責することがなければ、あぁ、そんなこともあったな、で単なる記憶になる時が来るだろう。

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