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■7月5日 四の五の言わずに、じたばたする

今日は締切の原稿を書いて、一日が過ぎたような気がします。原稿に少々てこずったのもあります。が、どちらかというと、朝起きるのが遅かったのが主な原因かと。

いつもの時間に、ちゃんと起きられなかったためにリズムが取れないまま、時間だけが過ぎ、気が付くと夜になっていたような。おかげで、何もできないまま一日を終えてしまったように感じて、ちょっとだけへこんでるなうです。

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昨晩あたりから、「三十一文字(みそひともじ)」がアタマの片隅にずっとあります。「三十一文字」、つまり、短歌ですね。これを何とかしようと、隙間の時間にうにうにとアタマを回転させているのです。

短歌の本について、幾つか本紹介の記事を書きました。書きながら、気持ちのどこかで自分でも詠んでみたいと思っていたのです。その衝動のまま、何度かトライしました。が、どうやってもつくりきることができず。結句がまとまらなかったり、下の句そのものが瓦解したり。正直、全く歯が立たなかったのです。

でも、先日このようなtweetを見かけました。

中山先生のこのtweetを見て、私、「あ、そっか」と超納得しちゃったんです(笑) 力業的に300首詠んで、「歌人」を名乗っちゃえばいいんだ、と。

考えてみれば、こうして書いているエッセイだってそうなんですよね。「エッセイ」がどういうものか分からないまま、とりあえず書いちゃえ!と思い、なぜか毎日書き続けています。そして、「これはエッセイです」と言い切っているんです。

さすがに「エッセイスト」という肩書は違和感があり過ぎるので、名乗りませんが(笑)でも、「書く人」という肩書はいいかも、と思っています。

短歌だってそう。つくれないとか詠めないとか言ってる間に、1首でも捻り出して、それを積み重ねて「歌人」を名乗っちゃえばいいんですよね。

そんなことを思っているときに、たまたまTwitterで「歌会」のお知らせを見かけたんです。

一瞬は躊躇しましたが、「これもご縁でしょう」と思い切り、とりあえず参加を申し込んだのです。そしたら、6日までに1首営巣…詠草して送ってくださいね♡と言われ、俄然慌てることに。

で、何とか三十一文字にまとめようと四苦八苦するはめに陥り、右往左往してるなうです(笑)

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ただ、そうして試行錯誤しながら。その過程のなかに自分を放り込まなければ、わからなかったことだなぁと思うことが山ほどあります。

たとえば、短歌のことばがあれほど明快な解析度を持っている理由。あるいは、エッセイを書くときとの、脳の使い道の違い。などなど。

もちろん、まだまったく言語化はできていないです。でも、その違いは埋没すればするほど、おもしろくて。その感覚が面影程度でもやってきてくれただけでも、短歌をつくろうとしてよかったと思うのです。

おとなになると、自分の世界を拡げるのってけっこう手間がかかります。ハードルがあがるというか。めんどくささが先に立ったり、言い訳が上手になったり。実際的に時間が足りなかったり。いろいろあります。

でも、こうして強制的に自分を放り込んでみると、やはりワクワクしてきますし、意識のあちこちがぷちぷちと音を立て、その範囲を広げてるような感覚が楽しいのです。

おもしろそうと思ったら、とりあえず飛び込んでみる。考えるのは、そのあと。

そんなふうにしてみると、存外簡単に世界ってのは拡がるのかもなと思うのでした。さて、短歌つくらないと…がんばるます。

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今日もここまで読んでくださり
ありがとうございます。
今日がいい日でありますように。
んじゃ、また。

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