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【コラム】「自分を信じなさい」など到底できるわけがない・絶対無理な理由 #037

完全にネガティブキャッチなタイトルになったのはいい気分ではないが、今回はこのまま書く。構造心理学と言語心理学に関係すること。


■現代日本に「言霊」はない


正確にはほぼほぼほとんど微塵もない。ほんのちょっぴりだけならある。
言霊というのは霊性(スピリチュアル)の印象が強いと思う。それでもいいけど、もう少し幅広で『言葉の力』だと思ってほしい。

力にも色々とあるけども、どういう力かというと能動性を伴う作為的な実現力のこと。操作、誘導、プロパガンダ、キャッチ(この投稿のタイトルも)などの技術のことじゃない。
「もともとの言霊って言葉の技術だよ」なんて聞いたことがない。

たとえば(知らんけど)「悪霊よ去れ!」と言葉を発してその通りになるなら言霊の力あるよな。
もし言って、悪霊が「え?何命令してんの気に食わん!呪ってやる!」とか全然効力がない上に逆ギレされたら「こんなことになるなら言わない方が良かった」となる笑

言葉はただの音波だけど、言葉に現実を動かす威力があるのが言霊。
たとえば説得力がある人の言葉というのがある。現代に疎く、普段穏やかなおばあちゃんが「あの男だけはやめときなさい」と言ったら、なんとなく自分には見えていない本質が隠れている気がする。そして事実そうだということがある。
こういうのは言葉の力、言霊があると思っていい。

または同年代でも少し歳が離れているだけでも「妙に説得力がある人」っているだろ?本当のことを言っている・・・もとい、真実を指摘していると認めざるを得ないことがある。
言葉に強さを感じるし、疑念の余地がないように思える。
しかし、そのようなテクニックを使ったり、心理術の振る舞いをしているわけではない。言葉を通すために言葉以外の工夫を凝らしているのではない。


■本当のことを見据えている


そういう人は常に「本当のこと」を言っている。
言っているということは、それよりも何百倍も多い思考も「本当のこと」を考えている。考えるということは、ただぼーっと見たり聞いたりしているのではなく、本当のことを見極めて聞いている。
本当と嘘を区別する視点があり、基準がある。

嘘を否定するかどうかは個性によるが、本当のことを重視する人は嘘を受け入れないスタンスがある。純粋素直に本当を好み、嘘を嫌う。
しかし知見が浅いとかバカなのであれば、そもそも本当と嘘の見分けがつかない。「どっちでもいいんじゃない?」となる。だから何が本当で何が嘘か、見分けるための思考をしたり、わからない物事は記憶に残して経験の中で真偽の区別をつけていこうとする。
この意味で、こういう人は「ほったらかし」「別にどっちでもいい」「自分に困ることがなければいい」とはしない。

そういう人が口を開いたのなら、こういう背景の元に何かを言っているはずだ。だから真実味がある。
こういう人でも曖昧なことを言うシチュエーションはある。なら曖昧ではっきりとはわかっていないという言い方をする。断言しない。といって不安定な言い方はしない。今わかっていること、まだわからないこと、高い確率で予測できることを分けて発言する。

それから、人にどのような指摘を受けるとまずいか?に対策した話し方をしない。誰かの反応を気にしたものの見方よりも、真偽のありかを話す。
もちろん誰でもいつでも「本当だから言っていい」などとは思っていない。わざわざ言わなくていい場面では口をつむぐだろうし、どんなに不利になるとしても「ここでは伝えなければいけない」という場面では言うだろう。
つまり発言に対してそれを扱う決断決意と慎重さの両方を兼ね備え、駆使する必要性を理解している。

こういう人の言葉は真実強い。それが言霊になる。


■自分を信じることができない理由


強い言葉を持つ人の背景心理がわかった。
真実の言葉を放つ人とそうでない人を分けている習慣・・・言霊がある人とない人の違いはこうだ。

「言葉がその通りになることを言う」
「言葉は便宜上なのでそうならないことも多い」

つまり、言葉に力がある人は嘘をつかない。本当のことを言う。ということはたとえば約束を守る習慣がある。言葉にしたなら必ずその通りにする。
都合、事情、不可抗力は関係しない。言葉の通りに自分を振る舞わせる。
だから「5分遅刻してごめん」ということは基本的にない。
特に大きな物事に対して安易な言葉を出さない。実現可能なことや希望を希望として話す場面は別としても「世界征服目指してます」というような頭のおかしなことは言わない。

一方言葉を守らない人がいる。簡単に約束し、簡単に破る。
よく考えずイエスといい、気分でノーという。イエスやノーと言った後で事情、気分が変化すると答えも簡単に変化する。
やると言ってやらない。自分の約束を守らない。やらないと言ってやる。きっちりその通りでなくても「だいたい合っているからOK」とする。
言葉と現実が常に一致しない。
つまり言霊の効力はない。
つまり自分を信じることが決してできない。

そういう人に「自分を信じなさい」と伝えても、そもそも信じられる自分がいないのだから、「自分を信じなさい」という言葉そのものが宙に浮いて不完全燃焼で終わる。
自分を信じるなどできるわけがない。

一方言葉の重みを守る人は、そもそも自分を信じることが可能な状態にある。だから「自分を信じなさい」という言葉を言われることがない。
このことから(言語心理的に考えて)「自分を信じなさい」と発言する人もまた、言霊の力がなく言葉を軽く扱っていることがわかる。
なぜなら自分を信じられない人にこの言葉を言うとその通りにならず、自分を信じている人には言う必要がないからだ。「自分を信じなさい」という言葉には有用性どころか実用性もない。発した瞬間に自分に嘘をつくことになってしまう。

自分を信じられない人に実効性のある言葉を言うなら「ひとつひとつ自分との約束を守れ」と言うことだろう。ただ実効性があっても有用性の確率は低い。
そもそも自分を裏切り続ける習慣がある人が約束を守るとは思えないからだ。

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