エスパーまどか

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自己満足の駄文を書いて気持ちよくなります。 温かい目で見てください。 優しいコメントをくれたら喜びます。 毎日投稿すれば文章がうまくなると信じています。

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最近の記事

M-1敗者復活は人気投票でいい

3回戦の動画がアップされ、いよいよ本線が近づいてきた中で改めて、お笑いニワカとして、毎年議論になる敗者復活について考えてみた。 そもそも、敗者復活戦は何のためにやるのか? その意義を考える。 ①エンタメ的要素 毎年M-1決勝当日は、昼間から敗者復活戦が放送され、SNSなどで盛り上がりを見せている。 ラランドなんかは敗者復活を機にブレイクしたと思うし、今や敗者復活自体が一大コンテンツである。 決勝が始まってからも、誰が復活するのかが注目の一つとなっている。 ②ファンの意見

    • オシャレは理論

      私はオシャレというものがよくわかっていない。 世間でオシャレを見て、「ダサくないか?」と思うこともある。 オシャレの最先端であろうパリコレの服なんか理解不能だ。 何がよくて何が悪いのか、わけがわからない。 最近私は、オシャレとは「理論」なのではないかと思っている。 見かけではなく、どうしてその服なのかという意図がオシャレかどうかを決めるのである。 以前オシャレな服として紹介されていた、釣りのチョッキのような服。 私から見ればダサいが、モデルの女性の方は「かわいい!オシャレ

      • ゲームのグラフィックはどこまで現実に近付けるべきか

        最近はハードの性能が上がって、どんどんゲームの映像が綺麗になっている。 だけど、その性能をフルに使ってリアルに近づけるのは必ずしも正解だとは限らないと思う。 グランツーリスモみたいな、現実に存在するものをゲームにしたものは、リアルに近ければ近い方が良い。ただ、ポケモンとかはそうじゃない気がする。 ポケモン最新作はかなり現実に寄ってきていて、コイルなんかはメタリックな感じがカッコいい。 でも、ピカチュウに毛が生えていたり、ドラゴンポケモンの鱗の質感だったりはちょっと気持ち悪

        • 「継続する」ということ

          我々は何かしらの上達を目指し努力するときに、毎日繰り返すことを「継続」と考えがちである。 しかし、1週間に一度でも1ヵ月に一度でも、続けている限りは「継続」と呼ぶことができる。 多少期間が空いても続けられていると考えられた方が少し楽になる。 メジャーリーガーのダルビッシュ有さんが上記のようなことを仰っていていて、なるほどと思った。 私はどちらかといえば前者の考え方なのだが、一日でも途切れてしまうとたちまちやる気がなくなってしまう。 継続すること自体もモチベーションになって

        M-1敗者復活は人気投票でいい

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        • 駄文
          1本

        記事

          コーヒー・ビール・タバコ

          この3つの好き嫌いには正の相関があるような気がしている。 どれも苦みが特徴的で好き嫌いが分かれる。 特にタバコを吸っている人で、コーヒーとビールが苦手だという人はあまり聞いたことがない。 私はコーヒーとビールが好きなので、リーチがかかっている。 タバコは嫌いだけど、もし何かのきっかけで吸い始めてしまったらと考えるとこわいなぁ…

          コーヒー・ビール・タバコ

          磁石の将棋は消滅する

          むかーし、マグネット式の持ち歩ける小さな将棋セットというものがあった。 磁石でくっつきミニサイズだから持ち運びやすくとても良い商品だったと思う。 外出先で将棋を指すのにもってこいだ。 ただこの将棋セットは絶滅すると思う。 現在はスマホが普及し、それ1台で何でもできる。 わざわざ用意しなくても、常に持ち歩いているスマホがあればそれでいい。 トランプやUNOなんかは家に置いとくものをそのまま持ち運べるから当然なくならないけど、持ち運びのために作られた玩具というのはスマホの影響

          磁石の将棋は消滅する

          THE SECONDの放送時間

          5月20日よる7時から、フジテレビでザセカンドが放送される。 その放送時間はなんと4時間。 ながい… フジテレビの賞レースで思い出されるのは「THE MANZAI」だが、その第一回も長かった記憶がある。 1ブロック4組×4ブロックで全16組が出場。 最終決戦で4組がネタをするので全20ネタ。 制限時間は4分だと思うので、ネタ時間だけで80分はあったはず。 当時は小学生だったので、寝ぼけ眼でナイツのネタを見ていたのを覚えている。 翌年からは4組×3ブロックの12組、全16ネタ

          THE SECONDの放送時間

          愚痴は自分と同じレベルの人に言った方が良い

          愚痴や不満について話すのは諸刃の剣だと感じている。 不快に思う人もいれば、共感する人もいて、後者であれば仲を深めることに役立つ。 言う相手を選ばないといけない。 上司や先輩の前で愚痴を言うと、よくない評価につながる。 部下や後輩の前で愚痴を言うと、信頼にかかわる。 目上の人が愚痴を言っているとモチベーションが下がるよね。 だから愚痴をいうのは同期とか友達とか、自分と同じ目線の人の方がいい。 みんなも気をつけてね。

          愚痴は自分と同じレベルの人に言った方が良い

          頑張れるときに頑張ればいい

          人間誰しも気分が良くて頑張れるときと、落ち込んで頑張れないときがある。 努力し続ける美学みたいなものもあるかもしれないが、苦しいときに無理しなくてもいいんじゃないか? 辛いときも走り続けていると、なかなか元気になれず、かえって進みが遅くなってしまうような気がする。 調子良く元気なときだけ頑張ればいいんだよ

          頑張れるときに頑張ればいい

          会議の前には資料を作成した方がいい

          塾講師のアルバイトの身でも、教室の会議やエリア会議に出席することがある。 このときいつも、主催者が資料を作成して配布すればいいのにと思う。 会議の内容なんて覚えてられないからメモを取るんだけど、この時間がムダ。 全員が同じ内容を各々書くのは馬鹿らしいし、そもそもメモを取りながらだとそっちに集中してしまって話の内容が入ってこない。 授業の進め方、教材の使い方などについての会議が多いので、授業前に確認しやすいよう資料があった方が絶対良い。 資料を配布して強調すべきところだけ口頭

          会議の前には資料を作成した方がいい

          学力は1人の時間にしか伸びない

          ここでいう学力とは、テストで点を取る力のこと。 どれだけ勉強ができるかという話。 この点において、1人での学習の時間は欠かせない。 誰かと一緒のところにいてもいいんだけど、1人で問題に向き合う時間が必要だということ。 テストの時は結局1人で問題を解かなければいけないわけで、そのための練習を普段からしておかないといけない。 勉強が苦手な子のフォローは勿論必要なんだけど、あまりにも助けすぎてしまうと本番で苦労する。 塩梅が難しいなー

          学力は1人の時間にしか伸びない

          ポケカ転売報道の違和感

          先日、ポケモンカードの発売日前夜に秋葉原に長蛇の列ができたということをニュースで報じていた。 その際に、1枚20万円の値が付くカードも存在することに言及していたが、ここに違和感を覚えた。 この二つの問題は隣接しているがイコールではないからだ。 前者は転売ヤーの買い占め、少ない供給量による価格高騰の問題。 欲しい人のもとに届かないのは大問題である。 クリーチャーズが対処すべき問題で、実際プレイヤー優先予約や再販など策を講じている。(十分かどうかはまた別の話。) 後者はレアカ

          ポケカ転売報道の違和感

          ハッピーセットの見本がなくなった

          私が子供の時には、マクドナルドの店内にハッピーセットの見本があった。 下の画像みたいなやつ。 今マクドナルドに行くと、見本が置いてあるところはほとんどない。 あるとしてもこんなやつ。 そもそもドナルド自体見かけない気がする。 マックカードに書かれていたあのキャラクターたちはどこへ行ってしまったのだろう。 会いたいなぁ…

          ハッピーセットの見本がなくなった

          語れないと愛がないみたいな風潮がイヤ

          昨今はSNSやYoutubeが普及した結果、自分の好きなものについて発信する人が増えているような気がする。 趣味や推しについて熱心に語る様子を見て、そのものへの愛の深さを感じるが、その裏返しとして、あまり語れないと愛がないだとかニワカだとかみなされてしまうような空気を感じる。(私が勝手に感じてるだけかも。) しかし言語化する能力と愛の深さは比例しない。 むしろ熱量という点においては、言語化できない段階にピークがあると私は思う。 悩みを解消する方法として、紙に書きだしてみる

          語れないと愛がないみたいな風潮がイヤ

          数学も答えがない学問

          塾でアルバイトをしていると、「国語は答えがないからキライ。数学は1つの答えが出るから好き。」という意見を聞く。 少なくとも中学生レベルではその通りだろう。 ただ、突き詰めれば国語も数学も、なんなら理科も社会も英語もすべて答えがない学問だと思う。 私たちは物心つく前から日本語に触れ、日々日本語を使って生活している。 小学校入学時点で相当なレベルまで日本語を習得しているといえるだろう。だから国語の授業では、ただ答えがある問題に取り組むだけでなく、答えのない問題について思考し自ら

          数学も答えがない学問

          コンタクトレンズのチラシを配るのは難しい

          コンタクトレンズのチラシは当然コンタクトレンズをつけている人に配りたいが、それを見抜くのが難しい。 ぱっと見でコンタクトを装着しているか判断することは不可能だ。 眼鏡をかけている人に配るというのも一つの手である。 ただ、眼鏡をかけている人がコンタクトを求めているとは限らない。 あえて眼鏡を選択している可能性もある。 あの人たち大変そう…

          コンタクトレンズのチラシを配るのは難しい