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取捨選択:すべてのリテラシーを上げることはできない

普段、科学リテラシーが大事だといいながら、他のリテラシーにはさっぱり無知なわけですが、情報社会の現代で何でも知ってる物知りになるのはかなり難しいじゃないの?と思います。

ということで、今回はリテラシーについて考えてみました。

そもそもリテラシーってなんだ?

もともとリテラシーは「読解記述力」を表す単語だったようです。

それが転じて今では、

” ある物事や情報を正しく理解・分析・整理し、それを自分の言葉で表現したり、判断する能力”

ある程度、論理的に考える力があれば、理解、分析、整理はできそうな気がしますよね

ただ、物事を正しく理解するには文脈や背景(俗にコンテキストと呼ばれるやつ)を知っていなければなりません。やはり最低限の知識は重要です。

現代のリテラシー

wikipediaでリテラシーと調べるとこんなにたくさん出てきます。

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私自身は科学リテラシーはほどほどに、残りは皆無という状態です。これは恥ずべき状態ですね…

取捨選択が必要

Podcast番組 新型オトナウイルスで”すべてのリテラシーを上げることはできない”という話がありました。今回のネタはそこにインスパイアされたわけです。

リテラシーを上げるためにはしっかりと知識をつける必要がありますが、wikipediaを調べただけでも、10個以上のリテラシーが出てきてさすがに全部は無理じゃない?って感じます。

そもそも私たちがもつ時間は有限です。

したがって、必ず知識の領域には偏りが出てしまいます。

例えば、科学的な教養がある知識人でもテレビとか芸能に興味がなければ、芸能人のことを全く知らないということになります。その場合、芸能リテラシーは皆無ということになります(そもそも芸能をリテラシーというのかわかりませんが…)

しかし、科学技術が発達した人間社会に生きる以上、科学・情報・環境・金融リテラシーは最低限身に着けていた方が良いと思います。(個人的に)

つまり私たちは社会の状況に応じて、取捨選択しながら必要なリテラシーを獲得していかなければならないわけです…

最後に

リテラシーという言葉は簡単に使われますが、意外と深い問題なのかもしれません。

例えば、上記のリテラシーを持っていても、サブカルやスポーツ、芸能のことで盛り上がる人たちの中では話についていけません。

人間関係を作る上ではそういった話もできた方が良いのかなと思いつつも、興味のないことには手が出ないのが人間ですよね。

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