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アラサーOLがnoteのおかげでもう一度妊活と向き合おうと思えた話


30歳フルタイムOL。
やっと踏ん切りがついた。

妊活に向けて病院へ行こうと思う。

以前書いた通り、私は2023年に
半年の間に2回流産している。

どちらも心拍確認後の稽留流産。

昨年のクリスマスぐらいが丁度術後で、
文字通りまさに人生のどん底。

全てがどうでも良くなって
もう何もしたくなくて

正直、もう人間やめたいって思った。

基本的に私は、嫌なことがあっても
あまり引きずらないタイプで
次の日には大体ケロッとしてる。

でもこればっかりは結構引きずった。

「なんで私だけ...」って何度も思ったし、

「もう子供のいない人生にしよう」
「夫と2人でいい」

そう考えたこともあった。

でもやっぱり本音は違ったみたい。

「やっぱり私、子供が欲しい。」


最近そう思うことが増えた。

流産したタイミングはどちらも
仕事の過渡期でストレスが多かった時期。

つわりがひどいのに無理して出社をして

「私がやります」「大丈夫です」が口癖の私。

断りきれず、たくさん仕事を抱えており
メンタルは本当にボロボロだった。

それも流産の一因だと思った私は

術後の休職中、1人で喫茶店でノートを開き
頭の中のモヤモヤをひたすら箇条書きにした。


「もう人生ドン底なんだから
 どうせならやりたいことをやろう。
 言いたいことも言おう。」

もっと自分のことを大切にしようと思った。

そして、やりたいことを思い切って始めよう!

そう思い、まず始めたのがnoteだった。

noteを毎日書くことで
自分と向き合うことができた。

だんだん自分に素直になれて、英語学習も再開。
身体を整えるために手作り麹を作り
漢方を飲み頭痛も軽減させて体を労った。

メンタルも身体も整ってきた。

今は自分を大切にできていると思う。

最近は仕事で「ん?」と違和感を感じることがあれば
周囲に相談をしたり自分の意見を言えるようになった。

丁寧な暮らしや健康を意識できていて
夫や友達がいて、毎日楽しく過ごせている。

術後から3ヶ月弱、私は結構変われた気がする。


そろそろ妊活をしようかなと思っていた時、
上司との面談があった。

海外出張を命じられているものの、PJTの都合で
具体的な日程が決まっていなかった。

これまでの私であれば同行者の都合もあるから

「あの人忙しそうだし、もう少し待ってみよう」

っていうスタンスだったと思う。

そんな私がこの前の面談で

「海外出張が夏以降になるなら、ご遠慮したいです。
そろそろ妊活を再開したいと思っています。」

そう、上司に伝えることができた。

自分の口から出ていた言葉だけど、少しびっくりした。

けど、安心もした。

これまでの生き方や考え方は
必要以上に周囲に気を遣い、自分に無理をさせていた。

私はこれを変えたかったんだから。

自分の変化に気づき、今だと思って
ついに夫に今後のことについて相談。


やはり涙を流せずにはいられなかったけれど
素直に全部伝えることができた。

そして私たちは決めた。

不育症の検査の相談に行くことを。

流産後、病院からは特に勧められなかったし

次妊娠できる可能性もこれまで流産を経験していない人と変わらないと言われた。

でも、やっぱり紹介状を書いてもらおうと思う。

検査をしても原因が分からないかもしれないけど

原因が分かってそれに対してアプローチできるなら
それはそれで安心する。

そう思えるようになった。

これだけで大きな進歩。
2人で病院を調べて、行こうと決めた。

やっとここまで来れた。

noteを始めていなかったら
まだ私はどん底にいたままだったと思う。

現に年始の仕事復帰後は職場で色々あり
メンタルも散々で、このままではやばいと
人生で初めて自分に危機を感じた。

それが3ヶ月で
妊娠に向けて前向きに慣れている。

焦らず、ゆっくりでいい。

夫と一緒なら乗り切れる。
やれることは全部やってみようと思えるようになった。

来月中に2人で探した病院へまずは相談に行く。

引き続き自分の体調とメンタルを維持する。
今できることをやるのみ。


あの時noteを始めて本当によかった。

※これから妊活についてのnoteも少しづつ書きます。
 引き続き読んでくださると嬉しいです!

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