見出し画像

大学院生の研究ってなんの意味があるの?


今回記事は私が修士課程の終盤ぐらいから考え始めたことで、最近ようやく考えがまとまってきたので一度書いてみようかなと思ったところです。

これは科学は人の役に立たなければ意味がないという視点から考えているので、知の探究という崇高な考え方はいったん横に置いております。

大学生、大学院生の研究って何の意味があるんでしょうか?
この問いは非常に難しい問題な気がします。正解があるかもわかりません。

ただ学生のうちに、この問いについて真摯に向き合うことは重要な気がします。

先生に言われたとおりに実験をして、自分はただ手を動かすだけ、そんな研究に何の意味があるのでしょうか?

自分で課題を考えて、目標に向かって研究を進める。しかし、卒業までにその研究を社会に実装して人々の役に立つのは難しい。そんな研究に意味がありますか?

それならば、何のために研究をするのでしょうか?

とりあえず、ここでは楽しいというのは置いておきましょう。とっても幸せなことですが、みんながみんなそうとは限りません。

ぱっと思いつくのは以下のようなものでしょうか

学歴が欲しい?
学位が欲しい?
就職活動に必要?

リアルなところではいろいろな答えがありそうです。しかしどれも本質的な答えではないように思えます。大学出てなくても学位がなくても、世の中で活躍する人は大勢います。

多くの人々が言うのは、論理的思考や研究のプロセスを学ぶことですよね。
当然、それが正解な気がします。でも、それってかなり漠然としているような気がします。

論理的思考ができますって、どのレベルになったら人前で言えるんでしょう?私はまだまだ言えません。


もう少し考えてみる

大学(アカデミック)での研究において、1人の平凡な学生が数年研究をしたぐらいで社会実装は容易ではありません。

私の場合は、産業レベルでは採算の合わないような特殊な材料を研究しています。すると特許を書こうが論文を書こうが企業が使ってくれるなんて夢のまた夢です。

そんな誰の役にも立たないような研究をしたってただの自己満足です。そう考えると、自分が何のために研究しているのかますますわからなくなってきて、悲しくなります。

そこでもう少し抽象化して考えてみました。

私の研究では、ソフトマターと呼ばれる柔らかい材料の構造安定性を調べています。実際に扱っている物質は、かなりニッチで産業レベルでは使われてはいません。材料費がかかりすぎて大量生産に向かないのです。
しかし、同じようなソフトマター材料は世の中にたくさんあります。

考えるべきは、自分の知りたいことが、世の中一般のソフトマター材料に適用できればいいわけです。
私の手掛けている材料がこの先、アカデミックの外で使われることがなかったとしても、私が調べた事柄が他の材料に適用できれば、その人たちには役に立ちます。


しかし実際は

とはいえ、大学院生(修士学生)はとても忙しいです。

4年生の夏に院試が終わり、一息ついたらすぐに卒論が待っています。おそらく4年生で配属が決まるような大学ではそれほど研究も進まずに卒論を書くことになるでしょう。

そしてM1になれば怒涛の勢いで授業を受けて、夏にはインターンに行き、冬には就活が始まります。

授業・就活・研究室の雑用を任されるM1が終わって一息ついたらあと半年ぐらいしか残されていません。よほど優秀な人でなければ、まじめに研究するのは無理でしょう。


じゃあどのタイミングで考えるのか

私が本格的に考えたのは博士進学後です。博士課程はいろいろと絶望するのでおすすめはしませんが、自由でいられる時間は格段に多くなります。しかしながら、普通の人は博士課程に進学しません。

そんな学生はどうしたらいいのでしょうか?
これは難しい問いですが、一つ言えるのは特許や論文を書くことな気がします。

先ほど、特許や論文を書いたって役に立たないというようなことを書きましたが、少なくとも危機意識を持つという点ではヒントになると思います。

実際、私も特許の申請や論文執筆の際に改めて、研究の意義について考えました。そしていかに自分の考えが足りていないかを実感しました。


最後に

考えていたことをダラダラと書いてしまいましたが、私を含め学生はもっと考えて研究をしないといけないなと思いました。

たいていの場合、やりました→できましたには価値がないと思います。

今回の記事は、私が基礎に近い研究をやっているため、多少色眼鏡で見てる感は否めませんが、きっと大事な何かをかすっているはずです。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?