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【1章】「外側」と「内側」では法則がまるで違う。結論も根拠も全て異なる #010

自己啓発、占い、心理学、スピリチュアルで【個性や人生がわかることは絶対にない】コラムシリーズ

1章ですw
ここから自己啓発、占い、心理学、スピリチュアルが絶対に【個性や人生を明らかにしない、わかることはできない】ことの理由と根拠を数章(複数の本質的理由)によって説明していきます。

今回1章ではタイトルにある『外側』にある理論や方法論の成り立ちと、『内側』にある物事の追求方法がまるで違う、ということを説明します。

「普通に考えれば(こんな説明をするまでもなく)誰でも簡単にわかる」こと・・・・を長ったらしく書くのはやや心苦しい。でもそういう機会なので出せる情報は全て出します。

※要点だけ読みたいという方は目次から「長い話のまとめ」をどうぞ



■あなたが好きな音楽はどんな音楽、曲ですか?


なるべくイメージしてもらったり、本題から遠い話題でニュートラルに考えてほしいので話の回り道をする。(この先もすると思う)

タイトルの通りで「あなたの好きな音楽は?」を考えてみてほしい。いくつかの曲をピックできると共に、それらの曲には似たような特徴、つまり自分が好む特徴があると思う。
たとえば俺の場合なら「短調」「テンポ早め」「エレクトリック」しかし「ピアノとバイオリン」が入っている曲を好む。

結構簡単にできると思うので自分の場合は?と考えてみてほしい。言葉にできなくても構わない。なんとなくでいい。
そのあなたに、誰かが「あなたは◯◯や△△な傾向の曲が好きなんですね」と自分が出したことをそのまま言ったとしよう。返す言葉は決まっている。「その通りです」だ。


音楽が苦手な人がいるかもしれない。あまり聞かないしよく知らない可能性がある。では小説はどうだろう。映画でもいい。
好きな小説、あれは良かったと語ることができる映画。
音楽と同じように特徴とか傾向があると思う。たとえば「ラブロマンスにはいつも泣かされる」とか「最後にどんでん返しがあるものが好き」などだ。

もしよければ、何作品か思い浮かべてみてほしい。そして良いところや心が動いたところを、誰かに話す感じでイメージしてみてほしい。

例として俺のことを書いてみる。浮かびにくい人は参考にしてほしい。

音楽はクラッシックならラフマニノフのピアノ協奏曲2番と3番
エレクトロニックならアニソンの中でいくつかピックした曲が10程度。坂本龍一の00年代ごろの曲が4〜5曲。
小説は構成に衝撃と感銘を受けたのが「悪童日記」。長編なら「銀河英雄伝説」。
映画はハンガリー映画の「ループ」。

他にも色々あるけども、見本なのでひとまずここで止める。
できる限り「作品名」「タイトル」を思い出してほしい。内容が良いと感じられるものだ。

あなたが並べた音楽、小説、映画に対して、先ほどと同じ言葉・・・「あなたは◯◯や△△な傾向の曲(小説、映画)が好きなんですね」と言われればYESと答える。

だがもし、ラフマニノフや坂本龍一が目の前に現れて「君の好きな傾向はわかった。ひとつ君が喜ぶに違いない曲を作ってプレゼントしてあげよう」と言ったとする。
そのプレゼントされた曲は果たして本当に素晴らしく良いだろうか?

アゴタ・クリストフや田中芳樹が現れて君が大好きな小説を書いてあげようと言ったり、リュック・ベッソンや行定勲が自分のために映画を作ってくれたとして、その作品がこれまでに読んできた小説や、観てきた映画を超えるものになるだろうか?

なるわけがない。
(自分のために作ってくれたことの感動はここでは省いて考える)


■坂本龍一も坂本龍一の曲もあなたのために生み出されたものではない。そして彼らは「あなたの◯◯」には全く疎い


何を言っているのかまだよくわからないと思う。

結論を書こう。
音楽のプロ、世界的アーティスト、業界の頂点でその道のことを知り尽くしている人であっても、

『あなたという個人の好みにベストヒットする良い作品を作ることができるわけではない。むしろ限りなく不可能に近い』

傾向分析すれば作ることができるだろうか?能力値は高いからやろうと思えばできるかもしれない。
だがそんな音楽家、小説家、映画監督の作る「作品」は、もうその時点で感動から程遠いものになるだろう。心理操作されているような、これ出せば涙流すだろ?という計算で作られたものに、いち個人としての自分が響くわけがない。
(※だが「大衆の中の自分」は十分に響く可能性がある)

あなたの心にドーンと響く作品を作るオーディションを開催したとしよう。世界有数の音楽家、小説家、映画監督、芸術家などが集結し、自分の才能をフル発揮してあなたが喜ぶ作品を作る。事前にヒアリングもしているし、好みの傾向はできる限り公開している。

それでも限りなく低い確率でしかヒットしない。1万人が挑戦して仮に10作品ヒットしたとしよう。しかし話は続く。
ではまた次、その10人だけが2つ目の作品を作る。果たして最初の作品と同じように、あるいはそれ以上に「響く」ものになるだろうか?
確率はほぼゼロだろう。

言いたいことはこうだ。
世界有数の、その道でトップクラスの人が、自分のことをできる限り伝えてすら、心に響く何かを作り出す可能性はほぼゼロということだ。


理由は簡単で、なぜなら彼らはあなたの音楽なり小説の専門家ではなく、自分の道の専門家であるからだ。
彼らが得意、いや卓越しているのは自分の音楽なり文章を幅広く認めさせることができることであり、ピンポイントであなたに素晴らしいものを提供するのではない。

音楽とは、小説とは、映画とは、別にあなたのために存在していない。
アーティストが活躍するため・・・・とはギリ言えるかもしれないが、そのためにあるのでもない。
音楽、小説、映画はその分野が広く認められ、求められる一大体系として世の中に存在している。だからもし、過去坂本龍一が存在していなくても、音楽の世界は発展し続ける。モーツアルトが、マイケル・ジャクソンがいなくても同じだ。
彼らはその世界の住人であり、その分野のプロであって、あるいち個人を判別したり、感動させたり、啓発する存在ではない。


■心理学がやっていること、心理学にできること


言わんとすることがだんだん見えてきただろうか。

心理学とは人間の思考と感情や感覚の発生がどのように起こるのか?ということを解き明かすメカニズムだ。現代の心理学は臨床なり実験検証によってエビデンスを取り、はじめて「そういうメカニズムがある」と説明する。
この方法は科学的なアプローチに基づく。科学や医学と同じように、寸分の狂いなくそうだと言えるか?ということを実証する。
心理学に精通しているプロとはつまり、人の内在感覚や思考のパターンを実験と仮説検証によって明らかにする人のことだ。

彼らはどのような集団的傾向があるかをよく観察する。
そして出来事や条件に対して『人がどんな反応をするか実証』する。そういうことに長けている。
いち個人としての誰か(つまり「あなた」だ)の心や頭、個性や人生、そういったものが他の人とどのくらい異なり、どうやって生かしていけばいいのか、ということはまるで知らない。
門外漢であり、わかりようがない。
なぜならいち個人の独自性の研究は心理学の分野にないからだ。
実証結果によって明らかにされた「多くの人に共通する法則的傾向」を得意とする人が、個人特有の現象を言い当て、上手に運ばせることはできない。

彼らは心理学という専門分野の中の、実証された多くの人に当てはまる心理反応パターンが「あなたにもそういう傾向が見られる」というときだけ、判別をつけることができる。
これはいち個人の性質を表しているのではない。多くの人に共通する習性の説明をしている。


■個性を統計で証明することはできない。内側のオリジナルを、外側の理論で測ることはできない


おもしろいことに、というか恐ろしいことに、一度学者が発見した法則は「大衆化するとき」曲解されて都合よく装飾される。

10年以上前のことになる。
俺が何人かの人と信号待ちをしていた。後ろで一人の人が・・・この人は人にアドバイスをするようなセラピーかカウンセリングだかの仕事をしていた・・・が話している声が聞こえてきた。

「それはあなたの個性で強みだよ。ピンとこなくても統計で証明されているから」

この嘘に俺は食い気味にかぶりついた。

「『統計』というのは目の前の個人【以外】の多くの人の傾向のことで、『個性』というのはその人が独特の性質として持ち合わせているものだから、言っていることが矛盾している。統計を証拠に個性だとは絶対に言えない」

言っている意味がわかるだろうか?

この意味で、
占星術をはじめとする統計論拠の占い各種
心理学を論拠にするカウンセリングなどの専門職
成功者の大半が一様にもっともらしいことを言っているぞ!と煽る自己啓発
読んだ教科書の話しかできないスピリチュアル

が、あなた自身が何者であるかなど「わかる」わけがない。まして「語る」ことなどできるはずがない。
坂本龍一があなたが喜ぶ曲を作ることができないのと同じだ。

だが音楽家や小説家は、自分たちの分をわきまえている。自分たちは音楽を生み出す人であり、物語を紡ぐ人だと自覚できている。
心理学者も学問分野としての心理学のエビデンスを取り論文を書くことが仕事だと心得ている。
彼らは「いち個人のことなんか朝飯前の晩飯前にわかるぜ」などと決して言わない。というより、そういう発想すらない。

プロの占い師は占いに精通している。人、とりわけ個人の個性に精通していない。人生にも精通していない。「占いが示す人生というカテゴリ」の話をしている。
その人の人生、その人の個性、だから何をどのようにすべきか、本当のところ何が必要か「個性から」「その人の人生から」寄り添ってしっかり見極めようとする占い師はいない。

カウンセラーは「カウンセリング技術のプロ」であり、誰か個人の個性や人生をよく知っている人ではない。占い師と同じで、個性や人生の見極め方を習得したことがない。彼らの習得はカウンセリング(分野)にしかない。

成功者は運良く成功しただけだ。法則など本当はない。
成功という定義に当てはまる人が言いそうなことを集め、装飾すると売れるので自己啓発という分野がある。
宗教も似ている。宗教は救われない人に救済を装飾することで成り立つ。彼らはその道のプロだ。キリストがブッダが「ある個人の個性や人生の運用を、自分に合った方法で具体的に教えてくれる」ということは1ミリもない。

スピリチュアルという分野は分化しており幅広いが、どの分野に該当するにしろ、彼らはスピリチュアルに優れているのであって、ある特定の個人の個性や人生を生かすことに長けていない。
スピリチュアルを生業にしている人は、占い師と同じで、スピリチュアルの分野の中の人生というカテゴライズの話をしている。相手を個として接しているのではない。
彼らは多くの時間、人間ですらない存在の方を向いている。その中での教えなり、人間にとって有意義であろうことを拾い、意味を見出したり悪いものを排除する技術を扱うことに長けている。


■「トンカツ屋の大将が誰かの個性や人生を知る術を持たず、そういう訓練をしたこともない」のと同じ


音楽家が音楽に優れているように、占い師もカウンセラーもセラピストも、自分が属するいち分野の技術に優れている。そこは肯定できる。
だがそれらの分野は、どの分野においても「個人と個性」「個人の人生」のための分野ではない。非常にシンプルで明確なな話だ。トンカツ屋20年の大将や、外資系航空会社のベテランCAと同じ立ち位置にいる。彼らもこだわりのトンカツを揚げる技術で、気配りの接客技能で人を喜ばせる。

しかし、トンカツ屋の大将は誰かの個性や人生に介入しない。ベテランCAは数多く、かつ、種類多くの人を見てきた経験がある。見る目も肥えているだろう。だが人の持つ特徴的な特徴や、誰かの人生の浮き沈みを云々しない。


歯医者が誰かの個性に触れるときは、歯についての特殊なケースが出たときだ。「これは珍しい。こんな個性的な歯は見たことがない」というようなときだ。
歯医者が誰かの人生と関わるのは、長年の患者が何度も忠告したにも関わらず歯がボロボロになるまで放置して苦しむ羽目になったときや、矯正で歯並びを良くした患者がいい相手と結婚できた・・・などというときだ。
『歯という専門分野を介してわかり得る範囲の限定的な物事』でのみ、誰かの個性や人生と関係する。

美容師は特徴的な髪質や変わった頭の形を前にしたとき個性に触れる。
また「学生の頃から通っているお客さんが、今はもう下の子も家を出て夫婦二人きりになった」などという、何十年もの間で交わされた会話の内容で、誰かの人生に関係する。

心理学者、カウンセラー、成功者、スピリチュアル、宗教家、占い師も全く同じであるということがわかるか?

彼らは、彼らも、自分が専門とする分野の枠組みの中で、誰かの個性や人生と関わる。
人の内面に関わる仕事をしていても、実のところ、わかる範囲は歯医者と大差ない。「専門分野の枠組みの中でわかる範囲」でしかわからない。
だから心理カウンセラーも歯医者も、俺が『クラッシックならラフマニノフのピアノ協奏曲2番と3番が好き』だと見抜けない。質問をして知ろうともしない。自ら言ったとしても「ラフマ二・・・って何?」となれば、理解することすら覚束ない。

だがいち個人側は違う。

誰でも自分中心の立ち位置に立ち返ればわかる。
自分という人間は、ある専門分野の中で特定される個性だけを持って生まれてきたのではない。自分は自分という人間が持つ個性の全てを抱えて生きている。
活躍する個性があれば芽が出ない個性がある。自分の持ち物なのにいい加減この性格にうんざりする、というものもある。自分では当たり前すぎて気がついていないが、周囲のほとんどの人が「いてくれるだけで場が盛り上がる」と思っている個性もある。こちらは「みんな楽しそうでいいな」と思っているだけかもしれない。特に何もしていない。なのに自分では気がつけない個性が備わっている。
だから「あなたのおかげで今回も盛り上がった」と言われてもピンとこない。きっと親切でいい言葉をかけてくれているのだな、などと思う。

本人も自覚できていない、そういった個性を見抜くことができるカウンセラーやスピリチュアルの人、占い師はいない。彼らはそのような個性を見抜く訓練も習得もしていない。自分が属する分野の解析手法やチャートを見る訓練と習得をしてきたのだ。目の前の人のことは見ない。見る術も持っていない。


■長い話のまとめ


ここまでが今日の解説「外側と内側は法則がまるで違う」だった。
まとめよう。

外側、というのは専門分野のことだ。
世の中で確立されている手法と目的の体系のこと
専門家とか専門職というのは「体系に通じている」ことだ。

内側、というのは個々人のことだ。とりわけ個性を指す。
自分自身に備わっているオリジナリティと内側の体系のことで
自分自身でわかっていることと、よくわかっていないことが無数にある。

仮に、外側をA、内側をBとしよう。
Aのことをよく知りたいと思ったらどうすればいいか。
Aを習得し、考える時間ややってみる機会を増やして経験値を上げる。
ではBのことをよく知りたいと思ったらどうすればいいか。
Bを習得し、考える時間ややってみる機会を増やして経験値を上げる。

AはBでは対応できない。
BはAで対応できない。
筋が違う。モノが全く違うからだ。

だから、Bを知ろうとするなら、Bを知るための方法を習得して熟練し、やってみたりフィードバックしたり、考えたり感じたりする必要がある。
Bとは=「ある誰かの個性」のことだ。その誰かが「自分」なのであれば、自分の個性を知るためにそう↑やってみるといい。

別の誰かの個性を知ろうとするなら、まず同じようにやってみる。
だが、早い段階で自分自身にやったときのようにはいかないことに気がつくだろう。自分のことなら、考えや感じていることを意識的にフィードバックできる。しかし他人の考えや感じていることは見ただけではわからない。質問をしたり、観察する必要が出てくる。それをしてすら、よくわからないこともある。
ならたとえば・・・・一緒に住むだとか、ついて回って接触時間を増やすということをやる必要が出るかもしれない。もしSNSをやっているなら隅から隅まで読み込むかもしれない。相手をよく知っている人に話を聞きに行くことが必要かもしれない。相手の人が好きな音楽、小説、映画を相手の気持ちになって見る必要が出てくるかもしれない。

さらに、その相手を知ろうとする中で新しい知識や技術を身につけなければならなくなることがある。たとえばその人がHSPだとしよう。HSPのことを全く知らない。なら、それが何か。その分野のどこに該当するのか。とりわけどのようなことで困ったり、逆に得をしたりしているのか。分野ごと基礎知識として習得する。

こうして色々なことに取り組んでも「どうしても理解できない」ことがある。それでも色々な質問してよく話を聞くだろう。だが、聞いてもやはりよくわからない。どう感じて、何を考えて、どこに基準があるのかさっぱりわからない。だったら相手と同じシチュエーションを用意して、相手がやっているのと同じように自分もやってみることが必要かもしれない。

つまり、誰かの個性や人生を知ろうとするなら、その人を知るために必要なあれこれに毎回取り組むのだ。結婚生活が長い夫婦は、意識的ではないにしても似たようなことをやっている。誰かの個性や人生を知ろうとするなら、夫婦よりも意識的にこうしたことに取り組む。

聞いてみるとただの当たり前だと思わないか?

しかし、これをする自己啓発、カウンセラー、占い師、スピリチュアルはいない。つまり彼らに人の個性や人生を見極めることはできない。


【コラムシリーズの目次】

自己啓発、占い、心理学、スピリチュアルで【個性や人生がわかることは絶対にない】コラムシリーズ

■プロローグ
1章「外側と内側では法則がまるで違う。結論も根拠も全て異なる」 ※この投稿
2章「マクロとミクロは法則がまるで違う」
3章「「マイナスの向上」と「プラスの向上」はルールがまるで違う」
4章「どの専門職も「自分」と「人生」を混同している。多くの場合、その違いすら分かっていない」
5章「個性を明らかにするには、「個性を探る」しかない(スーパー当たり前なこと)」 
【エピローグ】個性を明らかにするvs専門家の本質


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