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【読書日記47】セーシュンとは。

大学時代、椎名誠さんのエッセイ
ある方が「1年で1000冊読んでいる」と
仰っているのを読みました。
その直後、なぜか私は
「んじゃ、200冊なら行けるんじゃね?」
根拠もへったくれもなく
至極唐突に考え付き
四の五の言わず実行に移したのです。

その結果が今の
「重度の活字中毒雑食系」

なぜ、200冊だったのか。
なぜ、可能だと思ったのか。
なぜ、実行したのか。

それは未だに分かりません(笑)
が、#読書の秋2022 の企画で
椎名誠さんの作品
推薦されているのを見て
そのことを突然思い出したのです。

椎名誠さんの作品で推薦されていたのは
『哀愁の町に霧が降るのだ』でした。
この作品、実は
大学時代に一度読了しています。
そのときの感覚が
どう変わったのかも興味があり、
参加してみることにしました。

□椎名誠
□小学館文庫
□2014年8月初版
(単行本は1981~82年、新潮文庫は1991年)
□870円+tax

東京・江戸川区小岩の中川放水路近くにある
アパート「克美荘」。
家賃はべらぼうに安いが、
昼でも太陽の光が入ることのない
暗く汚い六畳の部屋で
四人の男たちの共同貧乏生活がはじまった――

…っていうか、
上巻を半分くらいまで読まないと
「克美荘」の話は始まりませんけどね。

だって、最初のタイトルが
「話はなかなか始まらない」ですよ?
で、「書きおろし」とは何かから
語り始めちゃってる。
…そりゃ始まらないでしょっていう(笑)

でも、名作ってすごいなって思うのは
本編に入る気配すらない物語なのに
ぐいぐい読ませてしまうところ
なんです。
えぇ、私など
一度読んでいるはずなのに
まったく飽きることなく
上巻を最後まで一気読みし、
そのまま下巻を購入。からの、
届くのを待ってるなうです。
それくらい面白かったし
語られる物語に惹き込まれたのです。

・ ・ ・

小説って、言葉で端的に表せないものを
物語仕立てにして伝えるもの
だと考えています。

たとえば、今回
文庫の帯にある「青春」という語。

Googleさんに聞いてみると
「若い時代。人生の春にたとえられる時期。
希望をもち、理想にあこがれ、
異性を求めはじめる時期。」
と返ってきます。
いやもぉ、何それ?ですよね(笑)
「人生の春」、とか。
若い時代に
そんな春爛漫な気持ちあった?
寧ろ、「黒歴史」しかなくて
穴があったら埋まりたい気持ちにしか
ならないのだが?と
小一時間問い詰めたくなるわけです。

でも。

そんな風にGoogleさんに、
言葉で、わかったような説明をされても
全然納得できなかった「青春」が
この作品を読むと
「あ、青春ってこうだよね」って
理屈でないところで理解できるんです。

こんなに喧嘩に明け暮れてないし
ここまで飲んだくれてないし(多分)
行き当たりばったりに身を任せる
胆力もなかったけれど(異論は認めない)。
それくらい違っている(ハズな)のに
その根底にある言葉にならないナニカ
切実にじわじわと伝わるんです。
それって「物語の力」だと思うし
この作品が名作と言われ
令和の世になっても
まったく古さを感じさせずに読ませきる
理由だと思うのです。

・ ・ ・

私は読んだハナから
内容を忘れていくタイプです。
そのため、同じ本を
3回購入して読んだこともあります(滝汗)。
ですが。
今回この本を読んだとき
「あ、このエピ覚えてる」って思った箇所が
あちこちにあり。
我ながらものすごく
不思議な気持ちになったですよ。

例えば、皿洗いのバイトの場面。
あるいは、カッポーギを欲しがる場面。
「吐くなら飲むな。飲むなら吐くな」
という合言葉。

どれも他愛ない場面であり、
ここが物語のキモ!みたいな箇所では
決してないのに。
そこにあった空気感だったり
会話の間だったりも含めて
「あ~読んだ、これ♡」って
思ったんですよね。

きっとそれらは
学生時代の私も
「なんか分かるわぁ」と思ったから
今の私の記憶に引っ掛かったのでしょう。
そして、「そのときの私」は
今もどこかにちゃんと居て
この本を読んだことで
ひょこっと「ここにいるよ」って
顔を出したくなったのかも知れません。
そんな想像まで出来たのでした。

・ ・ ・

昔、シーナワールドに
ハマっていた人も
シーナワールド未体験の人も
読めばきっと
何かを思い出したり
椎名さんの他の作品を
読みたくなったりする小説です。

今の私で読めてよかった。
とても楽しく、無心になれた読書時間を
いただきました。

#読書の秋2022

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