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■直木賞、芥川賞が発表されましたね

本を選ぶときのクセってあります。

私のマガジン【読書日記】をご覧いただくと
とある傾向が一目瞭然なんです。

それは。

文芸ジャンル、エンタメジャンルが
極端に少ないこと!

「少ない」というか、
この【読書日記】には
入っていないも同然なんですよね(滝汗)。

読んでいないわけでは…あります(え)

あ、エンタメ系と言っていいか分かりませんが
ラノベはかろうじて読んでいます。
でも、前から読んでいるものの続きを
隙を見て読んでいるだけなので
感想とか書きづらくて!
結果、読みっぱなしになってるんです。

読んでいると言えば、それくらいで
基本的に、文芸とかエンタメのジャンルって
私の守備範囲外と思い込んでいるフシが
ありあり…

「雑食系」をうたっているのに!

なので、昨日発表になった
(これを書いている今日は1月20日です)
直木賞、芥川賞の4人の方、
お1人を除いて存じ上げず…
作品に至っては、
どれも読んでいないというていたらく。
ほんとうにごめんなさい、としか……

・ ・ ・

以前はそうじゃなかったんですよね。
意識的に活字中毒者への道に
足を踏み入れたばかりの時代には
かえって、
小説やエッセイしか読んでいませんでした。

今読み散らかしているような
理工系や哲学系の本など見向きもせず。
というより、「見向きもされず」のが
正解ですが(笑)
小説やエッセイばかりを読み漁ってました。

でも、今は
あの頃読んでいたジャンルの本を
殆ど読んでおらず。
何でだろ?って考えたとき
一つ思いあたることがあるんです。

それは。

某塾で国語講師を始めたばかりのとき
全国模試の作成チームに
放り込まれたんです。

論説文。
物語文。
古文(漢文)

この3つで構成される模試では
毎回どれかの作成を担当しました。
で。
私、毎回「物語文」の問題作成で
引っ掛かりまくったんです。

引っ掛かるというのは。

まず、問題文をどの小説から取るか、から
ダメ出しを喰らい。
おかげで毎回何十冊も読む羽目に陥り。
ようやく一冊、ゴーサインが出たと思ったら
今度は作成した問題、作った選択肢、
あるいは、正解の解答など
ありとあらゆる箇所でダメ出しを喰らい。

マジで毎回半泣きでしたよね(遠い目)。

その数年後、塾で身売り問題が出てきて
私は他塾に職場を移しました。
と同時に、その毎回精神的拷問にも似た
問題作成からも解放されたのです。

でもね。

他塾に移ってから思い知るのは
あの問題作成のダメ出しがあったからこそ
自分の授業の技量が
格段に上がっていたのだということ。

教材研究とか、授業展開とか
あのダメ出しが血となり肉となり
私の講師としての力量に
直結していたです。
ついでに、涙にもなってましたけどね(笑)

・ ・ ・

ただし、もう一つは弊害。
それは。

私はいつしか小説やエッセイを
素直に読めなくなっていたのです。

どれだけ無心に読もうとしても
没入できず
分析しようとしてしまうんです。

もっと言えば。

特に小説って
一言では表せない気持ちなどを
そのまわりにあるものに託して
それらを物語化することで伝える装置だと
思っているのですが。

それがね、どうやっても
もどかしくなっちゃうの。

まわりにある、
もにょもにょとしたものの持つ
空気感だったり、彩りだったりを
楽しむのが小説なのに
それを「超めんどくさい」と思って
投げ出してしまうんです。

それは多分
問題作成をするなかで
そういった「もにょもにょとしたもの」を
一気に、的確に言語化する訓練を
果てしなく続けてしまったから。

もちろん、それだけではなくて
もともと私に「情緒」の装備が
人並外れて薄かった、というのも
絶対的にあるんですが(滝汗)。
それでも、
読まなくなった時期を掘ると
そこに行き当たりますので
多分、その問題作成が
大きなきっかけになったのだろうとも
思うのです。

・ ・ ・

三つ子の魂百までと言います。
だから、私のなかのどこかにはきっと
小説をじっくり読むスイッチがあるのでしょう。

また、今回せっかく直木賞・芥川賞の発表に
アンテナが向いたわけですし。

ちょいと腰を据えて
じっくりみっちり小説堪能時間を
つくってみようかなぁなどと思ったりして。

うん。読んだとしても
多分、【読書日記】には
感想を書いたりしないけどね(笑)

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