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■8月7日 有料noteを続けるのに必要なこと

今日は朝起きてから、noteを書きました。いつものエッセイと【写真館】。そして、有料noteも1本書きました。

このところずっと、有料noteを更新できずにいました。正確に言えば、7月後半は有料noteを書く体力や気力が持てないまま過ぎ、更新はおろか、書くことさえままならない状態だったのです。

私は4月にも一度、有料noteが書けなくなっています。あのときは、ほぼ全文有料にした記事が誰にも購入されていないのに、「スキ」の数が伸びていったんです。本文を誰も読んでないのに「スキ」だけが伸びていくという、書いた側からすれば怪奇現象以外ナニモノでもないようなことが起きたんです。

有料noteの怖さの本質って、コレなんですよね。

売れないとか、労力に見合わないとか、そういったことは些末なことであり。それよりなにより、自分の精一杯書いた記事が「誰にも読まれない」という事実が、完膚なきまで明らかに突きつけられるということがものっそい恐怖なんです。

もちろん、記事は記事、私は私、別のモノですから、記事が読まれないからと言って、私自身の生き様を否定する必要はありません。それは分かっているんです。また、そこまで堕ちなくても大丈夫なほどには、自己肯定感というヤツを育ててはきてるので、何とか致命傷は回避できています。

でも。それでも。

「記事が読まれていない」という事実が分かりやすく刺して抉ってくる傷は、立ち直るのにまとまった時間が必要な程度には深く痛いものでした。

駄菓子菓子。

7月に有料記事を書くための体力や気力を絞り出せなかったのは、これとはまったく違う理由でした(笑)

はい。別に致命傷とか心が折れたとかでは、そんな深刻なものでは全然ないんです。じゃあ、何が理由だったのか。それは。

ものすごくシンプルに「短歌を詠み始めた」からなんです(笑)

5月以降、毎日こうしてエッセイを書いています。【写真館】に至っては300日以上毎日更新しています。つまり、私はそもそもが「出力過多」の状態なんですね。

そこへ、7月から毎日短歌を5首以上詠み始めた。

端的に言えば。「出力過多」の状態のところへ、さらにナニモノかを絞り出せと自分に命じているわけです。それに対して、「入力」はと言えば、ほとんどできていませんでした。

読んだ本を振り返っても、7月は2023年に入って最小の数しか読んでいません。ほかの入力手段もほとんどできていないか、すぐに上記の出力に吸い取られ、何も残らないかでした。

つまり、私は7月以降、からっからに乾いた空っぽの自分に何一つ補充したり、潤したりすることなく、ただただ力任せに振り絞って、毎日更新をし続けていたのです。

そりゃ、有料noteまで書けるわけがありません(笑)

そう考えると。有料noteってお金をいただく記事ですから、書く側のコンディションを整えることも必要ですし、出力のための入力を意識的にし続けることもたいせつなのだなと思い知ります。

有料noteを気楽に迂闊に始められることが、noteの魅力であり、美徳です。ただ、それを「書き続ける」となると、それなりに準備運動だったり、起動スイッチだったりが必要である、と。

特に、私のように出力過多に陥り勝ちなタイプは、そのあたりのバランスをとったり、自分を観察したりしておかないといけないのだと、今回のことでマジで理解しました。

実は、これまでの人生でここまで出力過多に陥ることってなかったんです。正確に言うと、出力過多ではあるけれど、入力も過多になっていたから何とかクリアできていたんですね。だから、今回は入力ができていないことに気づいてすらいなかった。これは超反省事項。

ペースを考えながらになりますが、これからまた有料noteも充実させていきます。がんばろう、楽しめる限りは。うん。

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今日もここまで読んでくださり
ありがとうございます。
今日がいい日でありますように。
んじゃ、また。

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