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編集のための覚書

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"ヒトとモノの出会いを編集する"ことを模索するための日々の覚書きです。
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2019年4月の記事一覧

ずっと分からなかった、「お前は本を読め」という問い

数年前、人生の恩師とも呼べる人に言われた言葉があります。 「吉田、お前はもっと本を読め」 「いや、読んでますよ」 「…そうじゃないんだよ…もっと文学とか、そういうものを読んだほうがいい」 当時の私は仕事が世界の中心で、もっとうまく、はやく、仕事をやるためには…ということばかり考えていました。だから、読んでる本もいわゆるビジネス書。 だから当時はその言葉を投げかけてもらった意味がよく分かりませんでした。文学って娯楽だし、明日の私が生きるための糧にはならない。こんなに時間が

「お膳立て」をして生きていきたいのかも

昨日今日と自分の今考えていることや、どういうことを生業にしていきたいのか?について人に聞いてもらう機会がありました。 私の編集という仕事、それについて私が思っていることや、自分自身がどんなときにに嬉しいと思うのか?を話していった時に 「語源とか分からないけど…それってどれも「お膳立て」をしてるって言葉にできそうじゃないですか?」 と言ってもらって、私も語源とか分からないけど直感的に「それだぁっっ!」っとなりました。 そのあと速攻お膳立ての意味について調べました。 -

作り手のすべてがにじみ出る、紙媒体の手ざわり

紙媒体って、残酷です。 良くも悪くもすべてが滲み出てしまう。 学生時代のフリーペーパーや冊子制作を含めると、もう10年近く紙媒体に携わっていますが変わらず思うのは、紙というメディアの尊さと怖さについてです。 1度でも冊子を作ったことがある人なら首を縦に激しく振って同意してくれると思うのですが、紙の媒体を作るって超絶手間です。 1度出版すると後戻りはできないし(そのくせ何度確認したってミスが出てきたりして憎たらしい)、真っ白な紙に自由に何でも載せられちゃう。自由って素敵な

文化を作るコミュニティには何が必要なのか?

今、絶賛英語を勉強中なのですが、参加してめちゃくちゃ良かった!と思っているのが最所あさみさんと伊佐知美さんが主催している#EnglishChallengコミュニティです。 みんなの行動がが文化になっていくコミュニティの活動としては、参加メンバーがSlack上で毎日勉強したことを報告して褒め合う…というシンプルなものです。 何が良いって、みんなが当たり前のように1日あたり1~2時間英語勉強に時間をあてているので、ここにいると自然と英語の学習時間をとることを選択できるようにな

授業にも編集力は必要だと思った話

今、お試しで英会話教室に通っています。いわゆる駅前留学…的なやつなんですがモチベーション維持と学習効率に個人的に課題を感じています。いわゆる「普通」の授業なんですが、なんでこんなにモヤっとするんだろう?というのを棚卸ししてみました。 「この時間で得られるもの」が曖昧だと、人はしんどい授業の内容としては、1コマ50分の間で1つの決まった構文をテーマにリスニング・スピーキング・ライティングする形で進みます。 ただ、この構文って事前に自宅学習するんですよね。なので「この構文につ

暇が苦手な人はこの先やばいのかもしれない

私は、暇が苦手です。仕事が好きだし、急に予定がなくなると何をしようか考えないといけなくって、ちょっとしんどい。遊ぶ予定が入っていればまだ良いけど、何もないと完全にベッドで廃人…そして1日を後悔するタイプの人間です。 未来はみんな暇人そんな中、少し前にgumiの国光さんのnoteを読んで、え、まじかよ。と思いました。 そして、ここから10年間で起こることは容易に想像がつきます。物質・モノをつくる作業はすべてAIがやることになります。人間がやる必要はなくなる。  するとどうな

編集の力を信じてる

編集は、偏集だ。偏ってこそ価値がある。 私の尊敬する編集者の言葉で、うちの編集部で伝説的に語り継がれてる言葉のひとつです。 この「偏る力」こそが、私が信じている編集の力の根幹です。 選ばれない失望私の編集の価値についての原体験は、美大に通っていた頃…大学の芸祭でした。いわゆる学祭なんだけど、そりゃもう皆の力の入れようが他の大学とは違って、誰もが何らかの出し物に参加してるんじゃないか?という熱気で。 私の出身である油絵学科の子たちは大概、絵を展示して、一般の方やギャラリス

発信が苦手な私がnoteを始め、4年ぶりにTwitterを再開した理由

私は不特定多数の人に個人の意見を発信するのが死ぬほど苦手で、noteはおろか、ブログも続いた試しがありません。昔はTwitterも鍵つけてしっぽりやってました。 当時、Twitterは便利だし楽しかったけど、ある時虚しさと、ちょっと飽きた感じがしてすっかり見なくなりました。 これが最後の私のつぶやきです。超くだらねぇ…。 「発信」の本当の目的そんな私がそもそも発信をする気になったのは、独立するにあたり必要だった…といえばそれまでですが、自分の中で「発信すること」の必要性