とろ日記(11/3移り変わり)
車に乗ると、音楽をかける。
車と夫のスマホを繋いでユーチューブを流すか、わたしの音楽プレーヤーを繋いで曲を流すかだ。どちらにしても、それぞれで聴く曲はいつも同じになる。
ユーチューブの場合は
などなど。
音楽プレーヤーの場合は
他には、RADWIMPSのアルバム「RADWIMPS4〜おかずのごはん〜」、アジカンのアルバム「BEST HIT AKG」、サカナクションの新宝島、Aoiなどを聴いている。
いつも車から流したくなる曲が変わらないので、好きなものはずっと好きなんだなーと変わらない自分に安心したりもする。
久しぶりにテレビの音楽番組を見ると、ああこれが流行っているのかと思うけれど、なかなか流行りについていけてない自分がいる。TikTokとかは、やっていないからね。知らない曲も結構ある。これは歳を重ねたということなのかな。ふーむ。流行に敏感だった頃が懐かしいような、もう自分の好きが分かっていると達観しているような。そんな感じになる。
今日は気が向いて、わたしの音楽プレーヤーに新たに曲を入れようとTSUTAYAに行ってきた。が、入店して驚いた。CDレンタルの棚が、1区画しかない。コミックレンタルやDVDレンタルの棚はいくつもあるのに、CDはそこだけ。表を見て、裏をくるっと見ると、おわり。えっ。これしかないの?
この店舗だけのことなのかは分からないが
「今は大体の人がサブスクで聴いているんだね」
「CDで借りるのって私たちぐらい?」
こそこそと話をした。
わたしがまだ地元の学生だったころ、父に何度も頼んでTSUTAYAに連れて行ってもらっていた。あのころはたぶん、ここまでコミックレンタルとかは流行っていなくて(というかやっていた?)、CDレンタルの棚が店舗の大半を占めていたはずだ。わたしは目当てのCDを借り、せっせとMDにおとす作業をこなしていく。MDケースに挟む紙に、色ペンで曲順を手書きしたり、MD自体に貼るシールにアルバム名をかわいく書いてみたり。地道だけれど、CDよりも小さいMDはかわいいし、自分だけのMDが増えるのが嬉しかった。
でもいつしか、MDはなくなっていった。
手元のMDは聴けずに、ただの四角い物になってしまった。
1区画しかないCDレンタルの棚を見て、そんなことを思い出す。
小学生の頃は届くと嬉しかった年賀状も、今は出さなくなってしまったし、わたしの幼少の思い出の物が、薄れていっている危機感を覚える。
きっと、わたしたちだけじゃないんだよなぁ。
親世代も、そのまた上の世代だって、慣れ親しんだものたちがどんどんバージョンアップして、そのままの物はなくなっていっているんだろうな。
移り変わるのはすぐだから、今このときを楽しまなくちゃ。表、裏。表、裏。どのCDをレンタルするのか棚をぐるぐる回って、じっくりじっくり悩ませてもらった。