【忘れられない手紙】ショートストーリー
ルカは、海を見ていました。
仕事帰りに、いつも道路から眺めているだけの海に寄ったのです。
昨日吹いた春の風で、海は荒々しく波しぶきを立てています。
仕事で責任者という名のスケープゴートになったルカ。社会人になって三年目、ようやく仕事を覚えたばかりのルカには重荷でした。
波をみていると、思い出が寄せたり、引いたりを繰り返していました。
どっどう どっどう
幼いルカは、母親とショッピングモールに出かけていました。父親と別れたばかりの母親は、ルカを見ていても、本当には見えていないのです。横断歩道で転んだルカが「お母さん、助けて」と叫んでも、振り向かなかった母。
「なぜ思い出したんだろう。ずっと昔のことなのに。お母さんも、もう、いないのにね」
ルカは波打ち際の小さな岩の上にくつを脱いで置くと、スカートを膝までまくって海に足を浸しました。
さらさらさら
寄せた波が引くと、すうーっと海に吸い寄せられそうになります。ルカは、ふと、このまま波にさらってほしいと思うのでした。
夕日が水平線に沈む前の一時、波打ち際に西日を浴びて光るものを見つけました。
手に取ると、小瓶です。蓋はコルクで硬くしめられて、中に何か入っています。
(手紙だわ。昨日の高波で流れ着いたのね。きっと子どもが流したんだ)
コルクを抜いて手紙を取り出すと、小さな紙に青いインクがにじんでいました。なんとか読むと「ジュエリーボックスには、何があったでしょう?」と書いてありました。
「なぞなぞかな?」
ルカは、手紙を瓶に戻すとコートのポケットに入れました。帰り道、車を運転しながら、いくら考えても答えはわかりませんでした。
「ヒントがほしいなあ。でも、無理ね」
(そうだ、ジュエリーボックスといえば)
ルカはすっかり忘れていた記憶を思い出しました。
(お母さんのジュエリーボックスには、金色の折り紙でできたメダルが入っていたっけ)
それは、母の日にルカがあげたものでした。
(忘れてたわ。お母さんなりに私のことを思っていたのかもしれない)
ルカはまた海を見ていました。
早朝は、まだ人の姿はなく、海はルカの独り占めでした。輝く海を見ながら、ルカの心は、会社のオフィスにありました。昨日、休憩室で後輩たちがルカの悪口を言うのを聞いたのです。
ルカは貝殻を海に放りました。貝殻は、ちゃぷんと音を立てて、波間に消えました。
また、思い出が寄せたり、引いたりを繰り返していました。
どっどう どっどう
ひとりぼっちの中学生活でした。ルカを傷つけた者、傷ついたルカを助けなかった者が、笑顔で並んだ卒業アルバム。「笑って」とカメラマンに言われて笑ってしまった自分と、ルカを無視し続けた同級生の顔をボールペンでめちゃくちゃにした。心まで真っ黒に塗りつぶして。
さらさらさら
波が引いたあとに、朝日を浴びてキラキラっと光っている小瓶を見つけ、ルカは駆け寄りました。
引き潮にのってコロコロと沖に転がろうとする瓶を追いかけて、ひどく水にぬれてしまいました。
ルカが瓶を開けると、手紙には、「だいじょうぶ?」と書かれていました。
「だいじょうぶじゃないわ。おかげでびちょぬれよ」
ルカは思わず笑いました。
(そうだった。中学生のころ、こんな風に濡れて、男の子に「だいじょうぶ?」って言われたことあったな)
雨の日のことです。下校中、トラックに水たまりの水をひっかけられたとき、同じクラスの男の子が声をかけてくれたのでした。
(部活のスポーツバックから、しわくちゃのタオルを取り出して、貸そうとしてくれたっけ。私、恥ずかしくてありがとうも言わずに立ち去ってしまった。あの男の子は勇気を出して言ってくれたのにね)
ルカは、小瓶を見つめました。
「不思議な手紙」
それから、毎日、ルカは海に行って、一生懸命浜辺を見つめて、小瓶を探しました。
ある日は、看病できずに亡くなった祖母が編んでくれたマフラーのこと、ある日は、去っていった恋人がくれた初めてのラブレターのこと。
忘れていたあたたかな思い出が、悲しくて辛い記憶をそっと拭いました。
秋晴れの日曜日、ルカは、日課になった海辺の散歩をしていました。下ばかり見つめながら。
岩の間で、波に取り残された小瓶を見つけました。中には、手紙ではない何かが入っています。
「あ」
瓶を逆さにすると、小瓶から、一枚の小さな紫の花びらが零れ落ちたのです。
月曜日、会社を休んだルカは、電車に揺られていきます。
懐かしい海へ。
「手紙をくれたのは、あなたね」
さらさらさら
海から風が吹いて、紫のハマシオンが揺れました。
「思い出してくれた?」
「嬉しいことをたくさん」
「よかった」
ルカは、そっとハマシオンに触れました。
「思い出したわ。あなたのことも、あなたにお話を聞かせたひとりぼっちの女の子のことも」
「うん」
「でも、また忘れてしまうかもしれないわ」
「いいよ」
「私のことは、忘れないでいてくれる?」
「わかった」
「わがままかな?」
「だいじょうぶ。覚えていてあげる。辛い記憶も嬉しい記憶も。丸ごと全部あなただから」
ルカは、海を見ていました。ハマシオンと一緒に。
波が心に満ちるまで。
この作品は、umi no otoさんのnoteにインスピレーションを得て、空想した物語です。
小瓶以外のお写真、イラストは、umi no otoさんにお借りしました。
umi no otoさんのnoteです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?